ヌーヴェル・ヴァーグとカラックス――あるいは「六○年代」と「九○年代」の距離


――だが一九六八年春のある午後のこと、社会がスクリーンになだれ込んできた
『ドリーマーズ』(2003)

レオス・カラックスは「ゴダールの再来」なのか

 一九八四年、レオス・カラックスによる長篇処女作『ボーイ・ミーツ・ガール』がカンヌ国際映画祭で上映されると、当時弱冠二十二歳のこの俊英は「ゴダールの再来」と称され一躍脚光を浴びることになる――カラックスを巡る言説には必ずといっていいほど登場する逸話である。実際、筆者の手元にある『汚れた血』、『ポンヌフの恋人』、カラックス監督作『メルド』収録のオムニバス『TOKYO!』の全てのブックレットまたはパッケージに、カラックスの紹介として「ゴダールの再来」という惹句が躍っている。また、直近では二○十四年十月にWOWOWが「映画に出会う![レオス・カラックスの世界]」という特集を組んでいるが、やはりそこにも同様の評言を発見することができる。カラックスが処女作を発表して以来、今日に至るまでジャン=リュック・ゴダールとの類似は精確に証明されることなく流布され続けてきたといっていい。

 確かに、カラックスが監督を務めた作品の多くには先行する映画からの影響を意識的に明示しているといっていいカットが存在し、後述するがその先行作品の中の幾つかにはゴダールの作品も含まれているように見受けられる。また『カイエ・デュ・シネマ』誌での執筆経験もゴダールとカラックスを結び付ける事実的な整合の一つだ。しかし、前者でいえばカラックスがそのフィルモグラフィーの中で再帰的に言及している先行作品はヌーヴェル・ヴァーグ全般ひいてはその前後に製作された幾つかの仏映画やハリウッド等の他国の作品群、映像メディアとして「物語」という輪郭をなす以前の黎明期の映画まで非常に幅広く、ゴダールだけを特筆することは不可能である。後者でいえば、確かにカラックスのそのような映画史自体への言及的な態度こそが『カイエ・デュ・シネマ』での映画批評の執筆経験を持ち、その後に実作を行うにことになるゴダールとの類似だと指摘することも可能かもしれない。しかし、映画史それ自体への再帰的な言及という態度にしてもゴダールとカラックスの手つきは見事に対極をなしているように筆者には映る。

 本文では主に『ポンヌフの恋人』を題材に扱い、ゴダールひいてはヌーヴェル・ヴァーグの作品群とカラックスとの対比を行う過程で、その類似と差異を指摘する。映像(音声も含む)における複数の類似とその中で示される政治的意図の有無、映画がフィクションであることそれ自体に対する自明性への是非という二点を中心に論を進めていきたい。「六○年代」と「九○年代」という異なる時期において製作された映画群が示す差異から、二つの時代の比較検討というべき視点を提出することを目的とする。

「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは何か

 まずはカラックス監督作品とヌーヴェル・ヴァーグの作品群との間にみられる映像的な類似について確認する前に、その語の指し示す内容が曖昧になることの多い「ヌーヴェル・ヴァーグ」を措定したい。そもそも「ヌーヴェル・ヴァーグ」という呼称は元々ある世代の映画作家を規定する語ではなく、週刊誌『エクスプレス』が五○年代後半、世界的な経済成長の中にあった「若者」(実際、自由に使える資産と時間を持った青年層が広範に存在するという状況はこの時期に初めて登場したとする論者は多い)による新しい文化潮流を表現するために一九五七年に初めて用いたものだった。この世界でほぼ同時期に発生し始める若者による同世代的文化は、その性格として「対抗文化」の側面を持っていたことをここでは指摘するに留めたい。その一年後である一九五八年にはフランス・シネクラブ連合の機関紙『シネマ』が初めて映画に「ヌーヴェル・ヴァーグ」という表現を使用(マルセル・カルネ『危険な曲がり角』)、五十九年には再び『エクスプレス』がその年のカンヌ映画祭で上映された新作映画の呼称として用いた(ここには同年に新設された文化省による「国策」としての側面もある)。

 先述した事実との整合性も含め、本文では「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画としてミシェル・マリによる定義である「一九五九年二月以降」 のフランスに発表された新進作家による作品をその対象とする。五十九年二月以降、とはクロード・シャブロル『美青年セルジュ』、『いとこ同志』が相次いで封切りとなった時期を指し示している。観客動員数等の推移をみるにヌーヴェル・ヴァーグの最盛期は五○年代末期から六○年代初頭であるが、カラックス作品および「九○年代」との対比を行う上では六十八年という「政治」の季節を含む「六○年代」全てを広範に射程に置くことが、その差異を明瞭に示すことに繋がると考える。

 次に、具体的なヌーヴェル・ヴァーグの内容について概観したい。主だった中心的作家としてジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、クロード・シャブロル、アラン・レネ、ジャック・ドゥミ、ジャン・ルーシュ、ルイ・マルといった名前を挙げることができる。これらの作家の中には先述したように『カイエ・デュ・シネマ』誌での映画批評の経験を持つ者も含んでいた。低予算の中、ロケーション撮影を活用することも多かったそれらの作品は「映画」を撮ることの敷居を下げたともいわれ、多くのフォロワーを生むことになる。手持ちカメラによる撮影と呼応するような即興の演出、新人もしくは素人同然の役者の起用もその特徴として指摘されることが多い。また冒頭に記述したように一部の作家には「映画史」そのものへの言及的な(批評的な)態度で作品制作を行っていた者もいた。細川晋は『カイエ・デュ・シネマ』への執筆経験を持つ監督たちの作風を次のように評している。

「とりわけ『カイエ』派の初期監督作は、先行するハリウッド映画を範とする劇映画一般の物語定型や細部の記憶を組み合わせ、転用し、自分たちの生活空間に近い記録的描写を重視した。そこには、題材や素材の新しさに対して、映画の保守革命とでもいうべき、映画史への再帰的な帰属意識への保守性もあった」

 細川の指摘する、ヌーヴェル・ヴァーグの特徴である「記録的描写」は結果としてカラックス作品との映像的差異を強調することになり、「映画史への再帰的帰属意識」に関してはその手つきによる対照性からやはりヌーヴェル・ヴァーグとカラックスの距離を示すことになるのは本文の結論部において述べることになる。
 
次項から、ヌーヴェル・ヴァーグのなかでも中核とされることの多い六○年代に発表された作品群とカラックス監督作品、なかでも『ポンヌフの恋人』を中心にまずはその類似性の比較検討を行う。

ボーイ・ミーツ・ガール

 まずヌーヴェル・ヴァーグの多くの作品と『ポンヌフの恋人』(というより『メルド』を除くカラックスの作品全て)との共通項として挙げられるのが、その物語が大前提として「ボーイ・ミーツ・ガール」を扱ったものであるという点だ。従前の映画とは異なった演出手法を特徴に挙げられることの多いヌーヴェル・ヴァーグであるが、そこに描かれている物語の内実は男女の邂逅を描く作品であることが非常に多い。いくつか例示するとゴダールであれば『勝手にしやがれ』、『女と男のいる舗道』、『はなればなれに』、『男性・女性』、『ウィークエンド』といった作品群がある。トリュフォーやロメールであれば、その大半が「ボーイ・ミーツ・ガール」の映画といっていいだろう。その他にもアラン・レネ『二十四時間の情事』やジャック・ドゥミ『ローラ』、『天使の入り江』、ジャック・ロジエ『アデュー・フィリピーヌ』などが挙げられるが、ここで紹介しているものでもその極一部である。

 『ポンヌフの恋人』もまたホームレス同然の大道芸人であるアレックスとミシェルの邂逅についての映画であるといってよい。後述するがカラックスはむしろこの二人以外のあらゆる背景を捨象すらしているようにみられるし、恋愛を描きつつも犯罪映画等の複数のジャンルの横断を行うゴダール作品と比すると純然たるメロドラマとして完成している。カラックスが監督を務めたその他の作品群――『ボーイ・ミーツ・ガール』、『汚れた血』、『ポーラX』、『ホーリー・モーターズ』も同様に恋愛映画の側面を持つ作品である。

 しかし、この「ボーイ・ミーツ・ガール」という共通項は分類の括りとして大きく、また非常に類型的な物語構造である。さらにはこのテーマ自体が、そもそも仏文学に連綿と続く系譜ともいえるためヌーヴェル・ヴァーグとカラックス、両者特有の類似性を示す根拠にはあまりに弱い。

 ただし、ヌーヴェル・ヴァーグ全体の傾向との比較ではなく殊ゴダールとカラックスの「ボーイ・ミーツ・ガール」の描き方に限定した場合、そこには固有の関係性がみられるといえる。両者の作中の男女関係を通底する事態は「非応答」である。まずカラックスの作品からみてみよう。

 『ボーイ・ミーツ・ガール』には電話越しに語り合う男女が登場するが、その会話は成立をみない。同じく『ボーイ・ミーツ・ガール』、また『ポンヌフの恋人』にはインターホン越しに語り合う男女が描かれているが、そこにも潤滑な意思疎通はみられない。また男女の間に鏡を置いたり、カラックス作品では男女の応答をありのままに写し取ることは極めて少ない(そもそも『ポンヌフの恋人』のミシェルは作中の大半において“盲目”という設定を与えられている)。壁や地理的な距離、視線の非交錯によりカラックスの「ボーイ・ミーツ・ガール」の不成立は殊アレックス三部作において顕著に表れているといっていい。

 ゴダールもまた男女間の非応答、男女が出会うことの不成立を描いてきた作家である。平倉圭は『ゴダール的方法』第二章において詳細にこの点を論じている。本文では詳細にその議論を紹介する余裕はないが、その一部をここで引用したい。

「『メイド・イン・USA』(一九六六)では壁の前で正面を向いて立つポーラ(アンナ・カリーナ)が「私は彼に言ってやる、別荘の場所を聞き出すために女を拷問するなんて汚い、と」と言って画面右を向くとショットが変わる。すると壁の前で画面左を向くウィドマルク(ラズロ・サボ)が正面に向き直り、「俺は彼女に答える、自分の手を血で汚したのは今度が初めてじゃない、と」と台詞を続ける。虚構的な視線つなぎと間接話法が、分離された二つのショットの間の応答不可能性を強調する。
ゴダールの初期作品にしばしば現れるカメラを見つめる人物は、その応答不可能性を観客の方に差し向けている。『勝手にしやがれ』のラストシーン、ミシェルがパトリシア(ジーン・セバーグ)に「お前は本当に最低だ」と言う。「最低って何?」と問いかけるパトリシアの視線が観客に向けられる。パトリシアは「唇を撫でる」というミシェルの仕草を繰り返し、ミシェルと「似たもの」になる。だがミシェルはすでに死んでおり、応答を返すことはない」

 引用部の後半を読めば明らかなように、作中におけるこの男女間の応答不可能性をゴダールによる映画という媒体に対しての問題意識と接続して平倉は論じている。ここで確認をしたいのは男女間の「非応答」においてゴダールとカラックスは通底をしていると同時に、その応答不可能性の描かれ方が異なるという点である。ゴダールは明らかに「映画」という制度の問題に抵触を試みているが、カラックスは対照的に作品内での男女の非応答の表象に留まっている。この点については結論部で詳述する。

 次項では、より具体的な映像・演出での共通点を示そう。


「現場」化された音楽の挿入・自動性なアクションの同期

 先述したようにヌーヴェル・ヴァーグの特徴の一つにロケーション撮影の大々的な活用がある。『ポンヌフの恋人』もまたそのほとんど全てがロケーション撮影によって構成されている上にその舞台がパリであること(市街地を並び歩く男女!)もヌーヴェル・ヴァーグ、なかでもゴダールとの類似を示している。しかし、これも両者に特有の類似性として特筆するには値しない。

 その他には、作中での音響演出でも両者に共通点を見出すことができる。ヌーヴェル・ヴァーグはロケーション撮影による臨場感演出の一つとして「現場」化された音楽の挿入ともいうべき手法を採用するケースがまま見受けられる。このドキュメント性の高い演出法は『カイエ・デュ・シネマ』に於いて初代編集長としてその影響力を発揮していたアンドレ・バザンの態度――モンタージュの否定、を実践したものといっていい。また手持ちカメラを用いたロケーション撮影は必然的に「記録映画」の趣向を帯びることになる。ヌーヴェル・ヴァーグが登場する以前、二○世紀前半における記録映画が密接に関係していた「政治性」をヌーヴェル・ヴァーグが再帰的に帯びていくことは後で述べることになる。

 この「現場」化された音楽の挿入という手法の代表的なものとしては、飲食店等に置かれたジュークボックスを使用して作中人物が曲をかけると、それが作中歌として機能するような演出が挙げられる。ゴダール『女と男のいる舗道』にはまさにジュークボックスから流れる曲のBGMとしての挿入が見受けられる。また同作にはヒロインが劇中で歌う曲がそのままBGMとして機能するというケースも確認することができる。とりわけ前者のジュークボックスを使用した音響演出はトリュフォーはじめ、複数のヌーヴェル・ヴァーグ作品に散見されるものだ。この演出をカラックスは長編処女作『ボーイ・ミーツ・ガール』で既に作中人物が自室でコンポーネントから流れる曲に同期して作中人物が踊る場面で採用している。

 ここまで述べた音響演出の類似はいわば作中という虚構の世界で流れている楽曲が映画自体のBGMとして機能するケースであるが、その逆もまたヌーヴェル・ヴァーグとカラックスの類似として成立し得る。それは映画に(作中世界と関係なく)BGMとして挿入された楽曲に対して同期するように作中人物が動き(踊り)だす演出である。これも「現場」化された音楽の挿入の一種とみなしていいだろう。再びミシェル・マリによる言及を引用したい。

「ヌーヴェル・ヴァーグは声の演出を一般化させた。それによって監督たちは、トーキー移行三○年を経てやっと、サウンド・トラック、とくに言葉が有するあらゆる潜在的可能性を探求することが可能になったのだ。ヌーヴェル・ヴァーグは、一九二○年代の映画理論家たちが課した映像の優先という神話を廃し、トーキーであることを恥じぬ映画を前景化した。そこでは、ルネ・クレールが『巴里の屋根の下』や『巴里祭』で行ったように、シャンソンや大衆音楽を映画に組み込むこともためらわなかった――たとえば、シャルル・アズナブール(『女は女である』での「のらくら者」、『はなればなれに』でのマディソン・ダンス)、ジャン・フェラ(『女と男のいる舗道』での「ぼくの彼女」)、ボビー・ラポワント(『ピアニストを撃て』での「フランボワーズ」)、セルジュ・レズヴァニ、別名バシアック(『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローが歌う有名な「つむじ風」)。」

 楽曲の大胆な挿入を行った作品は他にもジャック・ドゥミ『ローラ』やゴダール『男性・女性』が挙げられるだろう。マリの言及した作品の中では、ゴダール『はなればなれに』が最も極端な「現場」化された楽曲の挿入を行っている。それは主人公たち男女三人が踊るシーンにおいて複数の楽曲が挿入され、その曲に呼応して作中人物が踊っているのかの用に見受けられる場面で確認することができる(この場面は先述の「臨場感の増大」というヌーヴェル・ヴァーグ一般の目的とは異なる効果を果たしており、この問題については結論部で触れる)。

 カラックスもまた同様のパターンの「現場」化された音楽の挿入を、より過剰に行っている作家だ。『汚れた血』ではドゥニ・ラヴァンがデヴィッド・ボウイ「モダン・ラブ」と同期して疾走するシーンを思い起こす観客は多いはずだ。その他にもミレーユ・ペリエが「ライムライト」の音楽にのせて乳母車を押すシーンもこの演出に含まれるだろう。

 『ポンヌフの恋人』においては花火の打ち上がるパリの夜空の下に工事中のポンヌフ橋にてアレックスとミシェルが踊る場面に確認することができる。このシーンにおいてカラックスはほとんど“ミッキーマウシング”ともいっていい映像と音楽のシンクロを行っている。矢継ぎ早に転換されるBGMに同期するようにアレックスとミシェルは踊っており、この演出はほとんど「自動性なアクションの同期」といっていい。これはヌーヴェル・ヴァーグの楽曲挿入(と作中人物の動作の同期)とは類似しているようで、その極端さにおいて全く別物であると筆者は考える。

 つまり、カラックスにおける音楽の挿入は戯画化とでもいうべき過剰・大仰さを伴っている点で、臨場感の増大という効果を持ったヌーヴェル・ヴァーグのそれとはまったく別の効果を引き起こしている点に注意したい。この効果の差異とは、映画の内包するフィクション性への是非というヌーヴェル・ヴァーグとカラックスを分かつ姿勢の乖離に起因すると考えるが、この点に関しては後述する。最後に両者の映像・演出的類似についてもう一点だけ具体的に示そう。

「軍」の表象

 ヌーヴェル・ヴァーグはその最盛期を迎えた六○年代後半という時代が五月革命に代表される「政治の季節」であったために、必然的に政治性を帯びた作品がゴダールを中心に数多く存在する。例えばジェイムズ・モナコは「六十八年」以降のフランス映画の潮流を次のように指摘している。

「しかし、学生と労働者の蜂起が起きた一九六八年以後、大部分のフランス映画は、この事件の影響をさまざまな形で表している。一般的に言えば、フランス映画はそれまでずっと欠けていた政治的な感覚をこの時はじめて見出したのであり、その過程で新たな活力を獲得していったのである。ある意味では、イギリスの演劇と映画が一九五○時代に経験したのと同じ視点の転換を経たのであり、フランス映画は上流ブルジョワジーの狭い枠を超えて、その関心を大きく広げることになったのである」

 その時代とともに「政治」を密接に抱え込んだ六十八年以後のヌーヴェル・ヴァーグは、その作中に労働運動が登場することもあれば、戦闘機といった「軍」のイメージが表象することも少なくない。戦争を想起させるイメージの直後に反戦的アフォリズムをモンタージュさせる手法はゴダール作品に度々見受けられる(「マルクスとコカ・コーラの子供たち」といった箴言やコミュニストを嘲笑する米国人の物真似など、以前からゴダールは政治的であったわけだが六十八年以後に、その傾向はより加速された)。

 『ポンヌフの恋人』にも戦闘機と戦車がそれぞれ一度ずつ作中に表象される。まず戦闘機はアレックスが口に含んだ液体を吹きかけることで種火から大きな炎が発生させるパフォーマンスのシーン直後に登場する。大きく炎が燃え上がる何度目かのタイミングで、音響と共に画面はフランスの国旗と同じ三色の飛行機雲を発生させながら並走する戦闘機を映し出す(この音響演出は逆にゴダールが二○○二年製作の短編『時間の闇の中で』で参照していると思われる)。戦車においては一度喧嘩別れをしたアレックスのいるポンヌフ橋に向かってミシェルが市街地を走り抜けていく際に車道を埋め尽くすように連なって走っているのが画面に映し出される。それはあたかもミシェルの心象風景であるかのように勇ましく描き出される。ちなみに作品内では一切の説明が省略されているがミシェルの父親は空軍大佐であるという設定が与えられている。

 その他でも『メルド』においては日章旗や手榴弾、自衛隊といったイメージが頻出する。メルドを裁くシーンではカラックスは東京裁判の映像をもとにシーンを構想したという。

 しかし、これらの「軍」のイメージの表象にしてもヌーヴェル・ヴァーグとカラックスではその効果が明らかに異なっているように思える。ヌーヴェル・ヴァーグの諸作品の場合、「軍」のイメージは明瞭に批判すべき対象として描かれていた。また労働運動に参加する若者が登場することもその作品の政治性の(肯定するにせよ否定するにせよ)表れだった。一方でカラックスにおける「軍」のイメージの表象には政治的意図は見事に脱臭されている。そこには映像効果上の選択という審美基準しかなく、いかなる「政治」的イデオロギーも存在しないように映る。ミシェルの父親が空軍大佐であるという設定は一度も明瞭に語られることもなく、一切の背景を捨象した純然たるメロドラマとして作品は進行していく。労働運動に参加する若者を描くことも多かったゴダールに対し、『ポンヌフの恋人』のアレックスとミシェルは一切のイデオロギーを欠いたホームレス同然の存在として描かれる。『メルド』における「軍」のイメージも、作品の主軸としてメルドの徹底的な「アナーキズム」を引き立てる周辺的な配置に留まっているように映る。カラックスはその作品内でのあらゆる「政治」性を放棄しているのである。

「六○年代」と「九○年代」の距離

 ここまでヌーヴェル・ヴァーグとカラックスにおける映像・演出における類似と差異を指摘してきた。一つは「ボーイ・ミーツ・ガール」の描かれ方の類似と差異について、もう一つは「現場」化された音楽の挿入の類似とその効果の差異について、また「軍」のイメージという表象の類似とその効果の差異についてである。これ以降の結論部に関しては、類似ではなくヌーヴェル・ヴァーグとカラックスの差異について重点的に記述したい。概略としては前者二つの差異は映画が内包するフィクション性への是非に起因し、後者の差異は政治的意図の有無に起因すると考える(前者は後者を包括してもいる)。その過程において「六○年代」と「九○年代」の距離をも射程に置きたい。

 まず「ボーイ・ミーツ・ガール」というテーマの類似性であるが、これはヌーヴェル・ヴァーグ両者特有の共通点ではないことは既に述べた。また同時にゴダールとカラックス、という二者に限定をした場合にその作中における男女間の「非応答」性が特有の類似であることも既に記した。両者の男女間の「非応答」性にいかなる差異が存在するかを述べる前に、「現場」化された音楽の挿入における類似点をまずは振り返りたい。

 「現場化された音楽の挿入」に関する効果の差異だが、これはヌーヴェル・ヴァーグの同手法が「臨場感の増大」という効果を企図しているのに対し、カラックスのそれは過剰であるために「自動性なアクションの同期」といえる段階に達しており、映画のフィクション性を露呈していることは先述した。また、同時にゴダール『はなればなれに』における同様の演出もまたヌーヴェル・ヴァーグ唯一の例外として「自動性なアクションの同期」を引き起こしていることも既に述べた。

 ここで、冒頭の疑念が再び息を吹き返すことになる。「ボーイ・ミーツ・ガール」という切り口でも、他のヌーヴェル・ヴァーグとは異なりゴダールとカラックスは類似性を示した。また「現場」化された音楽の挿入でも事態は同様である――つまり、やはりレオス・カラックスはゴダールの再来ではないのか?

 この問いへの解答とつながるのが「映画が内包するフィクション性への是非」という問題意識である。結論からいえばカラックスは映画のフィクション性を肯定し、ゴダールは否定することで作品を昇華せしめた。

 まずは男女間の「非応答」性の中でのゴダールとカラックスの差異から確認をしたい。ゴダールにおける「非応答」が作中の男女間におけるものだけではなく、「映画」という制度が持つ「非応答」性を俎上にのせていることは既に指摘した(より具体的にいえば「音」と「映像」の非応答性である)。ここで、再び平倉によるゴダールの音響分析を参照してみよう。

「問題はアフレコか同時録音ということではない。映画というメディアにおいては、「視―聴覚」という感覚の生理学的区分を世界に適用しうるという信念が、技術的なレベルで無条件に肯定されているということが問題なのだ。映画にはその生誕期に十九世紀末西欧を支配していた構成主義的心理学のエピステモロジーが物質的なレベルで織り込まれている。
ゴダールの映画編集の特徴は、この映画というメディアの物質的条件を結合の場面で意識させてしまうことにある」

 平倉がここで指摘するゴダールの「映画というメディアの物質的条件を結合の場面で意識させてしまう」手法の一つに、男女間の「非応答」が含まれている。一方でカラックスの男女間の「非応答」は決して映画というメディアの「制度」を脅かしたりはしない。これが「映画が内包するフィクション性への是非」という問題意識に起因する両者の差異の正体である。

 「現場」化された音楽の挿入においても事態は同様である。まずゴダール『はなればなれに』における「自動性なアクションの同期」であるが、作中人物三人が踊る映像に合わせて複数の楽曲がサンプリング的に挿入されている。主人公たちはあるときは“ミッキーマウシング”のように完全に同期して踊り、曲が唐突に止まったり違う曲になると弱冠の「ズレ」を伴いながら踊り続ける。この「ズレ」の発生こそが先述の男女の「非応答」にも通じるゴダールが持つカラックスとの決定的な違いなのである。繰り返しになるが、それは映画という「制度」への否定的探求である。一方でカラックスの態度はその対極にあるといっていい。

 『ポンヌフの恋人』における橋上で大仰なダンス・ミュージックに同期して踊り狂うアレックスとミシェルを映す先述のシーンは、花火が橋上を交錯する演出と相まって全く「現実らしさ」を欠いているものだ。この場面に続く形でアレックスが拳銃を祝砲のように連射したり、時間軸を省略した上でアレックスとミシェルが巨大なモニュメントの上に跨っているシーンがサンプリング的に併置されていく。これらのシーンは映画それ自体が内包するフィクション性を自明的に認めた上でしか撮ることのできないカットである。

 確かに、映画というジャンルに対しての自己言及的な態度で確かにゴダールとカラックスは通底してはいる。しかし両者にみられるこの態度の差異はどうして生まれるのだろうか。ここで遠山純生によるヌーヴェル・ヴァーグ評を引きたい。

「「映画製作を描いた映画」という点で、現代映画が新たな段階(映画による自己言及)へと突入したことを印象づける。むろんそうした自己言及的場面は、無声映画期からとりわけ喜劇映画の領域にたびたび登場してきたものだが、六○年代以後の同種の作品に顕著なのは、それが必ずしも笑いを伴わない、むしろ「自意識過剰」と呼んでいい居心地悪さを帯びたものである点である。このような感触は、映画製作の機構そのものを暴いたものではなく、劇中で自らが「映画」であることを観客に意図した作品(あるいは特定の場面)が、数多く登場し始めた点にも認められる」

 例えば『キートンの探偵学入門』はここで遠山の指摘しているような無声映画期における「映画についての映画」の一つといえるだろう。問題は、なぜヌーヴェル・ヴァーグの作家陣はその「映画についての映画」を撮るときに「居心地悪さ」を感じなければならなかったのかということである。ここでまた別の言葉でヌーヴェル・ヴァーグの「居心地悪さ」を語った言葉を引用したい。

「すでに一つの映画的事象たりはじめている『ヌーヴェル・ヴァーグ』の中核をかたちづくっていた作家たちは、やれ堕落だの頽廃だの、転向だの居直りだのととりざたされながら静かに遠のいていったかにみえながら、時折りふと何食わぬ顔で送りとどけられてくる彼らの作品には、『制度』への順応によって畸形型相貌をかなり失っているとはいえ、やはりデヴュー当時いらい一貫して変らぬ共通の姿勢が認められる。その姿勢は、フランスの映画的風土の貧しさ故に果たしえなかった『コスチューム・プレイ』撮影への執着というか、かりにその機会が与えられたとしても真の『衣装劇』の構築に撤しえなかったであろう自分への、ある聡明な諦念といったものに裏うちされた不幸な影を帯びている。エイゼンシュテインにしても、オーソン・ウェルズにしても、壮大な『コスチューム・プレイ』の中でも見失われない強靭な自分を持っていたというのに、グラン・ギニョールに陥る気づかいもなく衣装と戯れうる人間は、フランスには遠くアベル・ガンズを除けばルノワールぐらいしかいない」

 ここで蓮實重彦は遠まわしではあるものの、ヌーヴェル・ヴァーグの作家群が先行する映画史(主にハリウッド)を意識しながら作品を制作していたこと、結果としてその作品が「衣装劇」でしかないことへの自意識=映画が持つフィクション性への意識を持っていることについて言及をしている。これはヌーヴェル・ヴァーグの作家軍が、五○年代というハリウッド黄金期を直近でみてきたこと、映画が誕生して半世紀ほどで大方の実験的な試みは出尽くしたという(一時の)閉塞感が影を落としているのかもしれない。ヌーヴェル・ヴァーグはその名前とは裏腹に非常に懐古的な運動体の側面も持っていたのである。

 しかし、本文で特筆をしたいのはカラックスがその「映画のフィクション性」を肯定的に自明のものとしている点である。ヌーヴェル・ヴァーグの作家群がときに批判的に、ときに自嘲的に意識せざるを得なかった映画の「衣装劇」性こそをカラックスは肯定している。荒唐無稽なポンヌフ橋での花火のシーンの後、アレックスはモーターボードを強奪し、その後ろでミシェルはウェイクボードを愉しみながらセーヌ川を疾走する。このシーンでも大量の花火が両岸から舞い散っている。そこにはリアリズムとしての整合性はなく、ただ単純に「映画」としての快感原則があるだけである。

 この「映画のフィクション性」への肯定は二つ目の差異として指摘した政治的意図の有無にも起因している。ヌーヴェル・ヴァーグの作家群がときに労働運動を捉え、ときに「軍」のイメージを表象したのはその作品が現実の政治的行動への影響をもたらすと信じていたからである。六○年代という「政治の季節」こそが彼らにそうさせたといっていいだろう。カラックスが『ポンヌフの恋人』を撮影した九○年代には五月革命に並ぶ「運動」はフランスには(ひいては日本にも)存在しなかった。もはや映画は政治的意図の表明としてのメディアである必要もなく、その力もなかった。「六○年代」から遠く離れた「九○年代」にカラックスはヌーヴェル・ヴァーグから見事に「政治」性が抜け落ちたまま、その「軍」のイメージの表象を引き継いだのである。そこにはいかなる思想信条もなく「映画」というジャンルへの妄信的な愛だけがある。

 映画という「フィクション」への偏愛と自閉こそがレオス・カラックスを特権化せしめ、その時代とともに映画史に銘記されるべき存在意義そのものである。

※参考文献
ミシェル・マリ(2009)『ヌーヴェル・ヴァーグの全体像』矢橋透訳、水声社
遠山純生ほか(2010)『紀伊国屋叢書 3 ヌーヴェル・ヴァーグの時代』紀伊国屋書店
平倉圭(2010)『ゴダール的方法』インスクリプト
園田恵子(1995)「ミュージカル映画へのノスタルジー ゴダール・清順・カラックス」『ユリイカ 臨時増刊号 総特集ヌーヴェル・ヴァーグ30年』73-77
ジェイムズ・モナコ(1983)『映画の教科書――どのように映画を読むか』岩本憲児ほか訳、フィルムアート社
蓮實重彦(1979)『映像の詩学』筑摩書房