山田光(撮影:齊藤聡)
その遠くにいたのは、会場内にただ一つある小部屋に一人鎮座していた山田光だった。改造されたサックスにはドラムブラシが付属し、右足にはボリューム・ペダルらしきものがある。そこからどどどどんと道路工事のような諧謔的低音が正確に発せられていた。やわらかい打楽器の音が机の上にあるなんらかの機器からスピーカーに伝う。わたしがこの情報を持っているのは、ずっと聴取しメモしていたギャラリーの中心地を離れ、足音をそこまで気にせずに部屋まで入っていったからだ。情報のほしいわたしにだってそれはかなりためらわれたが、まわりはもっとそうだろう。
段々と部屋のなかには観客がひと目を気にしながら入ってきた。それを急かすように二つのリズムは謹直である。われわれは闖入者たるはずなのに、楽器と演奏にそれを意図され、構築されているような気さえしてくる。音域は多大に広がる。野川のそれもそうだったが、あれは低い音量ゆえでの緊張というものだ。これは幅広い音量と音色でのバロックな支配であり、単独の協奏と呼べるものははじめてであった。
部屋のなかは伽藍のような荘厳さと正確さに満ちていて、そしてその怒りも存分にたたえていた。詩的な言葉ではそれを寂しさと呼ぶ。音の多寡を制御しきった山田にずっと共通していたのは痛切な拒絶。そしてその残響であり、わたしが部屋を譲って去ったあとに聞こえるそれはいわゆる笛の音のようだった。山田はもっともこのイベントの趣旨を実践していたように思う。だがそこに山田の音楽的経験だけがイディオムとして拒絶されていて、野川のような普遍的悲痛さには欠けていた。
加藤綾子(撮影:齊藤聡)
5人目のバイオリンがどこから聞こえたのか、これは山田以上にわからなかった。もうどう聞いたって鮮やかなバイオリンの音がして、時間帯的にも状況的にも演奏の参加者がはじめたそれなのに、元の位置にもどってもなんの手がかりも得られない。ピッチカートもボウイングもあでやかで、池田のフルートとはまた違った学術性を背景にしていた。しっかりと音楽的に呼応しているように聞こえる。まるでカデンツァのように。
そう思っていると、隅の急な階段が騒がしい。それはどうやら屋根裏というか天井裏のような場所につながっていて、そこには加藤綾子が過剰な丁寧さでバイオリンをピッチカートしていた。観客からそれはその階段を通じねば完全に隠されていた。山田の隔離とはまた違う。それは疎外だった。非常に高い演奏技術はその疎外の訴えをダイレクトに伝えるようだった。演奏の単純な楽しみと、観客という複雑さの悲しみに満ちていた。のちに加藤は2階にせり上がってくる観客の体験を恐怖という形容で語っている。だからか彼女はいきなり持ち場を離れて前進し、階段を降ろうかとしていた。いや、演奏者から逃げなければならない演奏とはわたしの人生では初めての経験だった。わたし以外の観客も大急ぎで立ち去っていくのが滑稽に思えた。
階段の途中ではそれまで「バイオリン」に忠実だった加藤が突然複数弦での和音を奏でたりして、観客と演奏者が自覚的に曖昧になって音楽のアトラクションと化している。わたしの耳の限りではチューニングもスタンダードな音階での即興演奏で、その技術と表現力も相まって「演奏の完成度」という目を背けたくなる尺度を否応なく突きつけられる。それは確かに、彼女が会得してきたものの自意識と解除の問題であった。
岡田拓郎(撮影:齊藤聡)
階段を降りきったところで、隣にはエレクトリック・ギターを持った岡田拓郎がいた。岡田は演奏イベントのあとに行われたトークセッションの前にそそくさと帰ってしまったため他の演奏者と違って話を聞くことができていないのだが、アタッシュケースのなかのファズやらリバーブやらのエフェクター・セットは明らかにロック畑の人間であることを示唆していた。岡田は加藤のバイオリンに明確に呼応して、ブルージーなクリーントーンでの演奏をうるわしく披露し、のちに「完成されたトラッドフォーク」と評された。またもや音楽的完成度という尺度を協同で提示され、しかもそれは即興同士としても完璧に近かった。そしてデュオの長さもこれまた異例だった。
岡田の独奏はまずエフェクトされた単音への過剰な固執から乗り出した。それは音自体の幅広さをまさしくピックアップする試みである。そしてドアを荒々しく閉めるようにノイズ・ギター、そしてフィードバック・ノイズの過剰な暴力が立て続いたあとは嘘のようにクリーントーンでの演奏が続いた。荒々しくドアを閉じた部分以外は、岡田の演奏はすべて優しさの産物であった。もしかしたらノイジーな部分もそのバリエーションかもしれない。加藤の前進からずっとパレードは続いていたのだが、それを彼は主題と一緒にやさしく幽玄さのなかに隠蔽した。旋律やクリシェを悲しみや寂しさと捉えたのか、それを様々な感情のなかに抑え込むのがその優しさである。
だがそれを庇護したことはその優しさが逆に明らかにしてしまう。というより、音楽のそういう部分を岡田の即興は覆い包んでいた。最初様々な奏法を披露した岡田であったが、途中からはピッキングとアーミングの単純な奏法だけで主張を明確にする。岡田はあらゆるロック・リスナーが親しげになるしかないほど、感性のよいロック・ミュージシャンであった。心地よく馴染み深い演奏の終わりは、同時に独奏フェーズの終わりだった。加藤と岡田の二人は、生活空間に恐怖と優しさを意図的に持ち込むことによって、その無党派層の流動を一身に引き受けた。無秩序な生活なる空白の跳躍は、彼らが着地点を用意することによって終わりを告げた。
生活について考えていたわたしは、いつの間にか音楽について考えていた。
これは恐らく、完成品というもののレディメイドな強迫がもたらしたものでもあるから、わたしは音楽は音楽でいいと思うようになっていた。つまりは生活のパッチワーク、カットアップであるのだから。
(次ページへ続く)