「アウターヘブン」から「アジア」へ:『エクリヲ vol.4』「ニッポンの批評――現代日本の外に出る/外から見るためのX冊」


※本記事は『エクリヲ vol.4』「ニッポンの批評――現代日本の外に出る/外から見るためのX冊」から抜粋掲載したものです

選書
伊藤計劃『メタルギアソリッド:ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』
乗松亨平『ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン』
孫歌『アジアを語ることのジレンマ:知の共同空間を求めて』
陳光興『脱帝国:方法としてのアジア』

コンテクストの生成。
「ぼくたち」ではない、「私」というコンテクスト。

「私」は中国の東北地方――かつて日本では満州国と呼ばれていた場所――の出身である。そして満州族でもある。子供の頃に日本に連れてこられてからすでに十三年も経っている。その間は中国人に対しても、日本人に対しても、さらに日本にいる中国人に対しても他者であろうとしてきた。そして「私」はアウターであり、スキゾであり、国境なき多層的なアイデンティティの持ち主であると思い込むことで、できるだけそれに価値を付与しようとしてきた。それがかっこいいということになっていたからだ。しかしある日突然気づく。実は「私」は日本と接触する前に、つまり多層的である前にはすでに多層的であったという事実に。そして「私」は「アジア」とでも呼ばれうるような場所の複雑な歴史の蓄積=地層の内部にいる一人であることに。ちょうどこの文章を読もうとしている「きみ」と同じように。

これらの書評は「私」が「アジア」という地層=知層について考えるための最初のステップであり、その記録である。そして「きみ」もこの地層=知層を共有していること、日本から出るとただちに「世界」というものが広がっているのではなく、「アジア」のようなものがその間に「ある」こと、荒廃したその「アジア」の地=知を均し、今度はあくまで「方
法」として、ともにそれを創り直すことが必要だということに気づいてくれることを願いながら、稚拙な言葉を綴っていきたいと思う。

伊藤計劃
『メタルギアソリッド:ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』

角川書店、2014年、Kindle版

 おそらく少しでもテレビゲームの素養のある者ならば、小島秀夫という人間が作りあげた『メタルギアソリッド』シリーズ(以下「MGS」)の名を知らない者はいないだろう。ゲームの領域を越え出て、すでに思想の強度を備えているその物語がプレイヤーを震撼させてきた。

 この小説は、わずか三編の長編小説によって日本のSFをアップデートしながらも早逝した作家である伊藤計劃の手による、シリーズの総決算である第四作のノベライズである。伊藤は自ら「小島原理主義者」と名乗っているのにもかかわらず、従来の「伊藤計劃論」ではもっぱら『虐殺器官』と『ハーモニー』の長編二作が論じられ、このノベライズはなぜか無視されてきた。MGSシリーズはあまりにも壮大な作品であり、そしてゲームであるがゆえに、プレイと物語の間に必然的に隔たりが生じてしまい、論じにくい側面もあるいはあるかもしれない。小学生の頃に中国で初めて『メタルギアソリッド』をプレイして感銘を受けて以来、ずっとシリーズを追いかけてきた「私」でも、物語の全体を把握しているとはとても言えない。

 しかしだからこそ、このノベライズに重要な意義がある。伊藤計劃があとがきで述べている。

 ノベライズであることの意味を、自分に出来る極限まで考え抜いた結果生まれたのは、私が「メタルギア」の物語を語ることの意味を語る、物語についての物語であり、「メタルギア」サーガとはいったい何だったのか、それがぼくらの生きている世の中の仕組みとどう象徴的にかかわっているかを示す、「メタルギア」への「批評」でもある物語でした。(No.6626)

 すなわちこのノベライズ作品は伊藤計劃という作家がMGSの物語を語り直した物語であり、それに対する「批評」である。多くのプレイヤーがMGSによって人生が変わったと語るように、ゲームをプレイするということは、それを生きることなのだとすれば、同じくMGSによって人生を変えられた伊藤計劃が自らの「生」と「世界」との関係について語ったものだということになる。やや誇張して言えば、MGSは「戦争」について、そして「世界」についてこれ以上なく深く、象徴的に語った物語だとする伊藤計劃にとって、それを語るということは、「世界」そしてそこで生きる自分について語ることとパラレルなのだ。MGSの物語の複雑さはそのまま「世界」と自分の「生」の複雑さに重なる。プレイと物語の総合。伊藤計劃はさまざまな二次創作を通して物語とキャラクターを実存の位相において描き出そうとしてきたことを考慮すれば、それほど的外れではないだろう。

 ゲームのノベライズをするにあたって、「物語を、どのように語るか。その『どのように』の部分にこそ、小説の真髄は宿っていると、私は知っています」(No.6613)と語る伊藤計劃が取った選択は、ゲームの操作キャラクターであり、物語の主人公であるソリッド・スネークではなく、スネークの戦闘をサポートする「戦友」のオタコンを語り手に据えることだった。スネークの物語を語り直すオタコンという視点は、MGSの物語を語り直す伊藤計劃自身と重なる。オタコンとは伊藤計劃がMGSを語り直すための視点であり、解釈の枠組みだと言える。

 重要なのは、オタコン=「ぼく」という一人称視点は小説の至るところで綻びを見せているということだ。どういうことか。たとえばオタコンの視点のままで、「…とスネークは思った」といったような文が現れる。しかも、そのようなあからさまなものでなくとも、スネークなどのキャラクター視点でなければ知りえないような、内面の描写も至る所に自然に紛れ込んでいる。それは伊藤計劃の戦略の失敗もしくは不徹底さを意味しているのだろうか。答えはもちろん否だ。

 この「人称の溶解」とでも呼ぶべき事態が意味しているのは、オタコンは単にスネークの物語をありのままに語っているのではなく、それを自らの想像によって再構成しているということだ。ゲームにおいてオタコンはあくまで登場人物の一人でしかなかったが、伊藤計劃の手によってスネークの物語の「作者」となったのだ。まさにこの点において、オタコンはMGSの物語の語り直しながら、その意味を問おうとする伊藤計劃の化身となり、両者は完全に重なり合う。言い換えれば、語り手の「ぼく」の溶解=不在の瞬間は、作者の顕現の瞬間でもあるのだ。すなわち、この人称の綻び=溶解は失敗ではなく、伊藤計劃の「批評」の戦略の一貫性をこそ体現しているのである。

 そして、ネタバレになるが、ノベライズではもう一つ重要な改変がある。オタコン=「ぼく」は、遺伝子操作によって急激に老化していき、まもなく死を迎えようとしているスネークの闘いを見届け、その死後に未来の「きみ」に向かってこの物語を綴っている、という形式を取っている。したがって、その物語は語り手の「ぼく」=伊藤計劃が強いメッセージを込めたものであり、そのためにスネークの内面もまた想像され、再構成される必要があるのだ。読者はいわば「ぼく」という第三者の視点に立って、その距離感を共有し、主人公であるスネークの背中を眺める「ぼく」の「視線」そのものに寄り添ってスネークを眺める。スネークが何を考え、何をなそうとしてきたかを理解し、それに感情移入できるように、この批評的な距離、あるいは距離のなさが要請されたのだ。

 では、スネークの物語とはどのようなものなのだろうか。ネタバレに注意しつつ、簡単に述べていこう。ソリッド・スネークは二十世紀最強の戦士である「ビッグボス」のクローンの一人である。ビッグボスは冷戦のような、戦士を翻弄する世界に対立し、「国境なき軍隊(MSF)」そして「アウターヘブン」を設立し、自由を求めて敢然と世界に立ち向かった。「戦士が唯一、生の充足を得られる世界」いう「外側の天国」を実現するために。権力の他者としてのアウターヘブン。

 ソリッド・スネークは合衆国のFOXHOUND部隊の一員として、いわば「正義」としてそのアウターヘブンを壊滅させ、ビッグボスを殺害した。そしてビッグボスの意志を受け継ぐもう二人の蛇、「リキッド・スネーク」と「ソリダス・スネーク」の蜂起も阻止した。しかし、彼は知ることになる。自らの手で殺めたのは父親であること、そして自分はその「最強の戦士」である父親の遺伝子をそっくりそのまま受け継いでいることを。

 すなわち、ソリッド・スネークもまた自分が権力と自由が対立する世界に翻弄されているということを知るのだ。権力、そしてグローバル化の象徴としての、すべてをコントロールしようとする合衆国の「愛国者たち」という組織=システムと、自由の象徴としての、それに立ち向かうアウターヘブンとの対立。しかし両者はコインの裏表でしかない。MGSの第二作において、両者の闘いそのものがより完全な人類の管理システムのためのシミュレーションとその結果のデータ収集でしかないことが明らかになる。

 スネークはこの第四作において、全世界をシステムで覆い、「世界のあるべき文脈=物語」を生み出し続けることですべてを管理し、「愛国者たち」のAIに闘いを挑もうとするリキッドに憑依されたオセロットを阻止するために闘う。しかし、スネークは「愛国者たち」側ではなく、あくまで自分たちの世代が撒いたこの対立の種にけりをつけ、終わらせるために、未来の世代が新たに始めることができるように闘っている。最後にはやはりこの闘いもまたスネークの意図とは別に「翻弄される」形で終わる。希望は語り手のオタコンによって未来の「きみ」に託される。MGSのシリーズに通底する、闘いは常に別の形で裏切られ、翻弄された形で終わるという構造がここでも反復される。

 スネークは、ビッグボスのクローンとして、闘いそのものを楽しんでしまう自分の遺伝子と対峙しながら、自らのうちにジレンマを抱えたままアウターヘブンと闘ってきたのである。他者としての自分と闘う。権力の他者たろうとする自分と闘う。言い換えれば、それは他者たろうとする自らの欲望との闘いだ。スネークは常にすでに敗北していたと言える。外部はなく、彼もまたそのシステムが生成する文脈に最初から規定されているからだ。敗北を受け入れながら、それでも闘いつづける。そこにこそ、スネークの主体性が浮かび上がってくる。

 伊藤計劃の戦略とは、そのような「伝説の英雄」と呼ばれるたびに、常に「俺は英雄ではない」と語り、「その『伝説』は人を不幸にしつづけているではないか」と感じるスネークに感情移入し、その意志と闘いの意味を、身をもって感じそして思考するように要請するものである。単に観察者としてそれに感動するのではなく、「きみ」が自らそれを引き受け、作者と同じようにそれを生き、それについて考えなければならないのだ。

 この物語は冷戦と、後の米国が作りあげた「世界」=システムと闘う、米国人たちの物語である。したがって、最初に提示したコンテクストから発されるべき問いはこうだ。ここで「きみ」と名指され、「わたし」と必然的に受け取られる相手はいったい誰なのか。この物語にははたして、日本語でこの物語を読み、現にこの文章を読んでいる「きみ」の姿が存在しているのだろうか。また、かつて中国で海賊版の稚拙な翻訳でMGSをプレイしていた「私」の姿があるのだろうか。あるとすれば、それはどの点においてなのか。

乗松亨平
『ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン』

講談社選書メチエ、2015年

本書はロシアのポストモダンの(日本あるいは「世界」にとって)特殊な形を、ロシアの思想史を通して明らかにすることを目的としている。
「ポストモダン」という語はすでに言い古され、さまざまな意義を付与されてきたが、それでも一つの世界観あるいはイメージとして形を成し、論じられてきた。

とりわけ日本のポストモダンは「大きな物語」の凋落の後に、散在する「小さな物語たち」=「島宇宙」の状態をシニカルに肯定するという形で表現される。そしてアメリカなどは、「大きな物語」の代わりに、ベーシックインカムやアーキテクチャなどを通して「大きな仕組み」を作り上げようと議論を重ねてきた。それに対してロシアはむしろ「大きな物語」を再建する欲望に絶えず取り憑かれてきた。まさに「亡霊」のように。

ロシアにとっての「大きな物語」を筆者は「第二世界の物語」と呼んでいる。そしてその根底にあるロジックを要約すると、「私はXにとって他者である」ということになる。常に西欧の資本主義世界に対峙し、さらにソ連内部において抑圧的な権力に対抗してきたロシアは、その対峙する相手によって自己を規定するという歴史を持つゆえに、この物語は絶えず「亡霊」として回帰し、ロシアの現代思想の至るところに顔を出し、それを規定してきたのだ。

 このように日本とロシアは、ポストモダン化と称しうる共通の過程が問題とされながら、その過程への反応は異なっている。私たちの社会のありえたかもしれないべつの過去、そしてありえるかもしれないべつの未来が、ロシアの現代史に孕まれているのだ。(二〇頁)

 筆者は本書の目的を以上のように説明する。つまり、ロシアのそのような「歴史の運動」を通して、いわば日本の「外側」から日本を見るという目的でこの本が書かれていると言える。

MGSに関連づけて言えば、この「私はXにとって他者である」という欲望は、まさに「アウターヘブン」のそれと通じていることがわかる。それはいわばアメリカとソ連との対立という「世界」、そしてそれが終息したのちに出来上がったアメリカを起点にした「愛国者たち」というシステムが作り出した「世界」に対峙し、その他者たろうとした者たちの「天国の外側」あるいは「外側の天国」だった。

しかしながら、その対立の欲望を根底に持つロシアの現代思想の分析から、ある深刻なパラドックスが顔を出す。すなわち、「X」の存在を前提とするという意味で、まさに「X」に依存ぜざるをえないのだ。それはアイデンティティとして機能してきたが、「消極的なアイデンティティ」でしかない。それは「アウター」ではなく、二項対立が一つの体系を作っているという意味で、あくまで「インナー」でしかない。外部は存在しない。

とはいえ、そのようなパラドックスに対してロシアの知識人は自覚的であったし、それを無視しているわけではない。むしろ、二項対立の脱構築というポスト構造主義以降に無反省に繰り返されてきたクリシェをそのまま受け入れるのではなく、その「虚構」の「機能」にこそ注目し、戦略的に利用しようとしたりする。すなわち、ロシアの知識人とロシアについて思考する者は、この亡霊を単に否定するのではなく、それを突き詰めて徹底的に思考しようとするのである。本書の最後の部分を引用しよう。

 本書でたどってきたのは、疲れ果てた「第二世界」の物語を「さらに終わらせるために」、それを消尽すべく変奏しつづける思考の運動である。「第二世界」の物語を内在的に乗り越えるため、その可能性を尽くして新しいかたちへ書きかえようとするのだ。(二三八頁)

 ジル・ドゥルーズの「疲労」と「消尽」の区別を踏まえた上で、「第二世界」という「疲労した」対立の物語をただ単に否定するのではなく、その「可能性を尽くして」「消尽」させるべきだという。「隣国との対立によって『私』を支えようとする外国嫌悪(ゼノフォビア)が」(二三六頁)はびこっているいまの日本もまた、対立の亡霊に取り憑かれているという意味で、「われわれ」はそれを自らの問題として引き受けなければならないということだ。それは「大きな枠組」をもって対症療法を施す姿勢とは異なる思考を開くものである。

その一つの例として、マグーンの議論が取り上げられている。実際の検討は本書に譲るとして、ここではその中心的な論点だけ取り上げよう。彼は「否定」の理論的な必要性を訴える。そして「外部の他者との対立をとおして自己を確立するのではなく、自己の内部に不断に対立をもちこ」(二二九頁)み、「『私』を『Xにとっての他者』から『私自身にとっての他者』へ転換するよう迫る」(二三〇頁)。そこで「私」=主体の問題が浮かび上がってくる。なぜなら、反抗としての「否定の運動は、なんらかのかたちで仮にでも表象され主体化されなければ、有効な対抗たりえない」(二三一−二三二頁)からだ。実に抽象的な議論である。そして本書ではそれに対する反論も紹介されている。その是非の検討は「私」の手にあまるが、「自己の内部に不断に対立をもちこむ」ような主体を、わたしたちはすでに知っている。ソリッド・スネークだ。

ソリッド・スネークはいわばアウターヘブンを作りあげた「ビッグボス」のクローンであり、そして同時に「愛国者たち」に訓練され、利用されていたのだった。彼はいわば常に自己の内部に対立と他者を持ち合わせ、そんな自分と闘っていた。ゆえに敵に「勝利」してはじめて得られる、対立の産物としての「英雄」というアイデンティティを頑なに拒否していたのだ。彼ははじめからそのような自分の運命に規定されていて、かつ対立の共犯関係と全的システムに包摂されているという意味で「敗北」させられている。その「敗北」を受け入れながらもなお闘い、自らの闘いがもたらした災厄を終わらせようと、その責任を自らに課してきたのだ。自分は常にすでに「敗北」していることを自覚し、「絶望」していながらもなお反抗をやめない。そこにこそ彼の主体性が浮かび上がってくる。

ここであくまで唐突に、なかば強引に、しかし「私」というコンテクストからは必然的に、竹内好に登場してもらおう。スネークのそのような自己の内に否定性=「敗北」の自覚を持ち、それによって生じる絶望に耐えながら(耐えることで)反抗しつづける主体は、まさに竹内好が魯迅のうちに見出したものと同型だからだ。引用しよう。

 ドレイが、ドレイであることを拒否し、同時に解放の幻想を拒否すること、自分がドレイであるという自覚を抱いてドレイであること、それが「人生でいちばん苦痛な」夢からさめたときの状態である。行く道がないが行かねばならぬ、むしろ、行く道がないからこそ行かなければならぬという状態である。かれは自己であることを拒否し、同時に自己以外のものであることを拒否する。それが魯迅においてある、そして魯迅そのものを成立せしめる、絶望の意味である。絶望は、道のない道を行く抵抗においてあらわれ、抵抗は絶望の行動化としてあらわれる。(竹内好『日本とアジア』ちくま学芸文庫、一九九三年、四一頁)

 近代中国はいわばヨーロッパによる植民地主義、帝国主義、そして近代化の波に飲み込まれ、「ドレイ」の一員となってしまった。しかし、魯迅はヨーロッパを完全に受け入れてドレイとなることを拒否しながらも、同時にそれを完全に排除することで解放されるという幻想も拒否している。日本という「優等生」はそれを受け入れ、今度はドレイの主人になろうとして結果的に「何者でもない」ものになってしまったが、中国の近代化はあくまでそのような安易な解放を拒否=絶望することで反抗しつづけ、自己=主体であろうとするという。「自己であることを拒否し、同時に自己以外のものであることを拒否する」ということは、ドレイである状態を拒否し、そして自分はドレイではないという幻想も拒否することを意味する。そこに「行く道がないからこそ行かなければならぬという状態」にいる、まったく未知の未来に向けて歩き出す主体なのだ。

ヨーロッパによる近代化というシステムに否応なく包摂され、変革される「自己」のドレイ状態を否定すると同時に、その外部の他者として自己を確立する欲望も否定する。それは「アジア」全体の近代化の過程のうちに見出すことのできる「挣扎(もがき)」の身振りである。システムとその対立項の袋小路に包摂され、自己がその一部となってしまってもなお、絶望することで反抗を諦めなかったスネークの主体はまさにそれと同型であることがわかる。

伊藤計劃がオタコンに自分を託し、MGSの、そしてスネークの物語を語り直し、「きみ」に引き受けるように訴えたものを、「私」はそのように受け取る。そういう意味で、MGSの物語に実体としての「アジア」の姿がないからと、批判することは生産的ではない。それは冷戦、そしてシステムとその外部の対立という「第二世界」=アウターヘブンの物語が否応なく世界を覆い尽くし、現在もなお亡霊として執拗に蘇ってくる「現実」を突き詰めて考えていき、それを「消尽」させることによってこそ、竹内好の思考に改めて目を向けさせ、「アジア」=「第三世界」を考える契機を作り出せるのだ。

「私たち」は否応なくそのような「世界」によって自己を包摂され、規定されている。そのような自己を拒否すると同時に、その他者たることで解放されうるという幻想も拒否しなければならない。竹内好にとっての「アジア」はまさに常にそのことに直面してきたのだ。

孫歌
『アジアを語ることのジレンマ:知の共同空間を求めて』

岩波人文書セレクション、2015年

 本書の著者である孫歌は、中国文学研究の出身でありながら、竹内好の読解を通して、中国や台湾の知識界に竹内好を広く紹介し、さらに日本においても竹内好再読の機運を作り出した者である。

 彼女がたどったのは、竹内好とは逆の、「道を『日本』に求めて『中国』に回帰する道」(六頁)であり、それによって、中国の近代化を思考し直し、さらに「アジア」という「思考空間」を開くのである。彼女にとって「日本」とは「…終始、私に内在するものでありながらも外部的存在であり、自己否定と自己刷新のための媒介となるものであった。」(八頁)

 かつての「満州国」の「首都」として作られた長春の出身である孫歌は、自分の故郷について、ほかの地方出身のものと比べて、日本が残していったもの以外何も語るものがないように感じる。その故郷が彼女に「与えたのは、アイデンティティの原点ではなく、むしろアイデンティティに対する問いかけであった。」それが意味しているのは、自らの始まりにおいてすでにある種の他者性もしくは(アイデンティティに対する)否定性が環境として彼女を包囲し、規定していたということである。

 「私」にも同様な体験がある。「私」の故郷である吉林市――長春の隣にある都市――では、かつて日本軍が建設した当時では最大の水力発電所があった。「豊満水力発電所」というところだ。何年か前に吉林を襲った記録的な豪雨によって、そこを流れる松華江には洪水の危険が高まり、上流にある豊満水力発電所のダムは決壊するのではないかと集団的なパニックが起こり、政府関係者とその家族が市内を脱出したというデマ(あるいは本当かもしれない)も広まった。しかし最終的にダムが決壊せずに済み、下流における洪水災害も回避された。そして日本人が作ったものはやっぱり丈夫だという言説も多く見られた。そしてこの発電所は「中国水力発電の母」と呼ばれたり、東北地方最大の人工湖を形成したり、中国四大自然現象の一つである「雾凇」を可能にしたりと、いろいろとポジティブに語られるところが多い。

 しかし、同時にそのネガティブな側面も語られる。そもそもこの発電所は中国の労働者を奴隷のように酷使することで建設されたものであり、その近くに日常的に死んでいった彼らの死体を埋める「万人坑」が見つかり、現在では博物館になっている。「いくら彼らは素晴らしい技術をもって素晴らしいものを作ったとしても、それはそもそもわれわれ中国の労働者の死の上に築かれたものであることを忘れるなかれ」ということだ。ここにはナショナリズムと社会主義のイデオロギーの融合というロジックを見出すことができる。われわれの自立を脅かす侵略者であると同時に労働者の敵でもある、民族の敵であると同時に正義の敵でもあるという、二重の敵としての日本人像が出来上がる。

 すなわち、日本は称賛すべき技術の持ち主であり、「私たち」の現在の生活をなお支えていると同時に、許しがたい敵でもあるという矛盾を内に常に抱えたままであるということだ。それが意味しているのは、「私たち」は日本という敵を打ち負かした「勝者」であると同時に、近代化の度合いにおいて「敗者」でもあったという、アイデンティティを不安定にさせる否定的な要素の存在である。それは洪水の恐怖の中において、「記憶」と「身体」が一つに結び合わされた「体験」から、「日本」の「亡霊」が「もの」として蘇ってくる瞬間でもある。

 重要なのは、ナショナリズムの引力に引きこまれて、「日本人は敵であり、われわれに徹底的に謝罪しなければならない」という結論によって問題を解消させずに、アイデンティティの堅固さを否定する「もの」の存在に気づくためには、「私」は日本を経由せざるを得なかったということだ。

 本書の副題も示しているように、孫歌はアジアにおいて「知の共同空間」を構築しようとしている。そして、実際に中国思想史研究者の溝口雄三などとともに日中韓、さらに台湾や香港などの知識人を集めて毎年コンファレンスを開き、対話や討論を繰り広げ、一つのムーブメントとなった。そこで明らかになったのは、相互の立場の違いなどによる衝突や誤解、つまり「アジアを語ることのジレンマ」の根深さと複雑さだった。文化、歴史、そして政治などの広範な領域にわたって存在する、あまりにも厄介すぎる問題が次から次へと現れた。

 グローバリゼーションや国際化が西洋から運んできた文化相対主義やオリエンタリズム批判の知的潮流は、中国では逆説的に民族主義的な排他性を補強し、その口実とされてしまう。そして日本は「東史郎事件」に代表されるように、客観的かつ理性的に中国を眺める歴史の専門家が、中国の文脈における相互理解の努力を単に政府主導の一種類の声に還元してしまい、パフォーマティブに右翼の振る舞いと区別できなくさせるだけでなく、対話の可能性を押しつぶしてしまう。

 しかし、衝突や誤解を伴った対話によってこそ、問題が浮き彫りにされたとも言える。孫歌が主導した「知の共同体」という運動は、普遍的な目標(「日中友好」のような)を設定せずに、「…この運動のプロセス自体が運動のすべてだった、その運動のそれぞれの段階に応じて生じた問題自体は、問題として、つまり結論ではなくて、解答ではなくて、問題としてそのまま参加者の間に種として残る」(二三二頁)という。つまり、互いにまったく異なる知の構造とそれによる相手に対する認識の違いという、問題あるいは矛盾を自らのうちに残すことで、自己否定や自己刷新の契機が作り出されるのだ。

 とはいえ「アジア」は決して実体ではない。著者も言うように、西洋の外に「純アジア」的対話を行うことなどすでに不可能である。

 …われわれの課題は、西洋のモデル内部にアジア・モデルを打ち立てることではないが、西洋の言説の外に一つの独立したアジアを探し求めることでもない。そうではなく、なすべきは、近代以来西洋と東洋という異なる地域において、西洋の東洋に対する文化的覇権を常に伴いつつ各々の文化が相互に浸透してきたという基本状況にしっかりと直面しながら、歴史の表現手法と現状分析の方法を考えること、これである。(一〇八頁)

 西洋の他者たろうとすることを否定し、そしてその中に安住することも否定する。「アジア」はあくまで、冷戦レジームによって覆い隠された歴史の問題を表現するための、そして急速に浸透する資本主義グローバリゼーションによってもたらされたさまざまな問題と袋小路に対処するための「方法」として要請されているということである。そこには手付かずに放置されていた多くの「思想課題」が存在しているのだ。

 そこに向けての第一歩は自己のうちに否定性を持ち込むことで、そこに眠る地層=知層を再発見することである。竹内好はまさにそのように中国の魯迅を経由して、日本の近代化と主体性の問題を見出し、否定性を持ち込んだが、その中国理解はしばしば理想的で、不正確なものだと指摘されてきた。しかし重要なのはその理解が正確かどうかではなく、彼は「アジア」が近代化という過程において共通して持つ問題に対する苦悩や絶望といったものの存在を見抜いていたことだ。そしてその切迫とした問題を解決する道筋を探し出そうとして、ついに魯迅の思想の中にそれを見つけたのである。

 孫歌もまた日本の竹内好を経由して、中国に否定性を持ち込んで、中国の近代化を思考し直す契機とした。しかし注意すべきなのは、竹内好はあくまで日本の問題に迫られて魯迅を見出したということだ。そして今度は中国の孫歌がそんな日本的な視線を通してはじめて見出される魯迅の思想をもって中国を思考しているのである。つまり、ここではいくつもの否定性が折り重なっていて、複雑な往還のプロセスが存在しているということである。さらに注意すべきなのは、トランスカルチャー的な振る舞いそのものが目的なのではなく、あくまで自己が陥っている問題を明らかにすることが目指されていることである。

 つまり、一つの文化内部に己の自足性に対する懐疑が生じた時に、初めて文化を越えるのであり、また異文化の問題が自己認識のための媒介となって初めて、国内の知の状況は構造的な変容を被るのだ。このような方向に沿って問題を考えることによって、知の共同体の活動は自身の位置を獲得できた。つまり自足した文化体系内部では実現しえない自己否定と自己革新の契機を探求し、文化の主体を非実体的な「主体性」として創り出し、流動的なコンファレンスの過程のなかで、主体認識の新たな可能性を切り開くこと、がそれである。(一〇四頁)

 自己=「内側」を起点=基点として、その自己と近代化の課題に対する問題を共有し、複雑な歴史的な関係を蓄積してきた「アジア」という「外側」の視線との複雑な往還のプロセスによって開かれた「思考空間」を通して、自己の内に否定性を持ち込むことで自己刷新を図ること。自己の知と「世界」と呼ばれる欧米の知とが直結してしまうという「知のセカイ系」とも言うべき閉域から脱するために、新たな「主体性」を創り出すために、「アジアのジレンマ」そのものと向き合うことが要請される。

陳光興
『脱 帝国:方法としてのアジア』

以文社、2011年

 本書はステュアート・ホールから「カルチュラルスタディーズを決定的に変容させた」と絶賛されているという、台湾の交通大学の教授、陳光興による著書である。

 本書は著者のそれまでの論文の特徴としてあった、ポストコロニアル理論と精神分析学的なアプローチとは異なり、彼の台湾外省人二世としての記憶や感覚をベースにアジア的視点から問題を考えるという形をとっている。

 運気がよいのか悪いのか、一九九〇年中頃から日本の批判的知識人たちと親しくなり始めた頃、ちょうど母が亡くなった。その時、彼女の心の中がどんなものであったかはっきり思い出せない。彼女が抗日戦争の期間のことについて我々に語った記憶は多くない(七頁)

 彼の母親は直接抗日戦争を体験している。それゆえにその「反日」はきわめてリアルなものであるが、対して著者の世代にとっての「反日」は国民党の教育による抽象的なものであり、それゆえ台湾の親日的な雰囲気にむしろ共感を持ちやすい。著者はいわばこの二つの感覚と記憶に板挟みにされてきた。しかしながら、日本の知識人との交流を通して、日本はむしろ「第三世界」的な感覚を持っており、それゆえ同じ苦悩に直面していると感じるようになったという。それは竹内好が初めて中国を訪れた時に感じた「同じ人間との出会い」と重なる形で語られる。この書物の内容はきわめて政治的だが、「私」にとって最も魅力的なのは、このように、自らの「身体」に内在する複雑な否定性の重なりとその歴史に対する気づきを思考の基盤にしている点である。

 彼によれば、アジアという場所において植民地主義の「亡霊」は依然として「蠢動」し、たえず蘇ってきているという。そして日本も台湾も旧植民地と新たに出会い直すための、そして「心の中の亡霊と対話する『方法』が上手く見出せない」(八頁)でいるのだ。日本でアカデミックな訓練をうけた学生が台湾に戻り、教師としてポストに続々とついていくが、その「客観的」で「学術的」な学問はしかし台湾という被植民地が有していた感情的、身体的な「緊張」を無化してしまう。「学術ではあっても思想なし」(9頁)と感じてしまうのだ。

 彼は台湾の「51クラブ」という具体的な事例から「植民地主義」は終わっていないことを論じる。「51クラブ」は簡単に言えば、一九九四年に成立した、台湾を米国の五十一番目の州にすることを目指す、各界の社会的リーダーとエリートたちによって構成された政治運動のグループである。彼らの主張は米国の台湾における「内在性」、もしくは身体性とも言い換えるべきものを体現するものであり、そしてそれは「グローバル化過程の高度な不安定性が作り出す不安感」という「新たな感覚/情緒の構造」に結びつけて語られるべきものだという。これは、反米=反台=親中=親共という冷戦レジームによって形成された身体感覚が強力に作用しており、それがかえって台湾の「帝国への欲望」を露呈させてしまっていると著者は見る。すなわち、中華帝国から、大日本帝国を経て、今度は米国という新たな帝国に自らの居場所を求めようとする台湾の主体性(の欠如)である。それは「脱植民地化」されないまま、冷戦という新たな帝国主義に台湾が巻き込まれてしまったためである。その意味での「植民地主義」はまだ終わっておらず、「帝国主義」もまだ終わっていないということだ。

 とはいえ、「脱植民地化」は被植民地だけでなく、植民する側もまた「脱植民地化」されなければならない。植民地主義はその双方に主体性の変容をもたらすものだからだ。日本のメディアでは日常的に「台湾は親日的である」という言説が見られる。そのような言説は単に自分との親密さのみで台湾との関係を測り、台湾という「アジアの孤児」が孕んでいる複雑な歴史と主体性を無視している。このことからも、日本は「脱植民地化」されていないことがわかる。それゆえに、台湾と常に出会い損なってしまうのである。

 「アジア」を考える意味もそこにある。訳者の丸川哲史の言葉でいえば、「『アジア』とはまさに、陳氏が自身の両親の出身地である大陸中国の知識人たちと出会い直しているように、帝国植民地期、あるいは冷戦期において留め置かれたコミュニケーションを意味する「何か」である」(二八九頁)。「コミュニケーション」という言葉からもわかるように、それは孫歌の言う「知の共同体」における相互の衝突やすれ違いの対話、「外側」と「内側」を行き来し、他者による否定性を自身に持ち込む往還のプロセスによって開かれる「思考空間」に通ずるものである。そして、それらの「知」はあくまで自分自身にすでに内在しながらも、覆い隠されてきた先在=潜在する「他者性」に対する身体的な気づきにもとづいている。

 陳光興はそのように、台湾という歴史に翻弄されてきた複雑で特殊な場所にいた自身の身体的感覚、もしく「現場感覚」を基点にして、日本、中国、韓国、香港、インドなどの知識人との交流を通じて、「アジア」について思考してきた。彼は「世界」を知らないわけではない。むしろ、欧米の知識人と仕事をしてきて、大きな成果を残してきたからこそ、その限界を認識し、今度は自身の経験と理論的な思考から「アジア」について考える必要性、そしてその「方法」としての有効性に気づいたと言える。それは「アジア」を実体化することでは決してない。それは「…既存の資源を動員して西洋に対抗することはせず、衝突の後の実践過程において徐々に形成されてきた雑種体と新たな形式を把握し、理解しようとする」(一五八頁)ための「戦略的拠点」=「方法」である。

 「アジアを方法とする」ことの核心的な意味とは、つまりこういうことだ。対話対象を転換し、多元化した参照軸を徐々に我々の視野に入れ、我々の主体性に浸透させること。西洋問題に対する苛立ちはそれによって希釈されるだろう。また具体的な批判と生産的な仕事によってこそ、多元的な展開が可能となる、ということ。(一五八-一五九頁)

 そして、彼はチャタジーというインドの理論家との対話を通して、「国家VS市民社会」という今や「規範的」となっている構図を崩し、両者を媒介する流動的な第三の項「政治社会」をもって、それを修正しつつ台湾と中国の「民間」について現実的かつ理論的に考察していく。それはいわゆる「国家VS市民社会」という西洋的な近代モデルに収まりきらずに無視され、抑圧されてきたが故に、台湾おいてたえず「亡霊」として蘇ってくるものに対処するために案出された概念=「言葉」である。その「亡霊」とはたとえば台湾の民間信仰の「媽祖の練り歩き」が、国民国家の障害を貫いて、中国大陸の東南部の信者をつなげようとし、二〇〇六年に大きな論議を呼び起こしていた事件がある。それは明らかに「国家」と「市民社会」、そして近代化の枠組みに収まりきらないものであり、それを分析するためには別の「言葉」が必要とされる。「雑種体」としての「アジア」という参照軸における入れ子状の往還のプロセスを通して、思考を始めなければならないということだ。

 「私」もまた自分の「故郷」である「満州」に先在=潜在する「他者性」の記憶という身体的蓄積に気づくことで、思考する契機を得た。

 「豊満水力発電所」と洪水のエピソードもそうだが、思えば、満州という多民族的=雑種的な場所では、この先在=潜在する「他者性による否定性」はより日常的な至る場面に顔を出してきたのである。ある時、幼なじみのウィグル人の同級生が家に遊びに来ると祖母に告げた時、彼女はわかったと言い、そのまま新しい鍋を買いに出掛けていったことがある。「回族(ムスリム)」の人に豚の油が染みこんだ鍋で作った料理を出すわけにはいかなかったからだ。そのあまりにも自然すぎる行動に、他者に対する感性が潜んでいたと、今になって思う。

 また今でも鮮明に覚えているが、小学生の頃のクラス担任は朝鮮族の女性で、彼女は国語の授業で、突然ハングルで独り言をつぶやいては何事もなかったかのようにそのまま授業に戻ることがしばしばあった。国語というナショナリスティックな言説に満ちていた空間において、ハングルであることさえわからないような、その意味不明なつぶやきは調和的な意味を切断し、切断されていることが普通であるような別種の空間感覚をもたらした。さらに、「愛新覚羅」と名乗る同級生、そして日本からやってきた「中国残留孤児」三世の、日本語しか話せない「留学生」もその空間に同居していたのだ。

 小学校のクラスというきわめて狭い空間に「アジア」と呼ばれる「何か」が存在し、その体験は「外側」と「内側」を往還するプロセスへと「私」を向かわせ、新たな「思考空間」を開いてくれている。

 「私」はいま中国の文学と文化研究に従事している。そして、日本を「世界」と、「ニコニコ動画」を「ユーチューブ」と直接に対比させ、日本の特殊性を強調し、抽象化させるという「知のセカイ系」とも呼ぶべきやり方に常に違和感を抱いてきた。中国、韓国、インド、フィリピンなどのサブカルチャーもまた重要な参照軸となりうるのにと。

 「アジア」を「方法」とすること。それは伊藤計劃が「世の中の仕組み」を徹底的に思考するように訴え、未来の「きみ」に発したメッセージを、「私」なりの仕方で受け取り、考え、そして出した結論である。

 この文章が読まれる頃には、「私」はすでに中国に――今度は「留学生」として――赴いていることだろう(*)。より徹底的な形で「アジア」という「思考空間」における「外側」と「内側」の往還という運動のプロセスに身を投じるために。「世界」と別の形で出会い直すために。
*筆者はこの文章を書いた後、二〇一六年に一年間上海大学に留学している。

(了)

楊駿驍

1990年生。現代中国文学・文化研究。批評家。日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て、現在早稲田大学、東洋英和女学院大学などで非常勤講師を勤める。代表的な論考に「『荒潮』と中国における『SF 的リアリズム』」(『野草』第105号)、連載「〈三体〉から見る現代中国の想像力」(『エクリヲ』11〜13号、第三回まで連載、現在継続中)などがある。
E-mail: yaoshunshyo[a]live.jp

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