ウォルター・ヒルはいかにして「ジェンダー表現」を更新したか?――『レディ・ガイ』レビュー


 ジェームズ・キャメロン監督『アバター』(2009年)で気風のいいヘリ・パイロットを演じたミシェル・ロドリゲスが今度は性転換で女性になった殺し屋を演じ、シガニー・ウィーバー演じるマッド・サイエンティストと対決すると聞けば、アクション贔屓の映画ファンの興味を引くには充分の題材だろう。しかも監督は『ザ・ドライバー』(1978年)や『ウォーリーアーズ』(1979年)で男性同士のホモソーシャルコミュニティの美学を描いたウォルター・ヒルだ。しかし『レディ・ガイ』(2017年、ウォルター・ヒル監督)という作品は、その期待を見事に裏切ってみせる。だからといって、これは作品に対するネガティブな評価では決してない。この裏切りは、本作が「性」に対してとる態度が極めてラディカルである証拠だ。本作は、「性」とはあくまで社会的な役割に過ぎないということを突き詰め、男性/女性という二項対立への固定観念を正面から笑い飛ばす。では、それはどのように描かれるのか。ウィーバー演じるDr.レイチェル・ジェーンという人物の描写を通して分析してみよう。

 映画は2つの時間軸の中で進行する。1つ目、容疑者たちを収容する精神病院で両手を塞ぐ拘束着に身を包んだ元整形外科医、Dr.レイチェル・ジェーンは無認可での医療行為の罪に問われている。また、彼女は6人の男の他殺遺体とともに廃墟の中で傷だらけの状態で見つかったため、事件の重要参考人として精神科医から事情聴取を受けている。彼女は事件の首謀者がフランク・キッチンという殺し屋だと精神科医に話す。3年前に彼女の最愛の弟をギャングの依頼で殺したこの殺し屋に報復するため、彼女はキッチンを拘束し、自らの手で女性に性転換させたと話す。精神科医はキッチンがジェーン医師の妄想なのではないかと疑っている。
 ここから2つ目の時間軸が始まる。ドラッグとピンボールゲームと娼婦と絵画収集に金をつぎ込んで借金を溜め込み、放蕩生活に明け暮れる中年男セバスチャン。彼の借金の取立人の依頼でキッチンはこの男を殺害する。セバスチャンはジェーン医師の弟だった。その約1年後、別の仕事を依頼されマイアミに滞在していたキッチンは突如、その依頼人本人と彼の部下たちから襲撃を受ける。意識を失い拉致された後、見知らぬ安宿で目覚めると彼は女性に性転換されていた。復讐を誓ったキッチンは、一連の事態の関係者を次々と見つけ出しては殺していき、自らを改造したジェーン医師へと一歩ずつ近づいていく。

 しかし、この作品が誰の復讐劇かと言えばそれはジェーン医師の復讐劇だろう。では、それはいったい何に対しての復讐だろうか。ジェーン医師は彼女の中で肥大した、架空の男性像に対して復讐しようとしている。身長180センチでイェール大出身の才媛でもあるウィーバーは、皮肉にもこれ以上ないキャスティングかもしれない。
 事情聴取の中で彼女の経歴のいくつかが明らかになる。優秀な外科医として未来を嘱望されたにもかかわらず、望みのポストが得られなかったことを彼女は男性中心の業界の偏向だと主張する。あるいは彼女は自分がいかに知的にも技術的にも優秀で、多くの画期的な研究成果を残したかを語る。そして、彼女が潜りの性転換専門の外科医となるとき、豊富な資金源があったことも語られる。彼女は裕福な家庭に育ち、自らの医者としての評判と研究施設の経営手腕で財を築くこともできた。
 精神科医との問答の中で、ジェーン医師はポーやシェイクスピアを引用しながら相手が無教養であることをあざ笑う。富と知性とを備えた彼女は、唯一権威にのみ愛されなかった。そして取り調べの中でポーの詩作に関する言葉を引用しながら、少々時代錯誤な自身の芸術至上主義について語り始める。整形外科医である彼女にとって、美しい肉体を作り上げることはその権威主義的な美学を満たすための自己表現なのだ。そして、ポーの言葉を借りて芸術のための芸術を語るとき、彼女の表現としての整形手術は倫理に優先される。金とモダンな知性と権威とは、むしろ男性中心社会が20世紀までの長い時間をかけて構築してきた価値観そのものではないだろうか。ジェーン医師が抱えているのは、男性中心社会の、男性中心的な価値観の中で男性よりも優秀に振る舞ったために認められなかった女性のルサンチマンだ。

 ジェーン医師の名前が「レイチェル」であることに注目しよう。これは旧約聖書の「創世記」に登場するヤコブの妻ラケル(Rachel)の変名だ。聖書の中でラケルは、自分よりも先に身ごもった姉のレアに嫉妬したり、やっとの思いで妊娠した我が子を死産する子どもに恵まれない女性として描かれる。
 『ブレードランナー』(1982年、リドリー・スコット監督)として映画化されたフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』には、この「ラケル」に名前の由来するキャラクターが登場する。レイチェル・ローガンという本物そっくりの人造人間「レプリカント」だ。彼女たちと本物の人間との違いは短い寿命と生殖能力である。このように「レイチェル」という名前はときに医師や彫刻家のような芸術家、ある種のロボット工学者や生物工学者、つまりプラスティックな造形物としての人体に関わる職人たちにとって特別な意味を持つようだ。そして、そうした造形に美の実存を求める彼ら、彼女たちはしばしば子どもを産むことのできる母親と競合関係にある。

 ダウンタウンの安宿のベッド上で目覚めるキッチンの身体は包帯まみれで安っぽいホラー映画のようだが、一方で古代の遺跡に残されたミイラか宗教彫刻のようでもある。美術館に届いた骨董品の梱包をはがすみたいに、キッチンは姿見の前に立って自分の体に巻き付いた包帯を振りほどいていく。ジェーン医師が腕によりをかけた「作品」がお披露目される。ヌードを晒したロドリゲスの体当たり演技にもかかわらず、このシーンにエロティックな色気は一切見当たらない。姿見の前で豊かな胸の形を邪魔そうに確認し、毛の生えた淫部を弄ってかつてそこにあったはずの性器がなくなっていることにショックを受けて絶叫する。キッチンはジェーン医師の崇拝する権威主義の作品と化したのだ。
 そして「俺にはもうこれしか残されていない」と45口径の銃身を強く握りしめる。そして、男であったときに一夜限りの関係を結んだ看護師ジョニーの元に匿われ、男としても女としても彼女と関係を持ち、今度は次々とジェーン医師の手下を殺していく。

 ついにジェーン医師と対面を果たそうとするところでキッチンは彼女に捕らえられる。パンツスーツ姿でキッチンに颯爽と歩みより、「ウェイトレス程度には美しい」と自らの作品に対して声をかけるジェーン医師は、差別的な人物として観客の目に映るだろう。彼女は今や男のように振る舞い、男たちを従え、女性に対して差別的な発言を平気で口にする。彼女は女性を差別する女性になった。次に登場するとき彼女が身につけている白衣がこのスーツと同じくらいパリッとりりしく光っていることも確認しておきたい。彼女はあんなに嫌悪を述べていたはずの男性中心的な価値観に見事に染まっている。
 対して、キッチンは自分が女として見られることを受け入れたキャラクターとして描かれる。胸元を下半身を強調して、男たちの目を誘導し、隙を作って彼らを圧倒する。手下たちを一人残らず一網打尽にし、命を奪わず重症を負わせたジェーン医師を現場に残してキッチンは立ち去る。こうして冒頭の取り調べで語られた、ジェーン医師の逮捕要件についての種明かしがされる。

 「性」とは何か。この映画によればそれはパンツスーツであり、豊満な乳房であり、性器である。それは単に外見だけの問題だ。社会的な役割、人からどう見られているかという問題に過ぎない。それゆえにそれは可変的なものなのだ。ジェーン医師は皮肉にも自らのその優秀な技術によって、肉体さえも着脱可能なファッションにしてしまった。性別が着脱可能であることの証明を彼女が最も実践しているのだ。それなのに彼女自身はいつまでも性の社会的な役割に囚われている。対照的にキッチンは、その新しい性の肉体を受け入れた。
 ジェーン医師がシェイクスピアやポーの話をするとき、画面には白黒のグラフィックで描かれたこの偉人たちの肖像画が挿入される。そして窮地に陥ってクローズアップされるキッチンの顔も同様に演出でグラフィックにされる。停止した「絵」として表れるこうしたイラストは、ジェーン医師のような自称「芸術家」のエゴを表しているようにも見える。動いて変形することのないコントロール可能な絵としての「顔」は、彼女の支配欲を暗示している。そうしてコントロールに執着すること、人を物のように固定し、決まった価値を与えること。そうした意味での権威に彼女はパラノイアックにこだわっている。最後に、この映画はその男性的な支配による価値観の固定にどういう態度をとったのか見てみよう。
 本作のラストで、スーツも白衣も拘束着も脱いだジェーン医師が、病院の浴場施設にあるバスタブに裸で横たわり、親指以外の8本の両手の指が切り取られた両手を見つめる。キッチンの仕業だ。これは暴力だろうか。勝手に性転換された彼女への復讐だろうか。男ではないとしても、医師であり自称「芸術家」である彼女にとってこれはまぎれもない去勢にあたるだろう。映画は終わり、エンドロールが流れ、キッチンの声が作り手の代理人としてボイスオーバーで最後のメッセージを伝える。「変化を受け入れろ」と。

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『レディ・ガイ』

監督:ウォルター・ヒル『ストリート・オブ・ファイヤー』『48時間』

出演:ミシェル・ロドリゲス『ワイルド・スピード』シリーズ シガニー・ウィーバー『エイリアン』シリーズ トニー・シャルーブ『ギャラクシー・クエスト』 アンソニー・ラバリア『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』 ケイトリン・ジェラード

英題:THE ASSIGNMENT/2016年/アメリカ/英語/96分/カラー/シネスコ/字幕翻訳:渡部美貴

配給:ギャガ・プラス(+ギャガ・プラスロゴ) ©2016 SBS FILMS All Rights Reserved