Caroline Shaw “Orange” Liner Notes


 2013年にヴォーカル・アンサンブルRoomful of Teeth作品でピューリッツァー賞を最年少で受賞。グラミー賞も受賞し、カニエ・ウェスト作品にも参加するなど、作曲家/歌手/ヴァイオリニストとして八面六臂の活躍を見せるCaroline Shaw。ニュー・アムステルダムよりリリースされたデビュー作”Orange”(2019)では、自身の作品世界について、魅力的なライナーノーツを書いている。ここに全文を翻訳する

訳/大西常雨


    こんにちは! 私の庭園へようこそ。

 ここ数年かけて育んできた弦楽四重奏作品を、友人の庭師、Attaca弦楽四重奏団のおかげで、今あなたとシェアすることができました。ここには複数の小さな宇宙、地図があります。豊かな環境の中で作られ、また豊かな環境へと目がけて作られています。2本のヴァイオリン、1本ずつのヴィオラ、チェロ。幾世紀にも前に生まれた各材料の組み合わせにはラディカルな再発明は見当たらないかもしれません。けれども、新しいレシピには、ハイドン、モーツァルト、ラヴェル、バルトークが辿った世界の足跡が含まれています。さらにそれ以前の作曲家たち、バッハ、モンテヴェルディ、ジョスカンも含まれているのです。過去の成長の兆しは土壌の中に残っていて、一部分の新しい成長は古いものによって形作られています。色彩は鮮明で、親しみやすく、葉の形状は、あなたにとって既知のパターンを形成します——あなたにとって未知のものになるまで——。 

 ときどきそこには、メロディーの断片、あるいは単一の和音のように、私たちの思い起こす、ある音楽作品における短い、特定の瞬間があります。各々の聴こえの中で、私たちはその瞬間を何度も経験しますが、毎回初めてのように感動的なのです。いつも午後の散歩で通りすぎる木々に、あるいは簡素なヴァレンシア・オレンジの精妙な細部に対して、あなたは新しい何かがあることに気づくことがあるでしょう。あなたの食べる2000個目のオレンジは、最初に食べたものと同じくらいに尋常ならざるものであること。このように、このアルバムのカヴァー写真は、自然で日常的で、親しみやすい事物の、簡素で、直接的で、飾り気のない美しさの賛美となっています。(2018年12月のこの写真は、Arthur Moellerの撮影、Andrew Yeeのアートディレクションによるものです。)

 今日こんにち、私たちは多様なやり方で音楽を作ることができます。最近では私自身が、異なる景色や温室の中にいることに気づきます。ときにはラップトップで重量感のある電子サウンドを、ときにはオーケストラの複雑で素晴らしい生態系の中にいることがあり、ときには小さな2つの声帯を使います。1エーカーの土地であれ、テラコッタ鉢であれ、いつもその可能性は魅惑的で、美しいのです。

 過去数年間のうちに、幸運なことに非凡なアタッカ弦楽四重奏団——Amy、Keiko、Nate、Andrew——と友情を分かち合うことができました。彼らは私が知る中で一番クリエイティヴで、開かれた心を持った演奏家たちで、彼らの解釈はとても思慮深く、そして誠実です。古くて崇められてきた弦楽四重奏のレパートリーを美術館のガラス張りの空間の中へと閉じ込めることはありません。それは野性的で、今日こんにちの音楽の側で生きているのです。私は自分の音楽を、こんなにも親切で有能な演奏家たち——古いもののすぐ隣に新しい植物を育てることができる人達——に幸運にも預けることがでました。

 

来てくれてありがとう、そして気が許すだけおくつろぎ下さい。

 

——キャロライン

ENTR’ACTE

 あなたはある種の体験を期待してコンサートに出かけます。ほんの少しの細部によって幾らか変えられた、小さな瞬間におけるその何かを。その全てを味わってやろうと外出するのです。2010年の秋、プリンストン大学のリチャードソン・ホールにて、ブレンターノ弦楽四重奏団の演奏で、私はある体験をすることができました。彼らはハイドンのOp.77 No.2を演奏していて、突如第2楽章でへ長調のメヌエットから暖かい二短調のトリオへと、美しい角を曲がりました。その移行はとても感動的で、作品中に多くの変遷があることを想像し始めます。ENTR’ACTEは、メヌエットとトリオのように構造化されています。古典的形式のように反復されますが、さらにあなたを遠くへと連れて行きます。ある音楽が(例えばハイドンのメヌエットのように)、アリスの鏡の裏側へと連れていくように、不合理で、精妙で、色彩にあふれた変遷があります。溶解しかけた隠喩あるいは不格好な頭韻のようであり、曖昧であるけれど、いくらかは知られているもの——。

 

VALENCIA

 普通のオレンジ(米国内の一般的な食料雑貨店ではしばしば、定番として共通の「ヴァレンシア」を売っています)の構造には、何か精妙なものがあります。今まさに爆発しようとしている、何百もの、輝かしく彩られた、繊細な果汁の小胞。それは自然のものとして非常に単純なのですが、同時に複雑で尋常のないもの。音楽家でパフォーマンス・アーティストのGlasser(訳注:Bjorkや Joni Mitchelと比較され言及されるSSW、憑依的でエーテル的なヴォーカルが特徴的)とMoMAで共演した際、果実の単純な美しさについて描写する歌を共演しました。その夏の後になって、私はVALENCIAを作曲し、マサチューセッツ州のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる友人たちと演奏しました。VALENCIAはGlasserの、メロディーとテクスチャーに関する果敢で直観的なアプローチへと接続することに決めたので、うねるようなハーモニクスといくらか粘着性のある和声とメロディーを通した、普通のヴァレンシア・オレンジの構造に対する無制限の抱擁になりました。いまだ私たちの手に届く自然な飾らない食べ物、に気づくことに対する賛美でもあるのです。

PLAN & ELEVATION (THE GROUNDS OF DUMBARTON OAKS)

 PLAN & ELEVATIONは、建築における代表的な2つの正射影の標準的な手法鳥瞰図(「plan」)とより装飾的なディテールが特徴的な側面図(「elevation」)を参考にしました。この作品、PLAN&ELEVATIONは、図書館、研究所、美術館、そして庭園であるDumbarton Oaks滞在の1年後に作曲しました。PLAN & ELEVATIONでは、この広大な庭園の異なる箇所を考察しています。各楽章は、異なった音楽的物語を支える単純なオスティナートに基づいています。「The Ellipse」は無限の反復の概念についての考察があります(キルケゴールに感謝を)。「The Cutting Garden」は標準的な弦楽四重奏曲の代表曲(ラヴェルのもの、またはモーツァルトのK.387)やこのレコードに収録されている他の曲(Entr’acte, Valencia, Punctum)の断片から成り立っています。つまり展示用に切られるために育てられた多種多様な花を参照しているのです。「The Herbaceous Border」は、フランス式庭園の冷たい幾何学から始まります。就学以前のようなフィンガープリント(訳注:指で絵の具に触れ絵を描くこと。技術的には、バリオラージュ+不確定的なグリッサンド)によって理性が敗北するまでは。「The Orangery」は、老成したイチジクの蔦の葉の間から光が覗く際に生じる、その部屋の細長く曲折した影を想起します。

「The Beach Tree」は優しくこの作品の扉を閉めます。そしてこの導入部は、主語でもなく動詞でもないのです。強く、シンプルで、古代的で、優雅で、そして静寂なもの——。

PUNCTUM

 PUNCTUM(2009)は、本質的にノスタルジーの行使です。ロラン・バルトの写真論における「予期せぬもの」の描写に、特に1980年のCamera Luida(『明るい部屋』)における「温室の写真」の捉えどころのない記述に霊感を受けました。文脈の外へと引き伸ばされた和声進行を通して、形式化が否定されるほどにこの作品は古典主義へとパレットを飽和させ、和声的進行の聞き取りやすさが邪魔されます。のちになってその和声的進行が強化されるためにそう感じます。また人によっては、バッハのマタイ受難曲のあるセカンドリー・ドミナント(ドッペル・ドミナント)の感覚にまつわる作品だ、とも言えるかもしれません。

RITORNELLO 2.SQ.2.J.A 

 Ritornelloは、長期間にわたるプロジェクトで、10年前からの、モンテヴェルディのオルフェオとバロック・リトルネロのアリア形式の少しのこだわりから始まります。リトルネロの最初の真の反復は、シカゴのOpera Cabalでのレジデンシーの際に思い浮かびました。そこでは、映画といくつかの劇場的要素が付随されたものに、20分間のソロ演奏をしたのでした。のちになって、私は映画を30分間に拡張し、2つの平行するスコアを書きました。1つは声楽(Roomful of Teeth)に、もう1つは弦楽四重奏(ACME)に。

 Ritornello 2.SQ.2.J.Aは弦楽四重奏のみのための、つまり映像なしの簡略版で、JACK四重奏団に、そして後になってAttaca四重奏団用に書き換えました。Ritornelloの燃料となるもの全ての小さな概念を説明することは難しいのです。リフレインに対する私自身の探求だということはできるでしょう。また、記憶、単純さ、忘却、機能的和声(私の友人が「どれもV-I-V-I-Vみたいね言ったように」)に関することで、親しみやすさの異様さ——リップ・ヴァン・ウィンケル、ニーチェ、テレンス・マリック、小さな他のものの蓄積——があります。。そしてまた、名前に暗示されているように、何度も立ち返っている音楽プロジェクトなのです。Ritornelloは固定された作品ではありません。そして誰もまだそれが何なのかわからないのです。長い間にわたって、この作品材料と生きられることを楽しく思っています。

LIMESTONE & FELT

 Limestone & Feltは、本質的に硬いもの、柔らかいもの2つの表面を提示しています。これらは、場所(教会のアプス、あるいはフェルト製のつば広帽子の内側)を、水準を、機能を、そしてサウンド(リヴァーブや消音)を提示する材料です。ホケット(訳注:中世西洋音楽のホケトゥスに由来する。旋律を休符を挟みながら交互に歌う手法)するピチカートや轟く/剥離する (pealing/peeling) モチーフのカノンは気まぐれで、神秘的で、生成的な世界の一部です。ゴシックチャペルの想像上のひさしの中で残響し、衝突する。それらは、繊細で、入念で、ほとんど恭しいほどの和声の配置と対比され、その和声はアンティークの宝石箱のように、古代的であり、貴重なものであるかのように鳴ります。

  このアルバムは、友人や家族の存在なしには存在しなかったと思います。アルバムを作るにあたって、お世話になった個人や組織を次にあげます。

Steve Judson, Christina Baker, Ann and Michael Loeb, Dumbarton Oaks, Manchester Summer Chamber Music, Hannah Collins, Hannah Shaw, Jean Cummings, John Jarcho, Deborah Piltch, Daniel Loeb, Andrew Ousley, Jorsand Diaz, Attaca弦楽四重奏団の家族に。