『ラ・ラ・ランド』と青の神話学 ――あるいは夢みる道化のような芸術家の肖像 (フール・ロマン派篇)



《図版出典》

図1-5、8、10-11、13 デイミアン・チャゼル監督『ラ・ラ・ランド(Blu-ray)』(発売元:ギャガ、販売元:ポニーキャニオン、2017年)よりキャプチャー。

図6 Michael H. Miller, “$7.8 M. Artist Record for Christopher Wool Set at Christie’s Evening Sale,” in Observer (posted on 02/14/12 2:45pm).

http://observer.com/2012/02/new-artist-record-for-christopher-wool-set-at-christies-evening-sale/

図7 Dan Piraro, “Punny Paris,” in Bizarro (Posted on July 19, 2008).

http://bizarro.com/2008/07/19/punny-paris/

図9 アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督『バードマン(DVD)』(発売元:20世紀フォックス・ホームエンターテインメント・ジャパン株式会社、2015年)よりキャプチャー。

図12 ヒエロニムス・ボス『最後の審判』(拡大図)、『Wikimedia Commons』より。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hieronymus_Bosch_036.jpg

図14 『フレッド・アステア大全集』(コスミック出版、2011年)所収の『恋愛準決勝戦』よりキャプチャー。

 

 


《脚注一覧》

[1] 精神分析的な方面からは、ジュリア・クリステヴァの「ジョットの喜び」という論文の以下の記述が、人間存在における「青」の始原性を見事に把えている。

 じっさい、プルキニエの法則は、かすかな光のなかでは、短い波長の色の方が長い波長の色にくらべてよく見える、と認めている。そこで、日の出の前には、青が識別可能な最初の色となるのだ。こういう条件のもとでは、青い色にたいする知覚は網膜周辺の桿状体によるものであるのにたいし、対象のイメージをとらえたり、そのかたちを識別するのは円錐体(中心窩)をふくむ網膜中心部なのである。青の知覚は対象の非‐識別を必要としているとか、青は対象の固定したかたちのこちら側にあるいはむこう側にあるとか、青は現象の識別を逃れる領域であるとかいう、アンドレ・ボーロカのパラドックス表現にしたがいながら、こういう仮説にあえてしたがってみる価値もあろうというものだ。それだけではない。中心窩は、厳密なことを言えば、(生後16か月の)人間の眼の中で、いちばん最後につくられる部分なのである。この事実は中心に置かれた視像、その固有のイメージを識別することをもふくめた対象の識別が、色の知覚よりも後にやってくる能力であることをしめしている。色の知覚のもっとも原初的なものが短い波長の色の(つまりは青の)知覚なのであろう。色彩の非‐中心化された効果、ないしは脱‐中心化する効果がそこにあるわけだ。

 なお引用は中沢新一『野ウサギの走り』(思潮社、1986年)所収のイヴ・クライン論「聖杯を探求するタンタン」より抜粋したもの(36頁)。引用箇所は中沢氏による翻訳と思われる。

[2] 「リヌス・サンドグレンが撮影を担当してくれた。まるでグレゴリー・クリュードソンの写真やエドワード・ホッパーの絵のようだ。ジャック・ドゥミ作品のような昔のミュージカルとは異なった趣きの映像だと思う」(『ラ・ラ・ランド(Blu-ray)』音声解説より)

[3] 小林康夫『青の美術史』(ポーラ文化研究所、2000年4刷)、84頁。

[4] 「黒(ノワール)」へのチャゼルの目配せは、ミアの部屋に貼ってあるロバート・シオドマク監督の『殺人者』のポスターや、前作『セッション』で主人公が映画館に観にいくジュールス・ダッシン監督『男の争い』などフィルム・ノワール映画への作中での言及からも明らかだ。LAという光り輝く太陽の街には常に「黒い太陽」(J・クリステヴァ)が同時存在することは、既に前作「楕円幻想としての『ラ・ラ・ランド』」でも触れた。

[5] 音声&映像特典「妥協のないセットと衣裳」、『ラ・ラ・ランド(Blu-ray)』(発売元:ギャガ、販売元:ポニーキャニオン、2017年)Disc2所収。

[6] ウィリアム・H・ギャス、須山静夫+大崎ふみ子(訳)『ブルーについての哲学的考察』(論創社、1995年)、145頁。

[7] ミシェル・パストゥロー、松村恵理+松村剛(訳)『青の歴史』(筑摩書房、2005年)、153頁。

[8] パストゥロー(2005年)、152頁。

[9] パストゥロー(2005年)、147頁。

[10] ギャス(1995年)、144頁。

[11] アト・ド・フリース、山下圭一郎(他訳)『イメージ・シンボル事典』(大修館書店、1984年)、71頁。

[12] J・スタロバンスキー、大岡信(訳)『道化のような芸術家の肖像』(新潮社、1975年)、117頁。

[13] スタロバンスキー(1975年)、85頁。

[14] 大岡信「人ミナ道化ヲ演ズ――近代性の証人としての道化――」、スタロバンスキー(1975年)、158頁。

[15] 『ラ・ラ・ランド(Blu-ray)』のチャゼルと作曲者ジャスティン・ハーヴィッツのオーディオ・コメンタリーによれば、もう一つのラストシーンがあったという。ミアがセブズを飛び出して車に飛び乗り、日の出を迎えながら一本の道を突き進むというもので、ここでチャゼルは『モダン・タイムズ』のラスト――永遠に続くかと思われる一本道を画面奥に向かって歩んでいく――を意識したという。

[16] 平岡正明『チャーリー・パーカーの芸術』(毎日新聞社、2000年)、35頁。

[17] スタロバンスキー(1975年)、119頁。

[18] ウィリアム・ウィルフォード、高山宏(訳)『道化と笏杖』(晶文社、1992年5刷)、119頁。

[19] コンスタンティン・フォン・バルレーヴェン、片岡啓治(訳)『道化――つまづきの現象学』(法政大学出版局、1986年)、100頁。

[20] 平岡正明(2000年)、361頁。

[21] マイケル・キートンがパンツ一枚で阿呆のように駆け回り、そのままステージで迫真のアドリブ演技を披露するシークエンスは、以下の平岡のチャーリー・パーカー評と対照させることで道化の「鶏性」(反転して神格)を際立たせる。

パーカーは走る。鶏やキウイやロードランナーやヤンバルクイナの類いの、翼は退化したがひたすら走る鳥類の労働者階級を思わせる。地上の騒ぎを眼下に悠然と天翔る白頭鷲なんかじゃなく、騒ぎの中を走って走って走りぬける超スタミナの鶏なのだ。入管を走って突破する。税関も走りぬける。国境警備隊の検問も走って通りぬける。騎馬警官の馬腹の下を走りぬけ、車が流れる川のようなハイウェイを水切り石のように跳ねて走りぬけ、信号も雑踏も劇場玄関も走りぬけ舞台にかけ上ってアルトサックスを構えると、鶏は神格にかわる。(平岡正明(2000年)、361-362頁)

 

[22] ジョン・ノイバウアー、原研二(訳)『アルス・コンビナトリア――象徴主義と記号論理学』(ありな書房、1999年)、161-162頁。

[23] このシュレーゲルの言葉はノイバウアーの引用による(ノイバウアー(1999年)、173頁)。

[24] 原研二「解説」、ノイバウアー(1999年)、291頁。

[25] ノイバウアー(1999年)、173頁。

[26] ノイバウアー(1999年)、171頁。

[27] 高山宏『アリス狩り(新装版)』(青土社、1995年)、148頁。

[28] 高山(1995年)、162頁。

[29] この3つの語はどれもmirari(不思議に思う)というラテン語に由来する反射=反省的語源をもつ。

[30] 谷川渥『鏡と皮膚――芸術のミュトロギア』(ポーラ文化研究所、1994年)、6-7頁。

[31] バーバラ・A・バブコック、高山宏(訳)「私を混沌に織りあげて――儀礼的道化をめぐる断片と思考」、ジョン・J・マカルーン(編)『世界を映す鏡――シャリヴァリ・カーニヴァル・オリンピック』(平凡社、1988年)、170頁

[32] 高山宏『メデューサの知』(青土社、1987年)、236頁。

[33] ラインホールド・ニーバー、大木英夫+深井智朗(訳)『アメリカ史のアイロニー』(聖学院大学出版会、2002年)、231頁。

[34] ノースロップ・フライ、海老根宏+中村健二+出淵博+山内久明(訳)『批評の解剖』(法政大学出版局、1980年)、310-333頁。

[35] Jim Collins, “Genericity in the 90s: Eclectic Irony and the New Sincerity,” in Jim Collins, Hilary Radner and Ava Preacher Collins (eds), Film Theory Goes to the Movies (New York: Routledge, 1993), p.242, 245.

[36] ハリウッド黄金期ミュージカルの「偉大なる手法」(グラン・マニエラ)を模倣・集積し、一つのサンプリング芸術を構成せんとするチャゼルのマニエリスティックな意志が『ラ・ラ・ランド』では貫かれている。こうして本作がマニエリスム・アートにならざるを得ない理由を、美術史家アーノルド・ハウザーが『芸術と文学の社会史2――マニエリスムからロマン主義まで』(平凡社、1968年)の中で以下の如く説明してくれている。

マニエリスムが古典主義のお手本を模倣したことは、襲いかかってくる混沌からの逃避であり、マニエリスムがその形式を主観的に誇張したことは、形式が生に対して無力となり芸術を倦ましめて魂なき美にしてしまいはしないかという恐怖感の現れだということが理解できないと、マニエリスムは理解できないのである。(高橋義孝訳、427頁)

 引用の「マニエリスム」を「ラ・ラ・ランド」に置き換えても全く問題なく通じる文章である。『ラ・ラ・ランド』は失われたハリウッド黄金期のミュージカル映画の断片からなるサンプリング芸術であるが、つまるところそれは世界を引き裂かんとするトランプ政権という「襲いかかってくる混沌からの逃避」を目論むゆえの様式過剰なのであり、それは黄金時代の映画に宿った「魂ある美」を復活することを最終目標とする、といえるのではないか。

[37] 「オルタナ編集者」郡淳一郎氏より、フランク・キャプラの一連の映画に「ビッグ・ムービー」性は見いだされるという示唆を受けた。この最終章は氏の発言がなければ完成しなかったことを記しておく。

[38] 小林(2000年4刷)、171頁。

[39] 『イヴ・クライン展図録』(高輪美術館他、1985年)、73頁。