円城塔×佐々木敦「『エピローグ』と『プロローグ』のあいだ 世界・SF・私小説」(前編)


書くことの技術(techno-logy)とサイエンス・フィクション

佐々木 ここで話を『エピローグ』に展開させていきたい。円城さんの日常の経験をもとに書いている『プロローグ』に対し、『エピローグ』はそれをSFに展開したものだという話が先ほどありました。解説にも書いたとおり、後者は単体のシンギュラリティSFとしても読めるわけです。

円城 『エピローグ』は、SFで使用されるIT関係の技術に関する言葉を更新しようと思っていたというのもあります。『Gene Mapper -full build-』(2012年)の藤井太洋さんを例外として、SFに出てくるIT関係の言葉って、意外と変わってませんからね。あと、両作を通じて思っていたのは、小説の登場人物の人権を考えるという、僕はこだわっているけど、あまり共感を得られない問題です。勝手に名前を付けられて、勝手に殺されたりする登場人物の人権というテーマをSF的にどう展開できるか、そんなことを考えていました。

佐々木 人権問題の方は後半で考えるとして、SFに出てくる言葉がターミノロジーとして更新されていないというのは、昔から考えていたんですか?

円城 ずっと考えていました。ハインラインとか馬鹿にされがちですけど、偉いと思う。当時の先端のテクノロジーをしっかり扱っていたわけだから。明らかに、いまの人より考えていると思います。宇宙技術とか武器とか詳しい人が多い部分は語彙として更新されていくけど、それ以外の部分の語彙はあまり変わらない、という疑問はつねにありました。

佐々木 現実を超越した未来なり、想像力を押し広げたものを描くはずのSFが、実際はいまの技術にすら届いていないものを書き続けているというのは皮肉なことですよね。SFの「S」ってなんですかと聞かれた時、普通に言われるのは「Science」です。でも、この「Science」が更新されない「S」かもしれない、という話でもある。とはいえ、SFは実現していない、現実を凌駕する「S」についてもたくさん書いてきたわけで。そういう優れたイマジネーションと、現実の水準に追い付いていない技術を最先端であるかのように書くことの齟齬があるということですね。

円城 あると思います。しかも、最近は先端のものを提示する力が落ちているような気がしています。

佐々木 そもそも、SFを書く/読む上で、現在のテクノロジーへの意識はどの程度重要なんでしょう?

円城 僕の中では少なくとも、SFと現実のテクノロジーは分かれてます。交差しているパターンが、たとえば『クラッシュ』(1973年)のバラードです。でも、彼のような二面的な作家ほど「よく分からない」と評価されがちです。本当はその双方を同時に書ける作家はすごいんです、僕だとやはりバラバラになる。

佐々木 そういう分裂の話で言うと、円城さんは文学/SFそれぞれでデビューされたわけですが、デビューから数年経ち、私小説の『プロローグ』、SF長編の『エピローグ』を書くことで、小説家としてのデビューを再演しているというような意識はあったんですか?

円城 再演になってますよ。でも、ここで少し気持ちが変わった印象はあります。この後にあるのが『文字渦』ですから。

佐々木 『エピローグ』『プロローグ』は文庫化にあたって、結構直しているんですか?

円城 いいえ。『プロローグ』は、今自分がどのバージョンにあるか書いてあるところがあるのでそこは直しましたけど。

佐々木 円城さんは「作家は校了データを必ず自分で持つべきだ」っておっしゃいます。確かにこれはすごい普通のことなんだけど、実際は徹底されていない。

円城 うん。それを誰が持っているのかと言うと、印刷所側で、出版社は持っていない。

佐々木 それは抽象的な作家性とも関わる問題ですよね。つまり「円城塔の『プロローグ』」というのはどの段階を指しているのか、という。レイアウト済みのデータはもう小説家のものではないことになるわけだから。

円城 ただ、それは作家によっても異なって、たとえば、京極夏彦さんが判型が変わるごとに、どのページの左下も全部「。」で終わるように書き直す、みたいなのは明らかに作家性の現れですよね。ところが、いまだと、Kindleは文字の大きさが変えられるので、Kindleでページ性を意識したレイアウトをやるにはページの終わりを判別する人工知能を入れるしかないという新たな問題が生じていたりもして。もちろん、僕はむしろ、そういう試みをやっていきたいわけですが、それをやるにはテキストデータが必要になるわけです。でも少し話は変わりますが、一方でいまだに原稿と紙は切り離せなかったりもする。それを一番必要としているのは、校閲さんのように思える。紙に赤を入れていかないと精度が落ちる。自分はノートPCでPDF開いて註釈を入れていくんですけど、あれも結構編集さんに渡すと反映されていないことも多くて、効率が悪いのが現状です。

佐々木 すごいデジタルネイティブっぽい(笑)。

円城 いや、デジタルネイティブは山田正紀さんとかですよ。彼は音声入力で書いていますから。「これが安部公房がワープロを使いだしたと聞いた時の周りの作家の気持ちか!」みたいな(笑)。

佐々木 英語圏だと表記の問題がスルーできるから音声入力をやっている作家はいるんだけど、日本語の場合はひらがな・カタカナ・漢字のどれで書くかという表記の問題が入ってきちゃうから、一回入力した後に自分の文体に変えていくという二度手間がある。もしその辺が解消されたらやります?

円城 それは自分がどれくらいテクノロジーについていけるか次第だけど、僕は無理じゃないかなあ。「Hey Siri」とか言うのは平気な方だけど、「改行」「。」「スペース」といちいち口に出して言うのはやっぱり苦かもしれない。

佐々木 いま言ってるのを見るとできそうな気がしますけど(笑)。

円城 いや、音声関係って僕の器官の中で接続が悪いところなんです。視覚情報はスムーズなんですけど、音声が関わると情報に膜みたいなものを感じてしまう。

佐々木 じゃあ裏返しで、手書きはどうです? 保坂さんや古川さんのように手書きにこだわる小説家の例もありますが、円城さんはそういう欲求とかもないんですか?

円城 あるんですけど、僕は字が下手なんですよ。ただ「文字渦」を始めてから書道関係の資料をたくさん見ていて、iPadにApple Pencilで習字とかしてみるわけですけど。たとえば、王羲之の『十七帖』とかを書いてみるじゃないですか。でも、そこから小説を書くところまではかなり遠いなと思いました。むしろ、写経したりっていう趣味的な方に行ってしまいそう。

佐々木 よく「手書きにすると変わるんだよね」とおっしゃる人がいて、それって裏返すとワープロが出てきた時に「ワープロで書くと文体が変わる」ってさかんに言われたのと一緒のことですよね。

円城 実際変わるわけで、僕は『シャッフル航法』(2015年)の「φ」でやったみたいなことが好きなんですけど、それはなかなか手書きだとできない。

佐々木 近い話題として、最近AIが『ハリー・ポッター』を書いたという話がありましたよね。『ハリー・ポッター』シリーズをディープラーニングさせてみたら意外とちゃんとしたものが出力されたっていう。つまり、小説以外でも「AIが芸術をできるのではないか」とは言われ始めているわけですが、これについて円城さんはどう思いますか?

円城 基本的には、AIとは仲良くしていこう派です。ただ、将棋やチェスでも、AIは強いんですけど、まだAI+人間の方が強いと言われています。小説に関していうなら「何が小説か」はあくまでも人間が決めるものだと思っています。とはいえ、チューリングテストのように二つの小説からいい方を人間が決めようとする時に、AIが書いたものを選んでしまう可能性は十分あるわけですが。

佐々木 絵や音楽では、いまもう十分ありえる状況になっていますよね。

円城 でも、やはり「人間にとっての価値」を人間が決めるという状況は揺るがないと思います。ただ、議論が必要になるのは不可解なものが現れたときですよね。たとえば、黒田夏子さんの『abさんご』(2013年)が人間のものか、AIによるものか、といった線引きはきわめて難しいような気がします。それとは逆のことだけど、和歌には膨大なデータベースがあるじゃないですか。しかも勅撰集のように和歌を選ぶ作業というのは、分離問題なのでAIがとても得意な作業なんですよ。ということは、選者についてディープラーニングさせていくと、たとえば、メカ藤原俊成が作れてしまうかもしれない。ただ、そこでも「こいつが和歌を理解しているか」はあくまでも人間が決めることだと思いますけどね。

佐々木 小説家・円城塔にとってコードやプログラムというのは支援ツールなんですか? つまり、思いついたことを能率的にやるためにはデジタルなものにいくらでもアウトソーシングするけれど、それでもなお残る譲りようのないものこそが重要なものなんだ、という考え方なんでしょうか。もう少し言えば、メカ俊成の話があったように、メカ円城塔も可能なのか、という。

円城 僕自身はそうなることから逃れようとはしてます。そうであることが、なにか崇高さに繋がっていると言いたいわけではないけど。でも、機械との関係性を考える上で重要なのは、機械の欲望の問題じゃないかな。機械の欲望は人々が想像するような「世界を支配したい」とかいうことじゃないですよね、きっと。前半が終わる前に、さっき言った話と繋げておけば、ここで言う機械と小説の登場人物は同じような存在だと言っていいかもしれない。つまり、彼らの人権や欲望をどう考えていくべきなのか。それが僕の考えたいことなんだと思います。

(後半に続く)