vol.4特集「ニッポンの批評」番外編 書評:戸田ツトム『断層図鑑――錯誤のグラフィックデザイン・断章』


ヱクリヲvol.4特集ニッポンの批評――「現代日本の外に出る/外から見るためのX冊」番外編

Theme:「書物の多様性を考える1冊」
戸田ツトム『断層図鑑――錯誤のグラフィックデザイン・断章』

執筆:福田正知

 路面写真、グラフ、印刷された文字と印刷された印刷された文字、文字を読ませまいとするかのように紙面にばら撒かれた斑点群。この奇怪な書物はそれらによって構成される。膨大な数の図像とテクストが互いに交通の管を伸ばし、終着点が無くひたすら彷徨うしかないネットワークに読み手は誘い込まれる。一つのノイズから別のノイズへ、そして別の次元のノイズへと流され続ける。それはグラフィックデザインという終わりなき活動を体現するかのように。

 この本を世に送り出したのは、デスクトップパブリッシング(DTP)、すなわちコンピューターによる組版が出版業界の主流になり始めたまさにその時期にデザイナーとして頭角を現し、パソコンの平板なモニターで編集することの思想的な意味を問うた戸田ツトムという先駆者である。

 IT技術が発展し、本を作るという作業もインデザイン等DTPソフトの一般化によって簡易化された。紙面の外見的な「質」は上がった。活版印刷の手作業に伴う誤差は無くなり、「読みやすさ」が保障された。今日にも多くのデザイナーは、人々の生活を快適にするべく日々新たなアイデア探しに勤しんでいるだろう。そうしたことを鑑みた際、この書物はいかなる立ち位置にいるのか。文字が至る箇所で背景と同化し、あらぬ所でテクストが切断されれば文脈を無視した別のテクストが介入しても来るこの書物は如何せん「読みにく」く、そして時代に逆行しているかのようにすら思える。だが、問題はどうすれば読めるのかではなく、「難解さ」の正体とは何であるかである。「難解さ」とは何か、あるいは「簡明さ」とは何かと問うても良い。次の引用文はそれに取り掛かるためのフックである。

 

図形配置――レイアウト――とは空間の整合性でも非整合性でも造形操作でもない、ノイズによるところのノイズの発生装置である。(p.342)

 

 「ノイズ」とは無意味な雑音を意味するのではなく、含まれる情報量が大き過ぎるゆえに人間の認識が見過ごしてしまうものを指す。心霊写真が好例だ。写真に写った光の玉を死者の霊魂だと決めつけるのは、その光が一体どういう物理的な現象の痕跡であるのかを把握しようとしない早合点に起因する。それは「霊魂ではなくただのチリだ」と言いながらも、どのようにそのチリがその形の痕跡を作るのかを明確に理解していない人にも当てはまる。ノイズを捨象した実験部屋の現象と違い、無数の力の線が交錯する外部における出来事は無数の情報を含むがゆえに私たちは常に単純化することによってしか理解ができない。「解る」が成立するのはルールを共有する人間の間に限られるとするなら、人間が人間以外の存在に対峙する際そこに「解る」はあり得ない。解った振りをするか、不可解さと対峙するのみだ。

 つまり紙面のノイズ性、図形のノイズ性が問題なのだ。戸田は次の例えでそれを説明する。ビーカーに注いだミョウバン液はそのままでは何も変化を起こさないが、そこに一本糸を垂らすと結晶が形成される。結晶の成長には極めて“結晶的でない”別の作用が必要なのだ、と。このように現象の発端となる段差、断絶、密度変化、あるいはそれらを引き起こす因子を指して、戸田は「ノイズ」と呼ぶ。人間の認識にも、空間における「状況の擦過点」が基本的な条件として組み込まれている。我々は図形をゲシュタルト的図像認識、すなわち「何かの図」として積極的に認識する以前に、先ず真っ白な紙面の上に黒い何かがあるという事態を受動的に、生理的反応として認識する。本書内で紙面全体に黒いノイズ群が配置されるのは、文字を認識するという積極的認識と、視界に入るもの全てに反応しようとする受動的認識との拮抗を読者に体験として提供するためである。

 そうした生理的反応、受動的認識を精査し、手探りのまま実験し続けるのが図形操作――つまりグラフィックデザインである。紙面というノイズに図形というノイズを配置する行為、それにより発生するノイズの情報量を正確に計算する術を我々は持たない。本書の第二章に延々と掲載される路面の写真にしても、それらは互いに全く異なる表情を見せているがしかし、それらを区別しうる概念を我々は作ることが出来ない。「断層図鑑」と冠したこの書物自体さえも、現象の爪痕、一連の出来事の切断面をファイリングしては配置するデザイナー・戸田ツトムという現象が、時代を通過した後に残した痕跡、一つの「断層面」でありノイズであり、今私の手中にあるこの書物が私とともに如何なるノイズを生産しているかも、「一人の人間をして書評を書かしめた」の一言で済むものではない。それがこの書物の難解さである。

 

(第22回文学フリマ東京にて無料配布致しましたミニコミ『ヱクリコ』に収録した文章を再掲しています。)