『ラ・ラ・ランド』と青の神話学 ――あるいは夢みる道化のような芸術家の肖像 (フール・ロマン派篇)


「ユニバーサル」から「ユニバース」へ――「普遍青」の探求

 

「イメージのカオスで、きみに“普遍青”を捧げよう」

デレク・ジャーマン『Blue』

 

 『ラ・ラ・ランド』の配給会社は「サミット」であるが、この映画は「ユニバーサル」である、などと言って攪乱するようだが、普遍言語ユニバーサル・ランゲージという意味においてである。セブがジャズ嫌いのミアに「ジャズはニューオリンズの安宿で生まれた。言葉の違う人たちが会話するための唯一の方法がジャズだった」と講義するとき、図らずもセブは『ラ・ラ・ランド』自体の普遍言語性に自己言及していたことになる。

 「ビッグ・ムービー」と呼ばれるジャンルがある。現代の「ブロックバスター・ムービー」のような下品なものではなく、国も時代も超えて誰が見ても感動する往年のハリウッド黄金時代の映画。『ラ・ラ・ランド』は紛れもなくその系譜に位置づけられる[37]。巨大な一者アインハイトを目指すために、フラグメンツを組み合わせて出来上がったロマン派の代名詞たる「フランケンシュタインの怪物」(M・シェリー)こそが本作である。その継ぎ接ぎだらけの怪物がしっかりと動いたことに我々は感動する。「断片から神秘主義へ」(富山太佳夫)というロマン派イデオロギーに照らし合わせれば、道化服的ブリコラージュの産物たる『ラ・ラ・ランド』があのエピローグの夢幻世界ファンタスムへと至ることは必然であった。断片にすべてがあるのだ。グリフィス天文台に突如として現れるテスラ・コイルや、デートスポットのワッツ・タワーといった現れては消えゆく断片に、我々は「エピファニー」(ジョイス)を発見する【図13

 

13.「マッド」・サイエンティストであるニコラ・テスラへの目配せは、ミアとセブもまた夢を追いかける「マッド」な人間であることを暗示する。

 

 『ラ・ラ・ランド』が結合術によるユニバーサル・ランゲージの獲得を達成したものだったとして、最後に冒頭の「青の観念史」に帰還しよう。デミアン・チャゼルの次回作は、再びライアン・ゴズリングを主演に迎えた『ファーストマン』というニール・アームストロングの伝記映画であるが、そうなると思い出されてならないのは、アームストロングと同じ宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」というあの言葉であろう。再び小林康夫の『青の美術史』より引く。

このとき〔=アポロの月面着陸〕以来、地球上のすべての言語にとって、「青」はこれまでになかった画期的な、新しいコノテーション(含意)を獲得します。以来、青は、地球の色であり、われわれの棲む地球は、「青い惑星」でもあるのです。[38]

 皮肉イロニーとして、詩人マラルメが見上げたあの呪われた《靑空》は、ひとたびパースペクティヴが宇宙にまで浮上すれば、人類共通の感情を呼び起こす「普遍青ユニバーサル・ブルー」として宇宙ユニバースり見下ろされる大いなる色彩となる。

 ガガーリンに影響を受けたイヴ・クラインが、1958年の「空虚」展のオープニングの夜に宣言した「青色革命」もまた、「個人あるいは国家などのある限定された枠の中での利益や幸福を追求するのではなく、人類全体のための恒久的な理念を実現する」[39]ことを夢みた政治的・経済的システムの実現を提案したものだったことを思い出せば、この「青」はガガーリン的パースペクティヴからみた「普遍青」――クライン式に言えば「IKB(インターナショナル・クライン・ブルー)――であったと知れよう。

 撮影中に、学生時代からのつき合いである妻との離婚を経験したチャゼルの心引き裂かれるブルース(憂鬱)は、『ラ・ラ・ランド』を表現媒体にすることによって、デレク・ジャーマン云うところの「普遍青(ユニバーサル・ブルー)」の天空に突き抜けた。昨日の夢みる愚者が、明日の宇宙飛行士になる。かつてフレッド・アステア――そのAstaireなる名はstar(星)の響きを隠し持つ――という一人の超人的ダンサーの遊星のごとく軽やかなタップによって達成された映像の「ゼロ・グラヴィティ」は、砕け散ったアステアの断片をかき集めるようにして出来たユニバーサル・ランゲージとしてユニバース宇宙へ飛び立つ【図14】。「愛の天体」となったミアとセブがプラネタリウムのシークエンスで宇宙に飛翔するあの美しさは、青い地球が美しいことと何ら遜色ないチャゼル流の「普遍言語」だったのではなかろうか。

 

14『恋愛準決勝戦』において、四方の壁を踊りまわり「愛のゼロ・グラヴィティ」を表現するフレッド・アステア。砕け散った「ハリウッドの夢」を(不完全ながらも)ブリコラージュすることによって生まれたユニバーサル・ランゲージ=『ラ・ラ・ランド』が夢みた無重力=ユニバースは、このアステアの軽やかで完全な超人的ステップを常に志向する。

 

後藤護

※2018年1月9日付で「メタモダニズム」に関する記述を修正しています