石田祐康 & 新井陽次郎インタビュー(『ペンギン・ハイウェイ』):連載「新時代の映像作家たち」


ファンタジーとリアリティ、作品の伝える「世界の捉え方」について

――美術設定についてもお聞きしたいと思います。先ほど新井さんがペンギンをして「プログラム」に喩えられていましたが、この作品の世界全体がどこか「つくり物」めいても感じられます。たとえば建物なども三角形の屋根がひたすら続いている光景がある。「プログラム」としてのペンギンが去った後の街は、はたして日常的な現実の世界として想定されているのかということが気になりました。

石田 すべてがすべて「つくり物」ですっていう風にはやりたくなかったんですね。おっしゃられたような建物の背景も不思議といえば不思議なんですが、実際にある風景なんですよ。原作の時点で「レゴブロックで作ったような街並み」とかいった記述はあったので、そういった場所をロケハンしたということなんですが。
 ああいった風景って、自分の中ではわかるリアリティなんです。僕の実家自体は古い街並みにあるんですが、近くの丘を登っていくと、山を切り崩して作った「ニュータウン」的な街があって。そこに行けばきれいな家もあるし、友達も住んでいたので、きれいな部屋で遊べるという記憶もあって……バブル期以降の日本ではありふれた光景だとも思うんですよね。

©2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会

石田 ファンタジーを描くために、それに対するリアルを描くことによって、ファンタジーの浮き出方を強調したかった。あくまで日常の中で起こる一瞬の非日常ってことは大事にしたかったんです。ですから街並みにしろ、アオヤマ君の部屋の小物類のひとつひとつにしろ、なるべく大事にリアルに描きました。

 以前作っていた『陽なたのアオシグレ』という作品では、もうちょっとふんわりした、ファンタジックな描き方をしていたんですよ。それよりだいぶ今回は現実寄りの描き方に寄せたんです。黒はしっかり黒を使うとか、あんまりド派手な色は使わないとか。『ペンギン・ハイウェイ』の街並みがカラフルに見えても、実際には使っている色合いってそんなにファンタジックな色はしていないんです。やっぱり2時間見続けられる説得力のある作品にするには、そういうところの地道な積み重ねが必要なんじゃないだろうかという思いがありました。まだまだ高みはあると思うんですけど、現時点でできる限りのことはやれたかなと思います。

――これまでの森見さんの映像化作品とは違ったリアリティの感覚が感じられたのですが、納得しました。一方、クライマックスで登場する街並みや〈海〉の内部は完全な異界のような空間になっていますよね。ゲームのバグのような……カメラ(プレイヤーの視点)が床の下に入ってしまったときのような光景が広がっていて。あれは僕らが当たり前だと思っているリアルの、ちょっと裏側を感じさせるファンタジーの表現という感じもして印象的でした。

石田 それは原作にもほのかにあったニュアンスなんですけど、そのシーンを作る上での考え方として自分からも改めて提示したものでもありました。この街やアオヤマ君の住んでいる――僕たちの住んでいる――世界というものが、僕たちには計り知れない存在、神様と言ってしまえばそれまでなんですけど、そういう何かしらのルールに基づいて作られている世界なんじゃないだろうか? と。仮に神様のような存在がいるとして、神様はこの世界を作るために『シムシティ』みたいな要領でパーツを揃えて、それを土台の上にくっつけていった。その結果として出来上がったのが、アオヤマ君が――僕たちが住んでいる世界で。そのやりかけの、パーツがほったらかしたままに置かれた資材置き場みたいなところが……と、これ以上は想像の余地を削ぐので言いたくないのですが――しかもそれはあくまで自分達が絵を描く上での仮説みたいなものなので――要はそういった描写を通して日常に潜む世界の根っこや奥行きが暗に示せるような、そこからまた想像してもらえるような作品になったらいいなとは考えましたね。

――『シムシティ』というタイトルも出ましたけど、世代的にもゲームにはけっこう親しまれていたんですか?

石田 僕は『アーマード・コア』というゲームのシリーズ、特にプレイステーションの頃の作品を、滅茶苦茶やり込んでいたんです。あのゲームでは全てのことをやり尽くした後に、最後に残されたやり込みどころと言ったら、バグ(グリッチ)探しなんですよね。その中に「土遁の術」というのがあって。特定のパーツの組み合わせとコマンド操作をすることで、戦闘中に唐突にポーン、と地中に潜っていくんです。潜って行った後のそこの世界の、何と言ったらいいんだろう……ディストピア感のようなものが、もう少年心にすごい呼びかけるんです。「なんなんだこの世界は?」と(笑)。いつまでもどこまでも落ちていくし、上を見上げれば先程のフィールドがどんどん遠ざかっていく。『天空の城ラピュタ』でラピュタが崩壊し終わった後に、永遠に登り続けていく姿を見つめるシータとパズーのような気分なんですよ!

(一同笑)

石田 自分があれだけ歩き回っていたステージが、もう点になるぐらいまで、ずっと遠ざかっていくんです。そして真っ青な空が見える。広大に思えたそのステージが、外側から見ると意外にちっぽけに見える……そういった世界観の捉え方というのは確かに、言われてみると思い出しましたね。
  『ペンギン・ハイウェイ』を作るときも、 原作からそういう感覚が何か呼び覚まされたという感じはありました。確かにリアリティをもって描くということはあるんだけど、でも裏側を見てみると何か自分たちとは別の高次元の存在がいて、そいつらが作った箱庭の中で踊らされているんじゃないのかっていう。それこそ、『マトリックス』とかも大好きだったんですよね。踊らされているんだけど、踊らされているのもそれはそれで楽しいよねっていう。

©2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会

「子供」と「大人」というテーマについて

――最後にお聞きしたいのは、今作における「子供」と「大人」の対比についてです。ハマモトさんのお父さんが歯科医院に来てお姉さんと話をするというくだりは、原作にはなかったですよね。「娘(ハマモトさん)のノートを見てしまった」という発言も、原作ではなかったものですし。そのあとアオヤマ君に対して歯科医院に来た理由をはぐらかすのも含めて、「大人は嘘をつく、ずるい存在だ」っていうメッセージが込められているようにも思ったんですが。

石田 なるほど。うーん……そういう風に受け取られたんだとしたら、面白いなとは思いつつ、若干敗北かもしれないですね。

――えっ、それはどういったことなんでしょう。

石田 いや、あれは逆に、あのくだりを省いたら、彼の立ち位置がもうちょっとわかりやすい、アオヤマ君に敵対する大人役になってしまいそうな気がしたということなんです。ハマモトさんのお父さんは、ちゃんと自身の非も認めつつ、それでも抗えない研究者としての欲求がある。アオヤマ君を同じいち研究者として、ライバルとして扱っているからこそ、真摯でありたかったということで。

――ああ、理想に生きるアオヤマ君と、ある種大人になって現実を知った彼との対比のような……

石田 その対比でもありますね、彼は現実の中で戦っている人ですから。人間臭さがほしかったというのもあります。ああやって見てはいけないものを見てしまう……という。あと一番大事なのは、ちゃんと親としてしっかりした人として描きたかったということですね。娘のノートを見ちゃったってのは確かによくないことなんですけど、それでも娘のことを信頼している、かつ娘のことを守りたいっていう気持ちは描きたかったんです。「娘のことは信頼している、だからどうしても気がかりだ」「(娘は)いっぱしの研究者だから、ノートに書いてあることは完全な嘘とは思えない」という台詞にも表れている。

――監督の、そしてスタジオコロリドとしてのいままでの作品を見ても、子供を中心に描かれることが多かったと思うんですね。で、その上で今回、いまおっしゃってくださったように大人の存在もクローズアップされてきている。今後の作品というところも含めて、「子供」というものに対する思いだったりとか、今回の作品を経てまた一歩踏み出したという感覚があるのかとか、お伺いできればと思うんですが。

石田 そうですね……確かに少なくとも自分がやったものでは、あまり大人の存在感が大きくなかったかもしれないですね。今回の作品は原作を手にとって、大人の存在の大きさ、でもだからといってベタベタとはしてこない、ほどよい距離感で背中を押してあげる程度の関係性を感じて。大人が子供を信頼して、あくまで成長を見守ってくれているっていう距離感は、僕の理想でもあったので、その感じは描きました。僕の親もそんなにベタベタしてくるような感じではなかったんですよ。僕自身、自分がいいと思ったものは勝手に、親と関係なくひとりでやっていたので。だからアオヤマ君と彼の父親の関係も「いいな」と。

――今後、大人が主人公となるアニメを作られる可能性はないですか? あるいは「おじさんと少年」……親子ではないまた独特の関係性というか。

石田 ああ、『レオン』的な、あれは「おじさんと少女」ですけど、ありますよね。確かに何かこう「小さきものと大きなもの」っていうコントラスト、取り合わせには惹かれるものがあります。アオヤマ君とお姉さんがそうなんでしょうけど(笑)。だけどそうですね、ちょっと渋めの路線、おじさんも出して、さらにハードボイルドまでいっちゃうってレベルのものは……ちょっとまだいまは実感が湧かないですね。中学のときアニメにハマり始めたときはそういうものばかり観てたんで、わからないでもないんですよ。ですけど、自分が作るとなったら、ちゃんと実感をもって、自分のこととして描けるかどうかってのが絶対大事なので。はたして「おじさん魂」を自分のこととして描けるかどうかというのは……

新井 つまり自分がおじさんになってから描くと。まだ描けないということですね(笑)。

石田 自分たちなりのものは見つけていきたいですよね。いまのところはまだ子供がメインの作品が多めですけど。でも、次のことはまだ全然考えてないんですけど、ざっくり何かって言われたら……それは子供を描きたいですよね(笑)。それはあります。

――次回作にも期待しています。本日はありがとうございました!

〈プロフィール〉

石田祐康(監督)
1988年生まれ、愛知県出身。愛知県立旭丘高等学校美術科に入学。在学中にアニメーションの制作をはじめ、2年生の時に処女作「愛のあいさつ-Greeting of love」を発表。京都精華大学マンガ学部アニメーション学科に進学し、09年に発表した自主制作作品「フミコの告白」は、ぐいぐいと惹きこまれるスピード感と圧倒的なクオリティで話題に。第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞、10年オタワ国際アニメーションフェスティバル特別賞、第9回東京アニメアワード学生部門優秀賞など数々の賞を受賞。11年に同大学の卒業制作として発表した「rain town」も第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞などを受賞し、2年連続の受賞となった。
13年、劇場デビュー作品となる『陽なたのアオシグレ』を発表。監督・脚本・作画を務めた本作は、シンプルなストーリーながら疾走感あふれる映像が話題となり第17回文化庁メディア芸術祭にてアニメーション部門の審査委員会推薦作品に選出された。14年にはフジテレビ系「ノイタミナ」の10thスペシャルアニメーション「ポレットのイス」を制作。本作『ペンギン・ハイウェイ』で劇場長編作品監督デビューを飾る。

新井陽次郎(キャラクターデザイン)
1989年生まれ、埼玉県出身。日本工学院八王子専門学校でアニメーションを学ぶ。08年にスタジオジブリ入社。『借りぐらしのアリエッティ』(10年)、『コクリコ坂から』(11年)、『風立ちぬ』(13年)などにアニメーターとして参加。12年にスタジオコロリドに移り、『陽なたのアオシグレ』(13年)でキャラクターデザイン・作画監督、アートプロジェクト「Control Bear」のPV「WONDERGARDEN」で監督を、フジテレビ系「ノイタミナ」の10thスペシャルアニメーション「ポレットのイス」でキャラクターデザイン・アニメーションディレクターを務める。15年に公開し、臨場感あふれる映像で話題になった短編映画『台風のノルダ』では劇場作品初監督を務め、第19回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で新人賞を受賞。TVCMでは「マルコメ」や「パズル&ドラゴンズ」なども監督。他に、児童書や小説の装画・挿絵のイラストも手掛けている。

※カッコ内表記は『ペンギン・ハイウェイ』における役職

〈作品情報〉
『ペンギン・ハイウェイ』
公開日:2018年8月17日(金)
出演:北香那、蒼井優、釘宮理恵、潘めぐみ、福井美樹、能登麻美子、久野美咲、西島秀俊、竹中直人
原作:森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』(角川文庫刊)
監督:石田祐康
キャラクターデザイン:新井陽次郎
脚本:上田誠(ヨーロッパ企画)
音楽:阿部海太郎
主題歌:「Good Night」宇多田ヒカル(EPICレコードジャパン)
配給:東宝映像事業部
制作:スタジオコロリド
上映時間:118分
©2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会
公式サイト:penguin-highway.com

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