アウトサイダー・アニメーション『LUCY』


あなたの見るべきアニメーションがある。エバート・デゥ・ベイヤーの『ルーシー』だ。しかし、あなたはその作品を容易には見られない。VimeoにもYoutubeにも、彼の個人サイトにも動画はない。

私はあなたに『ルーシー』を見て欲しい。

だけど、やなぎみわの映像作品がDVD化されず、美術館でしか見られないように、ベイヤーのアニメーションも観客による「見る」身体性が作品のテーマに関わるから、インターネットの上にはない。

私は『ルーシー』の良いところをここに書くから、あなたが『ルーシー』を見たい気持ちになり、いつかそれが叶うよう願っている。

ルーシー

図ⅰ 『ルーシー』(9min45sec オランダ/2015) ©Stichting IJssel Producties.

✧ルーシーは400年前を生きたアファール猿人で、骨まるだしの姿をしている。主人公の少年ボウイは、博覧会に出品された彼女に出会う。ルーシーは、新しい過去、つまりは彼女より年老いたアルディ(♀)が見つかるまで、人類最古の化石人骨で、私たちの始まりだった。

骨のアクセサリーをコロコロ鳴らす、彼女の声や素振りはとってもかわいい。ボウイは、母のような(というより起源その人なんだけど)ガールフレンドのような、理想的な女性と旅に出る。

✧ベイヤーの作品はいつもリアルを求める。前作『ゲットリアル!』の主人公はゲームと現実の境界を、『ルーシー』のボウイは、空想と現実、過去と現在を行き来しながらリアルに遭遇する。

前々作『カークレーズ』も含め、ベイヤーは機械依存によるリアリティの喪失を警告するけど、『ルーシー』に登場する原始的な細胞列と、メカニックな車の並列描写がそっくりだったり、一概にアンチマシーンなわけじゃない。彼の興味と命題はユマニスム or マシニスムの問いでなく、リアルかそうでないかだけ。だから、主人公たちの空想妄想といった人類サイドの普遍性にも結構ドライで、ちょっとサイコパス気味にリアルさを希求する。今回、『ルーシー』における実感のトリガーは肉声だった。

✧ボウイの両親は世俗的で、ママはヘッドフォンで耳を塞ぎ、スマートフォン越しにしか物事を見ない。パパは息子の知育より自分の欲望を優先するタイプで、自分の睾丸をお手玉できる(意味不明だろうけど、アニメーションはこういうことができる)。

両親のマイカーで訪れた先でボウイは「あちら」側の世界に旅立ち、深層部の移動には電車を使うところなんか、オランダ版『千と千尋の神隠し』みたい。

ルーシー2ⅱ 性的衝動を抑えられないパパが、ママをハグする。彼らの骨格は正常とは言いがたい。

✧さて、どうか聞いて欲しい。ベイヤーのアニメーションがなぜ私たちに眩暈を起こさせるのか。まず、ベイヤーの画面は無数の「引っかき傷(線)」の集合体による”面”で構成されている。背景やキャラクターの表面は、”ベイヤー・カリグラフィー”とも呼べる彼が手で描いたであろう「引っかき傷」のテクスチャーに覆われている。彼の作画において、形骸化した遠近法的ハウツーは採用されない。いくらかの陰影はあれど、立体物の表皮については、平面的な”ベイヤー・カリグラフィ”が圧着される。その強引さが反作用エネルギーとなって、見る者に圧迫感を与える。

✧そのようにして、パースの尺度を超越したキュビスム体のキャラクターが、今度は奥行きを含めた空間を自在に横断する(体を浮かせて、宙を飛ぶことさえある)。独自のリズムで揺れ動き、その異様さに適した声や音が、動作に沿ってシンクロする。彼のアニメーションが与えてくれる酩酊感は、モニターの複数配置によってキュビスムの多視点法を奥行きに適用したデイヴィッド・ホックニーの動画作品を思い出させる。

究極的にデフォルメされたベイヤーのキャラクターがリアリティを感じさせるのは、多視点やいびつな声音という人間特有の主観フィルター「見え、そう聞こえる」感知世界を私たちが生きているからだろう。その対岸にある「事実そう」という客観的認識ビューに、ベイヤーも私も興味ない。それはアニメーションからいくらも遠い、監視カメラの記録映像が得意とする領分で、その懐には「わたし」も「あなた」も含まれない。ベイヤー作品におけるリアルとは、現実の対訳語でなく、肉感的な、そしてアニメーションという視覚表現が選択されたにもかかわらず、とうとう可視化できない虚空のことだ。私たちはただ、それを「見ること」によってのみ、『ルーシー』において共有する。

以上が、私があなたに『ルーシー』をおすすめする理由だ。私はあなたに、エバート・デゥ・ベイヤーのアニメーションを見て欲しい。そしたら、ケミカルなんかなくてもハイになれると思うから。ほんと、すがるような気持ちであなたとベイヤー、それからプロジェクションスクリーンを持っている皆に、お願いをする。Text by 松房子

 

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筆者プロフィール

武蔵野美術大学映像学科卒業。アニメーションの批評、制作を行う。

Evert de Beijer
http://www.evertdebeijer.nl/

松房子
https://twitter.com/matsu_fusako