山中瑶子インタビュー(『あみこ』):連載「新時代の映像作家たち」


山中瑶子とは誰なのか。2017年の9月まで、誰も彼女の名前を知らなかった。PFFアワード2017観客賞を受賞した彼女が19歳から20歳にかけて撮った処女作『あみこ』(2017年)は、ベルリン国際映画祭を皮切りに香港・スペイン・北米など海外7カ国(2018年9月現在)で上映され、老若男女を虜にする。女子高生「あみこ」(春原愛良)は、同級生アオミくん(大下ヒロト)への恋に揺れながら、手段を選ばず自ら人生を切り開く。その大胆さは世界中で日本人女性のステレオタイプを更新する。作曲家・坂本龍一は「久しぶりに爽やかな日本映画を観た気がする。」と彼女を称賛した。誰もが知っているのに、多くの人が忘れてしまった10代の甘酸っぱさとイタさ、それが世代や国境を貫通してこんなにも力強い爽やかさを獲得している。彼女の類い稀な感性はどのように育まれたのか。中国出身の母との関係や大学のドロップアウト、特異な映画鑑賞歴、制作の裏側など創作の秘訣にせまった。
(聞き手/構成:伊藤元晴、山下研)

『あみこ』(2017年、山中瑶子監督)

映画を撮り始めるまで

――山中さんは20歳のときに初めての作品として『あみこ』を撮っています。まず、映画に興味を持ったのはいつ頃だったんでしょうか。

山中瑶子(以下、山中) わたしはけっこう厳しい家庭で育って、ずっと文化に触れられない幼少期だったので、テレビを見るとか娯楽が家にあまりなかったんですよ。マンガも読んではダメという家だったので、映画も中学生になってもそんなに観たことがありませんでした。高校生になって自分で好きなようにお金を使ってよくなったんですけど、反動でなにから手をつけていいかわかりませんでしたね。

 そんなときに自分から関心の幅を広げていくっていうのは、映画が最初だったかもしれないです。わたしは長野市出身なんですけど、家の近くにTSUTAYAがあったのと名画座が市内に三つほどあったので、趣味とは言えないまでも映画を観ていくようになりました。あとは「午前十時の映画祭」とか。

――映画を撮ろうと思った決定的なタイミングはありましたか。

山中 高2のときに選択授業で美術を取っていたんですけど、その美術の先生に「最近、映画を観てる」と話したら「君、これを観た方がいいよ」って言われて貸してもらったのが『ホーリー・マウンテン』(1973年、アレハンドロ・ホドロフスキー監督)だったんです。その後、先生に「どうだった?」って聞かれたんですけど、それまで2000年代以降の邦画大作とか『アメリ』(2001年、ジャン・ピエール・ジュネ監督)とかしか観たことがなかったので、もう「……変だった」としか言えなくて。それで、次に貸してくれたのが『ZOO』(1985年、ピーター・グリーナウェイ監督)だったんです。結局、その先生に10本いかないくらいの映画を借りて観ましたね。だんだんラインナップは普通になっていったんですけど(笑)。そのときに「こういう映画もあるんだ」「もっと映画を観よう」と思って、当時はバドミントン部だったんですけど部活も辞めちゃうんです。

――部活を辞めるときには、もう自分で映画を撮ろうと決めていましたか。

山中 そうですね。「映画を撮ろう」とそのときには決めてました。あのとき、なぜか世の中には芸術家かデスクワークしか仕事がないと思い込んでいて(笑)、オフィス・ワークはイヤだったから映画かなと思って進路も決めました(日大芸術学部映画学科に2015年に入学)。

――『あみこ』が初の作品になりますが、それまでに映像を実際に撮った経験はありましたか。

山中 ほとんどないんです。高校生の頃は観るだけだったし、大学の課題で2分くらいの短編を撮ったくらいですかね。

――大学に入ってから『あみこ』撮影まで約2年の期間があります。制作にいたるまでの経緯を聞いてもいいですか。

山中 わたしは大学にすごく期待をして入ったんですね。高校までいた長野はすごくいいところなんですけど、刺激が多いわけではなかったから大学ではいろんな経験ができると思って。でもいざ入ってみると、自主的に動かない限りは特にやることがないんだなと思いました。
 それに大学は学生の自主制作にも機材を貸してくれないし、授業の進むスピードもゆっくりすぎて不満だったんです。あるとき、たまたまジャンプ・カット(似たショットを時間の経過を省略してつなぐこと)みたいなものを撮ったら「まだ教えてないからやらないで」と言われたりとか。行ってる意味がないなと思って、夏にはもう行かなくなりました。それ以降の一年間はバイトか、映画を観るかして好き勝手に暮らしてました。

 何かを撮らなきゃダメだとは思ってたんですけど、撮って才能ないのが分かっちゃったらイヤだなっていうしょうもない感情もあって(笑)。その一年はまるまる何もしてなかったです。急に深夜思い立って10キロ歩いたりしてました。

『あみこ』(2017年、山中瑶子監督)

『あみこ』を撮る

――『あみこ』はセリフがとても魅力的な作品になっていますね。山中さんが自身で書いた脚本の着想はどんなものだったんでしょうか。

山中 その何もしていないブランクのときに、少しずつですね。セリフはわりと電車に乗っているときに思いつくことが多いんです。あの……東京の電車ってヘンな人がいっぱいいませんか(笑)?   一人でしゃべっている人の話を聞いたりしていると、内容は全然関係ないんですけどアイデアが浮かぶので、それをメモに書き貯めたりしてました。それでメモを見てみると、なんとなく方向性が同じものが集まっていて、メモの時点で『あみこ』の感じになってたんです。

――初めて書いた脚本が『あみこ』になるんでしょうか。

山中 一年生のときにシナリオの授業で古厩智之さん(『この窓は君のもの』『ロボコン』などを監督)の課題で書いたのが最初ですね。それは学級崩壊しているクラスで、小学生の女の子二人が自分たちだけの世界を確立していくっていうやつだったんですけど。それを古厩先生がほめてくれて、そこで自信がつきました。その次が『あみこ』です。

――『あみこ』ではモノローグが特に魅力的です。電車のなかで脚本を思いつくとき、会話とモノローグ、どちらから書く方が多いですか。

山中 モノローグの方が多いかもしれませんね。脚本を書いているのは楽しいです。全然関係ないんですけど、上京してからのクセで、電車に乗っているとこの車両で誰か一人しか生き残れないってなったら、誰がどういう順番でいなくなっていくのかとか考えます(笑)。この人はわりと早い段階で死にそうと思ったら、なんでわたしはそう考えたんだろうとか。

――人間観察から脚本を考えていくんですね。

山中 そうでした。脚本を書くとき、わたしはふつうのト書きができなくて、小説から書いていってたんですけど、そのときはエドワード・ヤンみたいな静謐な映画になるはずだったんです。エドワード・ヤンが一番好きな作家で、本当はそういう映画を撮るつもりだったんですけど、小説からト書きにしていくうちに全然ちがう作品になっていったんです(笑)。

――ちなみにエドワード・ヤンで一番好きな作品はなんですか?

山中 『ヤンヤン(、夏の思い出)』(2000)です。次に『カップルズ』(1996)、『恐怖分子』(1986)で『クーリンチェ(少年殺人事件)』(1991)ですかね。分からないです。全部素晴らしいです。

――撮影スケジュールはどのように決まったんでしょうか。

山中 2016年の10月ぐらいから脚本を書き始めて、ぴあに出したかったら間に合わせようと思っていたんですけど結局書き終わらなくて。助監督もいなかったので全部ひとりでやっていたんですよ。キャスト探しものんびりやっていたら時間がなくなっていて、全員揃ったのが、クランクインの一週間前とかでしたね。
 撮影自体は日数でいうと12日ぐらいだと思います。一か月くらいの間に週3日とかで撮っていきました。長野の部分は2泊3日で撮りました。学校のなかの場面は東京なんですけど。

――キャストやスタッフは、具体的にどういう風に決まっていたんでしょうか。

山中 通っていた学校は映画学科で撮影コースもあったんですけど、一年生のときは他のコースとの接点がまったくなくて。撮影以外のスタッフは日芸の友達なんですけど、カメラマンがどうしても見つからなかったんです。それで直感的に「カメラマンは武蔵美だ!」と思って、Twitterで武蔵美の人のアカウントを探していって、良さそうな人にDMを送ってお願いしました。でも、結局はわたしのスケジュールの組み方が急なせいでその子のスケジュールが合わないことも多くて、自分で撮ったところも多いです。わたしが撮れないときはまた別の人が撮ったりもします。なのでエンドロールに撮影の名前がいっぱいあるんです。クルーはわたし含めて3人から、多くても7人くらいですごくミニマルでした。

 キャストもTwitterで役者志望の子を200人くらい見て、『あみこ』の顔のイメージは私の頭のなかにあったので近い人を選びましたね。アオミ君役はTwitterでは見つからなかったので、Instagramで探しました。彼も顔で選びました。

――役者志望の人をSNSで探すのはどうやったんでしょうか。プロフィール欄で探すんですか。

山中 そうですね。あとフリーの役者の人は同じようにフリーの人をフォローしているだろうと思ってそこから探していきます。それでDMを送って、会って話して決めるという感じです。演技は……実は決める前に一回も見てないです。

――山中さんの頭のなかにあった『あみこ』はどんな顔だったんでしょうか。タイトルバックに出てくる、にらみつけるような表情が印象的です。

山中 やっぱり「目」は大事だなと思ってました。「目」に意志がある、強い感じがよかったです。アオミくんも目です。二人ともいい目をしてますね。あとはかわいく撮るつもりがなかったので、そこは重要じゃなかったですね。わりと自主映画の女の子って細くてかわいい子が多いじゃないですか。それへのアンチというか、あみこ役の子(春原愛良)は撮影当時が人生で一番太っていたらしいんですよ。

――『あみこ』のキャラクターやルックスは『ゴーストワールド』(2001年、テリー・ツワイゴフ監督)のイーニド(ソーラ・バーチ)を思い出させるところがありました。山中さんは渋谷TSUTAYAのPFFコーナーでの企画「映画を志すひとに、今、観て欲しい作品」でも、『ゴーストワールド』を挙げています。

山中 そうかもしれません。『ゴーストワールド』はとても影響を受けた映画です。

――カメラ目線のショットが『あみこ』では印象的ですが、ふつうは演技経験を要求される演出のようにも感じます。目線ショットはどのような意図がありましたか。

山中 初めて映画を撮ったし、本当に映画の撮り方がよくわかっていなくて。他の子はみんなまだ学校に行き続けていたから、たぶん現場で一番わかっていないのがわたしだったと思います。だから目線ショットの難しさとかわかってなくて、やればできるものだと(笑)。

――カメラに向かって話しかける演出はトリッキーなものだと思います。自然な演技を記録するというよりも虚構性が高いのが、『あみこ』の一つの特徴ですよね。

山中 カメラを見るのは、いろんな画角を探したけどどれもピンとこなくて、みんなからの「どうすんの?」という圧がすごかったから苦肉の策で「カメラ見て!」って言った記憶があります。だんだんポスターのイメージにあるような『あみこ』の作品のイメージが掴めていった感じというか。

――『あみこ』は前半は長野パート、後半はあみこが東京に行くという二部構成になっています。東京パートになってからはセリフが減って、動きで見せていきますよね。

山中 『あみこ』の脚本は東京での撮影に向かうタイミングでも、前半(長野パート)とラストシーンしか書けてなくて、後半の詳細な脚本がなかったんです。(ミズキ先輩の)マンションに行くというのは決まっていたけれど、動きとかは決めてなかったと思います。だから東京は場所だけ決めて、みんなで行って撮ってという即興な感じです。

――東京パートが特に印象的ですが、『あみこ』はストーカー映画でもありますよね。長野パートでもTSUTAYAでアオミ君をストーキングしています。あれらはその場で作られたものだったんでしょうか。

山中  どれもその場で決めたものだったと思います。TSUTAYAも撮影許可を取ったものの、あんまり時間がなく直前も別のシーンのことを考えてたりして、行き当たりばったりでした。あのシーンも男の子たちの会話は考える余裕がなくてアドリブをしてもらったんですけど、今は後悔してるんです。今見返すとあそこは長くて、編集のテンポを考えると本当は切りたいんですよね。演出について何もわかっていない、そのときの感覚がそのままシーンに出てるんですよ。編集し直したらなんかまた変にまとまった感じになるかもしれないですけど。ただ全体を60分未満にすることも全然できたと思ってます。でも60分以上あることで長編と見なされてベルリンにも出せたので結果良かったですが……(笑)。

――池袋で突如挿入されるダンスシーンも即興的に作られたものなんでしょうか。

山中  ダンスシーンはゴダールやハル・ハートリーの『シンプルメン』(1992)をオマージュしたものです。ダンスシーンがある映画って面白い作品が多くないですか? 当たり率が高いというか、クストリッツァの『アンダーグラウンド』(1995)のダンスシーンとか、『ゴーストワールド』だって冒頭で踊ってるし、ベルトルッチとかもそうですね。自分も踊りを入れたらよくなるのでは、と思って無理やり入れたんです。
 振り付けは踊ってる右の女の子が考えてくれました。でも、あれもあの子が撮影の日にたまたま来れるからお願いしたのであって、ダメだったら本当にあのシーンがどうなっていたのか全然わからない。たまたまできたシーンです。

――この連載に登場して頂いた現代日本映画の作り手の多くは、カメラで演技を撮ることという問題に取り組んでいるように感じます。長回しで自然な演技を撮る、ドキュメンタリーへの関心ですね。そんななかで山中さんは短いカットを繋いでいって、虚構性の高い作品を作ることに衒いがないように感じました。

山中 たしかに、そうですよね。だから最初にお話をいただいたときは「わたしでいいのかな?」と思いました(笑)。濱口監督の作品も大好きで、ああいう風に撮りたかったはずなのに実際に撮ったらこうなっちゃったっていう。

(次ページへ続く)

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