われらが震える時--「テクスト」から「力」としての音へ--スティーブ・グッドマン『音の戦争――サウンド、情動、そして恐怖のエコロジー』評(連載「音楽批評のアルシーヴ」海外編)


Steve Goodman, Sonic Warfare: Sound, Affect, and The Ecology of Fear(The MIT Press, 2010)


 

 本書の手付きにならって、ひとつのエピソードから、この文章をはじめてみよう。

 2016:想起、予測、オーダーメード?〔1〕

 大阪大学産業科学研究所と東京都市大学メディア情報学部の共同研究グループは、人工知能と人間の共同作業による自動作曲システムを開発した。「これは目的の感性を想起させる既存楽曲が入力されると、入力された楽曲に共通する特徴を学習し、得られた特徴に基づいて楽曲を生成するもの」であり、「あるグループの構成員に共通する感性を抽出することで、そのグループを高揚させる音楽を作り出すことを目指している」。開発者によれば、多くのデータを集めることで聴き手の反応を予測し、目的に合わせたオーダーメードの音楽提供が可能になる、とのこと。このシステムによって「音楽界に新風を吹き込むことが期待されます」。

 新たな「音の戦争」の勃発である。わたしたちは、批評/臨床を急がねばならない。

 本書の著者スティーブ・グッドマンが定義する「戦争」とは、通常イメージされるような集団や国家間の闘いではなく、そこで「情動」の生産、伝達、調節が行なわれるような闘争関係を指す。グッドマンによれば、資本主義とメディア環境、テクノロジーは手と手を組んで、至るところに「音-ウイルス」audio virusを蔓延させ、情動の感染を引き起こす(先のシステムが産業科学研究所とメディア情報学部・・・・・・・・・・・・・・・・によって開発されているのは示唆的だ)。それに対する診断は、本書では「音-ウイルス学」audio virologyと呼ばれる。

 著者によれば、現代の「音のブランド戦略」は、もはや単にキャッチーな曲を用いるだけではなく、記憶に働きかける方法の探究に乗り出しているという。それはふたつの効果をミックスして、わたしたちに既聴感déjà entenduを与えるのだ。ひとつはある特定の状況や雰囲気を聴き手の意識に呼び戻す想起の効果。いまひとつは、実際に聴いたことがないにも関わらず、ある音を想像させる効果。これらの効果は、「わたしは以前にもこれを楽しんだことがある」という感覚をもたらし、かつての消費の反復、そして実際には持ったことのない経験の反復を煽るのである。資本主義の先回りする力は、わたしたちにヴァーチャルな過去の想起を迫り、本来開かれてあるはずの未来を現在の欲望に従属させる。こうして「生成」は「管理」へと変えられる、とグッドマンは述べる。

 集積された他者の経験データに基づいて作られた音楽が、わたしの身体反応を予想し、意図された想起を引き起こし、情動を管理する。身体も精神も、過去も未来も、ハイジャックされる。誰でもありえて、それゆえ誰でもない「わたし」のためのオーダーメード……。

 もう少し引いた視点から本書を概観しよう。著者は、イースト・ロンドン大学で教鞭を執るスティーブ・グッドマン、またの名をコード9。電子音楽の作曲家、DJにして、自らイギリスのインディペンデント・レーベル「ハイパーダブ」を主宰する人物である。

 本書は、ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の英訳者としても知られる社会哲学者ブライアン・マッスミと、同じく哲学者でアーティストでもあるエリン・マニングが責任編集を務める「Technologies of Lived Abstraction」シリーズの一貫として出版された。思考と身体、具体と抽象、ローカルとグローバル、個人と集団といった諸々の二項対立について、それが立ち現れる「プロセス」を考察するというのが、このシリーズの主旨であるという。本書の他には、スティーブン・シャヴィロの『基準なし――カント、ホワイトヘッド、ドゥルーズ、美学』(2009)などが含まれる。『音の戦争』の全体は34もの章からなり各々には特定の年数が付されているが、これはいうまでもなく、『千のプラトー』の向こうを張った趣向である。本書は、テクノロジーから認知心理学、映画、哲学、SFといった諸ジャンルの素材をリミックスし、具体例と抽象的な議論とを巧みに織り交ぜつつ展開されており、理論家と実践家のふたつの顔を持つ著者の面目躍如といった趣がある。

 大きな論点を確認しよう。先に述べた通り、タイトルにもある「戦争」とは「情動」の生産、伝達、調節を指している。ここでの「情動」とは、広義には「他の身体=物体bodyと相互作用する身体=物体の力」、狭義には「ネットワークで繋がれた神経システムを横断しつつ書き込まれるムード、気分、雰囲気に関する集合体のダイナミズム」(p.195)と定義される。「身体=物体の力」としての音とは、「これは○○である」という認知の機能に先立って生じる振動や震えvibrationと言い直すことができるだろう。つまり、相互的な触発の媒介項としての音である。

 このように、本書はテクストとして読解される類いの音を批評するものではない。仮に音楽が話題に上るにしても、それが振動・震えとして「なにをなすか」ということが論点となる。また、ここで主として論じられるのは、友愛や共感といったニュアンスを孕む「共鳴」という言葉でイメージされるような「良い感じ」good vibeではなく、様々な「音の戦争機械」sonic war machineが生み出す、往々にして恐怖を引き起こすような「嫌な感じ」bad vibeである。『音の戦争』は、「恐怖のエコロジー」でもあるのだ。では、「音の戦争機械」とはなにか。それには大きく分けてふたつのタイプがある。

 ひとつ目は、ノイズによって暴力を行使するタイプである。イスラエル軍がガザ地区で引き起こすソニックブーム。アメリカ軍がゲリラ兵の潜むベトナムのジャングルに爆弾と一緒に注ぎ込む120デシベルを超える大音量(コッポラの『地獄の黙示録』のモデル)。第二次世界大戦におけるアメリカ軍第23本部付特殊部隊、通称「ゴースト・アーミー」による音を用いた欺瞞作戦(この際の技術革新が戦後のHi-Fiオーディオの発展の礎になる)。パナマ侵攻の際、バチカン大使館に立て籠ったマヌエル・ノリエガに連日連夜浴びせかけられる騒々しいロックとポピュラー音楽。あるいは、ギャスパー・ノエの『アレックス』において観客に不快感をもたらすために挿入される低周波音、などなど。これらの「音の戦争機械」は、対立集団を崩壊・分散させる遠心的、軍事的な力を特徴とする。それは、振動によって身体を内側から揺さぶり、恐怖を与え、目眩や吐き気を引き起こし、わたしたちを逆撫でする。

 もうひとつの「音の戦争機械」は、情動的な感染を引き起こし、自己増殖を繰り返す。こちらは、求心的で資本主義的な力を特徴とする。これが細菌兵器に比されるような「音−ウイルス」である。これについては、既に冒頭で詳しくみた通りである。本書では、イヤーワームやミューザックといった問題も論じられる。

 本書において、グッドマンは情動の管理を図る資本主義に対して、また別の感染性の振動、ないしは情動の流通affective mobilizationを対置させる。そこで論じられるのが、ポール・ギルロイいうところのブラック・アトランティックの音楽、特にジャマイカン・ポップスである。レゲエ、ダブ、ダンスホールは、ヨーロッパのポピュラー音楽文化だけでなく、ジャングル、ハウス、テクノ、アンビエントなどに感染し、それらを変異させてきたという。本書では、こうしたジャマイカン・ポップスのサウンド・システムを説明するのに、低音−物質主義 bass materialismという概念が発明される。低周波音は、周囲の身体=物体に震えをもたらし、そこではサウンドと触覚が一体化し、振動をめぐる環境が集合的に構成される。こういって良ければ、低音-物質主義とは、身体=物体のあいだを走る境界線を取り払い、ひとしく震えるモノ(者=物)たちの宇宙を称揚する、脱人間中心主義的なプログラムである。グッドマンによれば、ダブが蔓延させたものとは、単にサウンド・システムそのものだけでなく、こうした振動によって生起する関係性の「ダイアグラム」であり、「振動の関係の網目」nexus of vibrationである。しかしながら、資本主義は、こうした情動の流通の技術に満ちたジャマイカン・ポップス、それからアメリカのヒップホップのサンプリング、ディスコ、ハウス、テクノのリミックス、そしてハイパーダブのやり方に寄生し、乗っ取り、それを、またもや情動の調整のための管理プログラムへと変化させてしまうだろう。

 こうした本書の診断を追っていると、いまや世界は消尽し、資本主義によって絶えず供給される、偽の新しさの反復だけが残されているかのようである。とはいえ、グッドマンは、潜在性の領野を探究してもいる。その領域は、「鳴らない音」unsound、あるいは「まだ聴こえない」not yet audibleという概念で表わされる。具体的には、人間の可聴化帯の周縁部を指す。

 グッドマンは次のように述べている。「鳴らない音unsoundとは、音のヴァーチャリティー、つまり知覚できない振動の関係の網目を意味している。それは聴覚システムに関する生理学の不十分さに起因する制約によって隠されている。それだけではなく、それは集団毎に規定される感覚能力に対する監視監督によっても隠蔽されている。集団の境界は、情動の好みに基づき定められ、その情動の好みは、趣味や専門知識、それから階級、人種、性、年齢といった聴覚−社会的に事前に定められた事項によって決定される」(p.191)。

 この領域をめぐる思索は、これまで「ノイズ」と「沈黙」という概念をめぐって多くが語られてきた、音の大小をめぐる「振幅のポリティクス」を補完するものであり、音の高低をめぐる「周波数のポリティクス」である。グッドマンによれば、人間の可聴域は、これまで考えられてきたよりも、もっと柔軟なものであることが近年の研究によって示されており、ここには新しいリズム、響き、テクスチュアの潜在性が残されているという。もっとも、すぐさま著者自身によって指摘されるように、新たな領域の探究は、それが征服され、管理の手へと落ちることと切り離せない。わたしたちは、つねに管理と生成がせめぎ合う戦争状態に置かれているのである。

 以上に概観してきた他にも、マイク・デイヴィスの『スラムの惑星』に対抗した「ドラムの惑星」、ベルクソン、バシュラール、ルフェーブル、ドゥルーズ、ミシェル・セールなどを召還し、そしてとりわけホワイトヘッドの哲学に依拠しながら展開されるリズム論、アフロ・フューチャリズム(アフリカ未来主義)に関する批評など、本書は耳を傾けるに足る刺激的な議論に事欠かない。もはや語り尽くされたかのように思われる「音」について、まだ思考すべきことが多く残されていることをわたしたちに教えてくれるだろう。グッドマンがスピノザの言葉をもじっていうように「わたしたちは、音の身体=物体sonic bodyがなにをなしうるかを、まだ知らない」。

原塁


〔1〕以下の引用は、大阪大学のプレスリリースよりhttp://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2016/20160929_1