『ラ・ラ・ランド』と青の神話学 ――あるいは夢みる道化のような芸術家の肖像 (フール・ロマン派篇)


「私はきっと忘れない、あの情熱の炎を」

ミア・ドーラン「夢みる道化」

「願い焦がれることが多くの人々を愚者にする」

オウィディウス『エロイード』

 

「青」の観念史――ロマンティック・ブルーを中心に 

青は魂の輝きである」R・シュタイナー

 

 『ブルーに生まれついて』(16)というチェット・ベイカーの伝記映画は、ジャズメンと売れない女優の恋、つまり芸術か恋愛かの葛藤といったテーマを、同年公開の『ラ・ラ・ランド』と共有している。とはいえ最も強調されるべきポイントは両作品を貫く色である「青」の象徴性であろう。ブルース(ひいてはその発展としてのジャズ)の「青」であり、憂鬱ブルースの「青」であり、尚且つロマン派の「青」だ[1]。

 『ラ・ラ・ランド』で最も印象に残る「青」といえば、リヌス・サンドグレンの撮影によるナイト・シーンの闇の深い「青」かもしれない[2]。パーティーに参加しているあいだ路上に止めていた車が撤去されてしまい、ミアが丘の上で叫び声をあげるシーンの夜空の青さ【図1】に関して、デミアン・チャゼルはフェティッシュたっぷりに音声解説で語っていた。

 さっきの丘のシーンは建物の裏に照明を隠しておいただけで青白い映像を作り出した。派手じゃないが魔法のような画が生まれた。この映像〔※【図1】の後に続くミアがレストランに入るシーン〕も青に包まれている。夜の青さについてはよく話し合ったよ。空の青さと光が作り出す青は違う。僕はアナモルフィック・レンズの青いフレアが好きでね。『雨に唄えば』や『バンド・ワゴン』などでも夜のシーンで濡れた道が青く輝いたりする。

 

図1

 

 『ラ・ラ・ランド』のナイト・シーンが「青」を基調としたことと、ロマン派が「青」を常に闇と背中合わせの色と見なしたことは、思想的に相似形である。ゲーテはニュートン光学に対して、古代ギリシアのアギロニウスの色彩論を受けて、「青」の向こう側には暗黒が広がると考えた。それを引き継ぐ形で神秘思想家ルドルフ・シュタイナーは「光が暗黒を覆うとそこには青が現れる」とした。このロマンティック・ブルーに関して、小林康夫が『青の美術史』の中で以下のようにまとめている。

ある意味では、青の向こうには、暗黒があり、闇があり、死があると言ってもいいでしょう。青を通して生命の高い理想を見、同時に、死を見ていた。それがロマンティック・ブルーにほかならないのです。[3]

 太陽的で生命感あふれるラ・ラ・ランドには、黄昏の桟橋でセブが歌う「諸星の街」のように、常にメランコリアが顔をのぞかせる。拙論「楕円幻想としての『ラ・ラ・ランド』(サイン・シンボル篇)」(http://ecrito.fever.jp/20170618220019)で既に語ったことだが、この映画の冒頭、輝く太陽の下で歌われる「アナザー・デイ・オブ・サン」が、エピローグにおけるセブの「楕円幻想」(ミアと結ばれる/離れるという二つの現実を生きるパラドクス)を閲することで、最終的に「黒い太陽メランコリア」の相貌を見せる――「青」の彼方に広がる「黒」[4]。同時に【図1のナイト・シーンでミアが着ているワンピースが青であることにも注目したい。衣装デザイナーのメアリー・ゾフレスによれば、ミアが経験を重ねていくにつれてシックな色合いになるように設定したといい、セブと別れてハリウッド・スターにまで駆け上がり、別の男と結婚した後では白い服を着ているのも意図したことだという[5]。青はミアの「未熟さ」や「若さ」を象徴する色であり、ゾフレスの言葉を裏づけるように、確かに衣裳のみならずミアがオーディションを受けるシーン【図2や、ルームメイトと暮らす部屋の廊下【図3は「青」を基調としていることが分かる。

 

図2

 図3

 

 となれば、この「青」はドイツ・ロマン派を象徴する色であるノヴァーリスの『青い花』の青に結び付くのではないか。主人公オフターディンゲン青年が夢みた「青」とは決して届かない「永遠の憧憬」の象徴であり、その「青」に身を包むミアとは、ともすると「幻想のミア」にもなりうるだろう。「エピローグ」では、二人が再会したクリスマスの夜にまで時間が遡り、ミアは「青」のドレスを身に纏って再び登場することになるが、それはセブの幻想が作り上げた一種の「青い花」だともいえる。ミアを失ったセブの抱える悲しみはブルーであり、彼はそれを背負って生きていくことをラストで決意する。乗り越えるというより、受け入れるという意志――「ブルーに生まれついて」しまった自らを、チェット・ベイカーのように受け入れ、先に進むというメランコリカーの覚悟。しかしポストモダン作家ウィリアム・H・ギャスの『ブルーについての哲学的考察』によれば、ブルーは哀しみの色であると同時に、「凝縮し、後退するからこそ、超絶の色であり、私たちを遠くはるかな国へいざない、無限の探求へと心を向けさせる」[6]のだから、芸術という「無限の探求」へとセブは新しい扉を開くことにもなる。

 「青」はほかの色との対比によってもそのロマン派的特性が際立つだろう。例えば青と黄のコンビネーションもまた『ラ・ラ・ランド』を特徴づけるものである。黄昏に染まるマウント・ハリウッド・ドライヴで歌い踊る「ラブリー・ナイト」から抜き出したショットが、この映画のコアとなるイコンである。これがポスターなどでは背景がブルーの夜空に差し替えられていることから、ミアの黄色のワンピースと、青い夜空のコンビネーションが目に鮮やかだ。ここで思い出すべきはゲーテの『若きウェルターの悩み』において、ウェルターが自殺時に着ていた「青」い燕尾服と「黄」色のヴェストとズボンというコンビネーションであり、これが18世紀ロマン派の「夢みる道化」たちの基本コスチュームとして一世を風靡したということである。ミシェル・パストゥロー『青の歴史』によれば、ウェルターの身に纏った色の組み合わせはゲーテ色彩論の中心をなすものでもあった。

ゲーテの『色彩論』は青に重要な地位を与え、青と黄色をその体系の中心的な二極にしている点で注目に値する。彼はこの二色の連合(または融合)こそ絶対的な色の調和であると見なした。しかしながら象徴的な視点からは、黄色が否定的な極(受動的で弱く冷たい色)であるのに対し、常に良い意味を与えられる青は肯定的な極(活動的で明るい色)を示している。[7]

 青が「活動的で明るい色」で、黄色が「受動的で弱く冷たい色」であることの是非はさておき、色の諸問題をニュートン光学に抗して「数式に還元されることのない、生きた、人間的な現象」[8]と考えたゲーテの詩人としての想像力にこそ、『ラ・ラ・ランド』を開く鍵がある。すなわちこのロマン派的想像力において色彩を捉えていく試みこそ、ロマン派映画たる『ラ・ラ・ランド』の批評方法となりうるのではないかということだ。

 となれば、ロマン派色彩論において、緑もまた青であると知れるだろう。ヒッチコックの『めまい』(58)をヒントに造形されたという緑色の室内【図4】は、セブが崇め奉るジャズ・セイントの一人であるビル・エヴァンス【図5の楽曲「ブルー・イン・グリーン」を理解することで把握できる。緑の中には青が、すなわち憂鬱ブルース形式が内包されるのだ。再びパストゥローを引くと、「青と緑が彼〔=ゲーテ〕の好みであった。それは自然で支配的な色であり、ドイツ・ロマン主義がその他すべての色より高い地位に置いたものである」[9]。再びギャスの『ブルーについての哲学的考察』を引けば、「色のうちで、青と緑が最も大きい情緒的範囲を持っている」ゆえに、「ブルーは内部の生命の色として最もふさわしい」[10]というから、まさに「青は緑に内包されるブルー・イン・グリーン」。

 

図4

図5. セブの部屋に無造作に置かれたビル・エヴァンスの写真は、後に彼が開店するジャズバー「セブズ」で再び登場することになる――より深い憂鬱ブルースに包まれながら。

 

 しかしこれまで述べてきた「青の神話学」は、アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』の「青」の項目を引くことで急展開を見せる。

〔中世では〕生まれたての愛、貞節を表すが、道化がこの色を用いたために、愚行を示す色でもあった。おそらく、謝肉祭の「青い船」Blue Shipsと関連をもつためであろう。[11]

 青はかつて道化の色でもあった。それは現代美術家クリストファー・ウールによる「青い道化(Blue Fool)」(1990)の色彩や作品タイトルに無意識裡に引き継がれたものかもしれない【図6

 

6ウールのフールな作品――見る者を虚仮に(フール)する「青」の力。

 

 さて、青はロマン派を喚起し、同時に道化をも呼び起こすことになった。「アナザー・デイ・オブ・サン」で歌われる「頂上」(サミット)を目指すLAの夢みるロマン派芸術家は、高く飛べば飛ぶほどに、飛翔と背中合わせの落下を閲するかもしれない「夢みる道化」であるのだから、それも当然のことだ。