円城塔のこれから
佐々木 実際、「文字渦」の短編とかを読むとすごく大きく変わってる。小説家としてデビューして10年を超え、段階的に変化しつつあるというか、ターニングポイントというか、次の時代に入ってるという感覚はご自身でもありますか?
円城 不思議とあります。さっきプロダクティブって話がありましたけど、ネット上で書いてる人の生産量には勝てないっていう気持ちが生まれていて。所謂「なろう系」の人はものすごく速いですよね。そちら側と競合してしまうと、どうにもならない。
佐々木 たとえば、逆に円城さんがここへ来て……。
円城 「なろう系」に投稿してもいいんですけどね(笑)。それも一つの手ではあって覚悟が決まれば、全然やってもいい。けど、あれはかなり消耗すると思います。とはいえ、誰かが行ってみた方が良いんじゃないかとは、わりと本当に思っていて。じゃないと業界は切り崩される一方じゃないですか。切り札として、古川日出男さんとかを投入するべきですよ(笑)。
佐々木 古川さんならやってしまいかねない(笑)。でも、いまのお話だと、結構業界に危機感を感じていらっしゃるんですね。
円城 業界として、もう駄目って言われて長いじゃないですか。文芸誌は創刊以来どこも赤字。でもやっぱり業界で食わしてもらってるんだから、文芸誌を回そうって努力をした方が良くて、というのはずっと思ってますね。「なろう系」でも「カクヨム」でも、そこで暮らせてるって人はほぼいないわけなので、暮らしていけるようなエコシステムを新たに作らないと「文芸」というものは衰退するばかりです。
佐々木 円城さん自身のことに引きつけて、これからの作業計画を伺ってもいいですか?
円城 少なくとも「文字渦」のような路線はやらないでしょうね。売れるわけがないので。5万部売れるものをやりたいと思ってます。
佐々木 『プロローグ』と『エピローグ』というものは、円城塔という人がもともと持っていた二つの路線を見せたものだったと思うんです。つまりは、純文学とSFということですが。この元を辿ればデビュー作に辿り着く二つの線を更に発展させて、ポスト『プロローグ』、あるいはポスト『エピローグ』的な作品をこの後書かれる可能性はあったりするんですかね?
円城 あるのかもしれないけど、まだ。確かに大きいのは動いているけど、小説じゃないんですよね……。いつ発表になるかは不明ですけど、おそらく今年いっぱいはそれに時間を取られるといった感じです。またそれとは別に、SFの大ネタもあるのはあるんですけど、収入面での心配があるので。SFの大作を書いたところで果たしてどれだけキャッチーなのか、っていう。
佐々木 5万部問題ですね。でも、それで言うと『屍者の帝国』(2012年)はすごく売れた本ですよね?
円城 あれは内容でそこまで売れたわけじゃなく、特殊なケースだと思う。どうすれば5万部売れるかって結構難しいですよね。あんまり考えない方が良いって話はあるんだけど、でもたぶんエンタメ路線に振れるでしょうね。戦国ものとか、新『新日本風土記』(坂口安吾)みたいなことをやるとか。
佐々木 さっきの日本再発見に繋がってる。でも、いま思い出されるのは、荒巻義雄という人がニューウェーヴSFの旗手として活躍される一方で、架空戦記物をどれだけ書いたかっていうことですが。それに近い動き方をされるとか……。
円城 いや、そっちに行っても良いんじゃないかな。『ニセコ要塞1986』(1986年〜1988年)とか『旭日の艦隊』(1992年〜1996年)とか、やっぱり一番売れてるので。売れる感じのを書きたいです。たとえば、イエズス会目線から見た信長ものとかどうですか?
佐々木 むしろ売れない方向へと話が行ってるような(笑)。でも確かに「文字渦」以降、日本の歴史を掘っていってる感じはあるわけで。それがこれから書いていく小説に何かしら反映されていくんだろうな、とは思いますけど。
円城 文体で言えば、歴史小説の文体って謎の進化を遂げている複雑怪奇なものなので、それを解きほぐすのはすごく面白いと思います。信長とかにデフォルトでついてる情報量が多過ぎて、書かないことになっているから、歴史小説って翻訳できないんですよね。注を付けようと思うと、注が膨大な量になってしまう。観光地の看板とか見ても、日本史を知らない外国人はほとんど理解できてないんじゃないかな。だから、そういう人にも分かるような日本史を書く。
佐々木 結局、日本史書くんじゃん(笑)。
円城 そうすると5万部くらい売れるんですよ、きっと。「よく分かる北条氏」みたいな。
佐々木 なんかすごい普通の新書書くみたいな感じになってますね(笑)。でも、真面目に言うと、過去の大方のことは本当かどうか分かんないわけですよね。だから、さっきの話じゃないけれど、分かってない過去は未来と同じだということになる。歴史小説や時代小説を書くSF作家が過去に何人もいたのはそういうことだと思うんです。実際「文字渦」も過去について扱った小説になっているわけだし。いま、選択肢として、円城さんは過去方向が気になる、っていう感覚なんですかね、やっぱり。
円城 そうですね、過去志向は強くなってきてます。日本古代史ものって一定の人気があるから。でも、その前って何も残ってないから、書けないじゃないですか。しかも、その人達は明らかに日本語を喋ってなかったわけですよ。そういう日本語発生以前のことをどうにか書けないかっていうのは、ここ数日考えてますね。まず日本語を喋らせることはできないし、ということは、登場人物に名前も付けられない。船に乗ってやって来たとか、分かってるのは調理法だけで、みたいなことしか書けないわけだから。
佐々木 『2001年宇宙の旅』(1968年、スタンリー・キューブリック監督)の冒頭部分の猿のことを書く感じだ(笑)。あと、聞いてて思い出したのは、筒井康隆さんの『原始人』(1987年)っていう、原始人たちを描写しただけの短編なんですけど……。
円城 僕が「こういう小説どうですか」って言うと、大抵が「それは既に筒井さんが書いていて……」って話になっちゃうんですよね(笑)。
佐々木 そのパターンをなぞってしまった(笑)。でも、今日おっしゃっていたことは、正直どこまで本気なんですか?
円城 書けるんだったらすぐにでも書きたいんですけど、書けないです。僕、書けないことを書きたがるので、そういうジレンマがあります。で、結局それを書くよりも、それを書こうとして悩んでる人を書く方が楽だから、そちらに逃げちゃう。これも一種の「私小説」ですね。まあ後藤明生風にでも頑張ってみるということに(笑)。
佐々木 さっきまで5万部って言ってたのに、これだと絶対5万部売れない(笑)。
円城 5千部でしょうね(笑)。
佐々木 でも、どうしても僕ら的には、さっきちらっと出た「時間を今年は取られる、でも小説じゃない」ってやつが気になるんですけど、それとはまた別に、新作小説まではちょっと時間が空いちゃう感じですかね。
円城 言われてみるとそうです。
佐々木 いま思い出したんだけど、『エピローグ』って殺人事件が起きるじゃないですか。僕は円城さんに昔、ミステリー書かないんですか、って聞いたことがあって。たとえば、舞城王太郎が一時期やっていたようなことなら、円城さんはそのまま書けそうな感じがあったから。それで言うと、今回の『エピローグ』はまさに、SFミステリーの体を取りながら、ミステリーのコードを知悉した上でオルタナティブを出すということをやっている、という気がしたんです。一時期の笠井潔風に言うと「脱落系」的な要素も入ってたり、すごいアイデアが詰まってますよね。
円城 たとえば、知らない町を歩いている時に、この道危ないぞっていうのが分かる人と分からない人がいる。僕はわりと分かる方なんですよ。小説という町を歩いている時に「この道までは良いけど、向こうまで行くと危ないぞ」っていうボーダーの向こう側にミステリーは広がっているイメージです。そこに踏み入れないように歩くと『エピローグ』になる。
佐々木 ってことは、急に本格ミステリーを書くとかは考えられない?
円城 考えられないです。チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』(2009年)に誰も怒らないわけじゃないですか。そういうものだったら書きたいと思う。あと時間もののネタは一個あるっちゃあるんですけど、綺麗にまとまらないのがあって、あんまり手をかけられてないです。
佐々木 綺麗にまとまる/まとまらないの話で言うと、『プロローグ』『エピローグ』って、他の人ならいくつも小説が書けちゃうくらいの膨大なアイデアが入ってると思うんですよね。一方で、たとえば、最近だと「Kindle Singles」に短い短編も書かれたりするじゃないですか。そして、他の人の小説を読んだりする時にも、それがウェルメイドな作品かどうかを客観的に判断する能力を円城さんは当然お持ちだと思うんです。でも、結果的に円城さん自身の作品が何よりも荒唐無稽なものになっちゃうというのは、やはり綺麗なものにしたくないから、意図的にそうしていると思っていいんですか? 本当に綺麗な小説になったら、我々が読んでいる円城塔ではなくなっちゃうというような気もするのですが、綺麗にまとまったものを描きたいという欲望は、それでもやはりお持ちなんですか?
円城 それはごく普通にありますが、精緻にぴたっと嵌っていくもの、綺麗なものを書くには時間が掛かるので、それをやるには芸術家タイプになるしかない。でも、途中で「こんなんじゃない!」って反故にしたりするような暇が僕にはない。書いちゃったからには最後まで書いて出すよ、みたいなやり方でやってきました。僕はそもそも書いた文を一文も削りたくないタイプなんですよ。頼まれた枚数まで来たから終わる、ってタイプなので、綺麗なものだけを残すってことはできない。まあ作品の残り方として、J・L・ボルヘスタイプが効率良いと思うので問題はないです。
佐々木 いやそれがもうおかしいでしょ、ボルヘスタイプが効率が良いって言う人いないですよ(笑)。
円城 書き方としてはすごく多作なんですけど、「『伝奇集』(1944年)だけ読めば一応オッケー」みたいなコンパクトさには好感が持てます。もっとみんな気軽に、カジュアルにボルヘスを読んで良い。ボルヘスは博覧強記と言いながら、そんなに数学得意じゃないし、かなり適当だから、適当なところツッコみながら読むと良い。ボルヘスもここで笑いが取りたいんだよ、みたいな。だから、誰か関西弁とかで訳すべきですよ。
佐々木 急に北野勇作さんみたいな感じになる(笑)。
円城 「おっきい図書館があってな」みたいな感じですかね(笑)。
佐々木 想像できるね(笑)。久々に長いことお話させていただいて、とても面白かったです。今日はどうもありがとうございました。
円城 ありがとうございました。
円城塔プロフィール
1972年生まれ。小説家。『Self-Reference ENGINE』(早川書房、2007年)で小説家デビュー。『道化師の蝶』(講談社、2012年)で第146回芥川龍之介賞受賞。 『烏有此譚』(講談社、2009年)で第32野間文芸新人賞受賞。『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著、河出書房新社、2012年)で第31回日本SF大賞特別賞、第44回星雲賞長編部門受賞。「文字渦」(新潮社、2016)で第43回川端康成文学賞受賞。その他著書に『エピローグ』(早川書房、2015年)、『プロローグ』(文藝春秋、2015年) 、『シャッフル航法』(NOVAコレクション、河出書房新社、2015年)、『これはペンです』(新潮社、2011年)など。
佐々木敦プロフィール
1964年生まれ。批評家。HEADZ主宰。ゲンロン批評再生塾主任講師。主な著書に『新しい小説のために』(講談社、2017年)、『筒井康隆入門』(星海社新書、2017年)、『ゴダール原論――映画・世界・ソニマージュ』(新潮社、2016年)、『あなたは今、この文章を読んでいる。――パラフィクションの誕生』(慶応義塾大学出版会、2014年)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン、2014年)、『「シチュエーションズ――「以後」をめぐって」』(文藝春秋、2013年)、『批評時空間』(新潮社、2012年)、『即興の解体/懐胎――演奏と演劇のアポリア』(青土社、2011年)など。
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