朝日の復讐


 時刻は午後10時をお知らせします。

 東京の夜景は相も変わらず綺麗だとタクシーの窓の外を見て思う。タクシーで移動することさえ特別だと感じていた自分はもういない。しかしそれを想起させるような景色に一気に顔が熱くなる。“若さ”はもう思い出したくない。ほとんどの高層ビルが灯りをつけて高く高く天に向かっている。あの建物は仕事をしている人がつけている灯りか、あっちの建物は幸せなカップルが日頃の愛憎確かめ合っている灯りか。タクシーのシートの香りと余裕のなさそうな運転手の手が現実に引き戻す。

 私がまだ学生だった頃、私は想像以上に何もできなかった。そして何もできないことにさえ気がついていなかった。毎日自由で、うららかで、秋や冬さえポカポカして感じるような日々だった。大学生になったというのに、だだ広い田舎の校舎を駆け巡り、映画を撮ったり写真を撮ったりやりたいことだけに没頭した。それから4年経ち、電車に間に合わないときでさえ走りたくないと思う程度に大人になった。ハイヒールの選び方を覚え、楽な靴ばかり履いている。よくある形の合皮のバッグを持ち、電話に出るときは声のトーンが上がる。そして私はふと思い出した。うららかだったあの時を。

 吸い寄せられるように昔住んでいた大学のすぐ近くの土地に電車で行った。1時間もかけて移動し、何かを探し出すように電車の窓からの風景を見つめた。こんなにも懸命に目を細めても、零れ落ちるように足りない手がかりに虚しくなった。私は、降りた街のことをほとんど覚えていなかった。懐かしくなるに違いないと期待していた、街が変わっていたら寂しいだろうと。でも私は何も、感じることさえできなかった。まるで初めて降りた街のように。ただ、いいかげんな記憶をたどって昔借りていたマンションの前まで来た。何階に住んでいたかさえ覚えていない。両親が上京を喜んで借りてくれた角部屋の、飾り窓だけを覚えていた。色んな色のステンドグラスが、くたびれたように光っていた。

 街は何も変わっていなかった。一つ一つの要素は覚えていたし、変わっていないことも理解できた。でも、私が生きていた場所だった実感だけがついてこなかった。私はその頃、自分自身を生きていなかったのだと突きつけられた。なんでもできるような気がして、どこへでも行けるような気がして、気がしたままぼんやり暮らしていただけだったのだ。車に乗れるようになったわけでもない、生活スタイルが著しく変わったわけでもない。両親の存在も、恋人さえ変わっていない。そこには“若すぎて”全てが無謀だった、臆病で輝かしい私の過去があった。もしもこの頃が朝日なら今は夕焼けなのだろうか。今も同じように楽しく充実した毎日を送っている。けれど突然振り返った場所に、想像とはかけ離れた自分がいた。

 4年前の私に偶然出会えたことには感謝している。なぜ突然思い出したのかも、足を運ぶに至った理由も、そして私が感じていた日々とのギャップも、全てが明確ではないけれど。私が今、何か得体の知れないゴールに向かってスタート地点にいることだけは分かっている。その道を走り抜けるとき、私が出会った4年前の彼女は私にたくさん問いかけてくれるのではないかと思う。知らなかった全てのことを、知ったから。知ったからできなくなったこと、知ったから不安になったこと、知れて感謝していることの全てを手のひらからポロポロと落としてくれるような気がする。今は自然と口を閉じて笑うようになってしまった。歯並びさえ気にしない、ニッと笑った顔。何も知らなかった頃の、あどけない笑顔で。

執筆:沼本奈々

(本稿は第23回文学フリマ東京会場にて頒布したミニコミ『ヱクリコ 2』からの再掲です。)