「穴」をめぐってダラダラと


「穴」という語を辞書で引いてみた。デジタル大辞泉の第一の定義は、穴を「反対側まで突き抜けている空間」としている。これには少し虚を突かれた。というのも、穴と言われて、私は第二の定義である「深くえぐりとられた所。くぼんだ所」を真っ先にイメージしたからだ。Wikipedia(これを辞書と呼ぶかはまた別問題だが)の「穴」の記述にも、「くぼみ、へこみ」としかないことから考えると、たぶん多くの人は穴と言われると後者のものを思い浮かべるのだろう。しかし、穴には貫通しているものとしていないものがある。逆から言えば、針の穴も、地面の穴も、どちらも穴と呼ばれる。こうして改めて思いを馳せてみると、なんだかまったく違うものが同じ名前で呼ばれている気さえしてくる。なにせ、「穴があったら入りたい」などというが、そもそも前者の穴には入れないではないか。四半世紀生きてきて、このことに一度も思い当たらなかったとは。そしてさらに考え込むと、定義①と定義②が矛盾したものであるかのようにさえ思えてくる。「深くえぐりとられた所」は、絶対に「反対側まで突き抜けて」はいないからだ。これらがどうして同じ穴という言葉で呼ばれているのかはわからない。英語のholeやフランス語のtrouを調べてみても、両方の意味がある。仮に、「反対側まで突き抜けている」ものを穴①、「深くえぐりとられた」だけのものを穴②としてみよう。前者は針や靴下に空いた穴、後者は地面に空いた穴ぼこなどのことだ。一見すると、穴②が三次元的にしか捉えられない(これは説明不要だろう)のに対し、穴①は二次元的な把握を可能にするようなものにも見える。針や靴下の薄さは、ほぼ平面的なものであるからだ。しかし、この「ほぼ」こそが重要であって、実際には穴①も三次元的にしか捉えられない、というのがおそらく正解であろう。辞書の定義に戻るなら、「反対側まで突き抜け」る為には絶対的に三次元的空間が必要だからだ。そこで、改めて穴というものを定義し直してみると、「三次元にしか生起しない空間」と言ってみることができるかもしれない(四次元などの話は、わからないので措いておくとして)。しかしこれでは話が進んでいないような気もしてきた。ここで思い切って、穴とは何の関係もない話をしたい。「特異点の解消」という研究でフィールズ賞を受賞した数学者に広中平祐という人がいる。この分野にまったくの門外漢であることを断ったうえで乱暴に説明するなら、特異点とは、例えば∞という形において、線が重なった真ん中の点のこと(8←ココ)だ。この特異点は、二次元的に把握されている限りにおいては「解消」できないが、次元をひとつ上げ、三次元的に把握すれば「解消」される。立体交差の道路をイメージしてもらえば、「解消」(=車がぶつからない)の意味するところも瞬時にピンとくるだろう(こない人はググってください)。そもそも穴が二次元的に把握できないものである以上、断っておいたとおりこの話は穴とは無関係なのだが、私の中でこの両者が結びついた、という点においては関係アリだとも言えるかもしれない。つまり言いたいのは、私は当初、辞書を引くことで「穴」を文学的に捉えようとしたが、穴はどうやら数学的に考えた方が面白そうだということである。位相幾何学などを勉強すると、少しは穴について深く考えられるのだろうか。中学2年で数学の世界からきっぱりと身を退いてしまったことが、今になって大きく悔やまれるのであった。