円城塔×佐々木敦「『エピローグ』と『プロローグ』のあいだ 世界・SF・私小説」(前編)


構成/横山タスク・竹永知弘

2018年3月2日 三鷹SCOOL


この公録は3月2日にSCOOLにて行われた円城塔と佐々木敦の対談企画「『エピローグ』と『プロローグ』のあいだ ー世界・SF・私小説ー」を文字起こしして再編したものである。「言葉の迷宮」とはまさに円城塔の小説を形容するにふさわしい修辞だが、その彼に語らせると一体どのようになるのだろうか。円城塔の語りは脇道にそれ、しばしば二転三転し、ときに行き止まる。まるで自分の言葉の迷路に自ら迷おうとするかのような逍遥者・円城塔と、それに付き添い、あるいは率先して迷いを与え、ときに脱出の路を探る探求者・佐々木敦の対談は、まるで『神曲』のダンテとウェルギリウスのようでもあり、しかし度々噛み合わなかったりして、ラブコメディのようでもある。その全容をお送りしたい(横山タスク)。


イントロダクション

佐々木敦(以下、佐々木) 今日は『エピローグ』および『プロローグ』の文庫発売記念イベントとして、円城さんをお呼びしました。どちらも単行本は2015年秋ぐらいに出版されていて、2年半の時を経て今回も同時にそれぞれハヤカワ文庫、文春文庫から文庫化されました。早速お聞きすると、たとえば、この二つの作品はタイトルからして対になる作品だと思うのですが、『SFマガジン』(2014年4月〜2015年6月)に『エピローグ』を、『文學界』(2014年5月〜2015年5月)に『プロローグ』をというふうに、二つの長編を同時に連載しようと思ったのはどうしてですか?

円城塔(以下、円城) 僕は基本的に短編を書いている方が一番楽なんです。でも、「作家としてのステップアップのために長編の連載をしなさい」ということを言われるようになるんですよ。芥川賞受賞までは短編を書いた方がよいという話もあるわけですが。最初の頃は、連載は無理だから、長編が一本まるまる全部書けたら載せて欲しいと言って断ってたんですけど、ひきのばしているうちに断れなくなってしまった。そこで、どうせなら同時にやってしまえと『エピローグ』『プロローグ』を書きました。

佐々木 確かに雑誌での本格的な連載は『エピローグ』と『プロローグ』が初めてだったわけですよね。その後、短編連作として「文字渦」(『新潮』2016年6月〜2018年3月、隔月連載)を書かれるわけですけど、この二つの長編連載はその後の円城さんの活動にとっても、大きな意義があったわけですよね。

円城 枚数に終わりがないものを書くのは無理だという気はしていたんです。「じゃあどうするか」と問われた時に、僕はSF業界と文芸業界のデビューが同時だったので、どちらか先にやるのは変だという気持ちになり、どっちも同時にやってしまえと思ったんです。そして、それなら対になるように書くしかないだろうと思った時に『プロローグ』と『エピローグ』というタイトルが決まりました。

佐々木 そこですよね、やっぱり。タイトルが『プロローグ』と『エピローグ』というのが重要で、内容がどちらも物語の筋をほぼ言えないような感じになっているから、とっかかりになるのはとにかくタイトルしかない。

円城 実際は『エピローグ』というタイトルなのに本を開いたら「プロローグ」って書いてあるのは面白いかも、っていう一発芸的な思いつきですよ(笑)。同時並行でストーリーを書くのは無理だという気はしてたんです。だから『エピローグ』には物語があるけれど、『プロローグ』は私小説として起きたことをそのまま書くというスタイルにしました。『プロローグ』は本当に日記のようなものです。とはいえ、並行して読むと『エピローグ』にも大体同じようなことが書いてあるんですよね。後ろの方では、ズレていってますけど。

佐々木 『SFマガジン』が連載途中の2015年頃から急に隔月刊化した結果、ちょっとずつズレていくという予測不可能な現象が起きた(笑)。話は戻りますが、先ほど「もし長編を書かなければならないとして、全部書き終えた状態で小出しにしていくのならアリ」とおっしゃっていましたよね? 円城さんの場合、書く時には頭の中に設計図がすべて完成しているのか、もしくは即興的な要素を盛り込みつつ書いていくのか。いまの円城さんのお話だと、片方は日記、つまりはこれから起きることに賭けている部分が多いわけですよね。連載を始める前に具体的な構想やイメージはあったんですか?

円城 あまりなかったですね。時間不足で精緻な組み立てなんて絶対にできないから、ラブコメ風にしとけば、どうにか許されるのでは……ぐらいにしか考えていなかったです(笑)。「最後には愛でなんとかなる!」みたいなざっくりしたアイデアだけで乗り切ろうとしてました。細かい構成とかは練れないから、その代わりに強めのネタをバンバン入れておこうと思ったのと、交互に繋がっていく話というアイデアだけ思い浮かんでいて。「長編になりうるアイデアだけど、僕が書くのは面倒くさい」みたいな的なネタを小ネタとしてたくさん取り入れることで許されようと思った(笑)。

佐々木 ということは、やはりどちらも連載開始の時点では、ちゃんと書けるっていう確証はなかったんですね。

円城 でも『プロローグ』は日記なんで、どうにかなるだろうと最初から思ってましたよ。

佐々木 それはもはや、この後一年間生きているだろうから大丈夫だ、っていう感覚に近いですよ(笑)。

円城 かなり近いんですけど、そういう意味ではこの一年劇的に人生を構築できるかというチャレンジではありましたね。マイアミに行って「ラジカセを肩にかついで海辺を歩く男」を探すとか、ほんとに実際にやりましたからね(笑)。ずっと探し歩いてたんですけど、本当に見つからなくて。そしたら、アメリカ中部のセントルイスに、『子連れ狼』を見ながら育てられて『バトルロワイヤル』を翻訳したんだとかいう知り合いがいて、その人に「こういう人探しているんだけど」って言ったら、「いまはiPodがあるから」って正気で返されて(笑)。という感じで『プロローグ』では、実際に起こったことを本当にそのまま書いてます。

佐々木 『プロローグ』と『エピローグ』は円城さんの中ではある程度は対応関係にあるんですよね。実際、だいたい同じことが書いてあるわけだし。とはいえ、二作品をまったく同時に書いているわけじゃないと思うんですが、どっちを先に書き始めたんですか?

円城 それは完全に『プロローグ』が先です。『プロローグ』は日記だけど、同時にツールを作りながら、コードを書きながら書いていこうと思っていたので。作品を書き終える頃になると、小説執筆に便利なツールがいくつもできていて「すごいツールがGitHubに上がってるぞ、カッコいい!」みたいな感じで褒め讃えられる予定だった(笑)。

佐々木 結局まったくそうならなかった(笑)。

円城 印刷所なんですよね、そういう技術を持っているのは。でも、作家だって編集者だって、相互のやり取りで文字コードの話をしたりできる方がいい。あと執筆に関して言えば、僕は登場人物の名前決めるのが嫌だからランダムに決めたいとか、漢字とひらがなの統一はオートマティックにやりたいとか思うので、ツールが必要になるわけです。その便利さを解説しながら書き進めていくのが『プロローグ』で、作られたツールを実際に使って書かれたのが『エピローグ』、というような関係で作品を展開していく予定でした。最初の名前のくだりが分かりやすい例です。

佐々木 なるほど、だから『プロローグ』『エピローグ』という順のタイトルじゃないといけなかったんだ。でも実際やってみたら、予定通りにはならなかったわけですよね。どうしてなんだろう?

円城 僕がコードを書くのが遅いからです。コードを書くより「コードを書く小説」を書く方が早い。小説は基本的にバグで動かないということがないから当然と言えば当然ですが(笑)。

佐々木 そもそも小説においては何がバグなのか分からない(笑)。ともあれ、そういう理由で予定とズレていって、実際には他の作家が二つの雑誌で同時に連載を始めて、その二つの世界観が通じ合ってる、みたいなことと大差ないかたちに落ち着いたということですね。

円城 世界観というか、どっちも「現実」だと思っています。

佐々木 『プロローグ』は「現実」で起きたことを日記的に書くわけだから、「私小説」と呼ばれるわけですよね。そして、そこで書かれたことは何かしらの変換回路を通して『エピローグ』になっていく。こちらも「現実」という感じですか?

円城 見たままを書いているとこういう小説になるということです。僕が暮らしているとこう見えるといった感じ。

佐々木 重要なのはそこですよね。円城さんは「見たままを書いている」とか「起きたことをそのまま書いている」ということをいろんなところで繰り返しおっしゃっている。それも韜晦的に言っているのではなく、ある種の実感として口にされているんだと思うんです。今回の『プロローグ』『エピローグ』の場合で言うと、少なくとも円城さんが自分の現実、人生の中で起きたことをそのまま書いているにもかかわらず、実際に書かれたものが『プロローグ』のようなものになるという変換が初めにあって。それがもう一度別な変換を経て『エピローグ』のようなスーパーインテリジェンスSFのようなものになる、という二度の変換を確実に経ているわけですよね。円城さんが「見たままを書いている」と言う時、みんながそんなはずはないと思ってしまうのは、書かれた内容の多くが本当に起きたことだとはどうしても思えないからではないでしょうか。それがなぜ起きるのか、なぜそうなるのか、ということが読者の興味の核心だとして、円城さんが「見たままを書いている」というだけでは、それでお終いになってしまう。

 アメリカに行った時にシアトルから入って、マイアミに行って、そこからボストン、NYに行くんですが、旅順がおかしいじゃないですか。なんでこんなにジグザグに行くんだっていう(笑)。全部で3週間くらい滞在したんだけど、無駄な時間も結構多くて。でも、それは僕が悪いんじゃなくて、その間の3週間を短く編集できないこの世界がおかしいんですよ(笑)。結果、小説がおかしく見えるというだけのこと。

佐々木 分かるんですけど、それでは僕を含め、大方の人たちが納得できない(笑)。なぜなら、アメリカでの体験を一筆書きすると変なものになったというのは他の小説家にも起こりうることですが、円城さん以外の人が書いたら絶対にこういう小説にはなっていないから。その説明にまったくなってない。もうひとつ言えるのは、これが連載ではなく書きおろしのかたちだったら、私小説とはいえ過去のリソースを元に書くしかないから、確定しているものに対し、どう書くかという話になる。だけども、これは連載だから、つまり2ヶ月後に自分が何をしているか、という未来のことは不確定にならざるをえないわけです。とすると『プロローグ』の連載時期が少しでもズレていたら、完全に違った小説になってしまう。

円城 それは完全にそうですよ。でも『プロローグ』の時は、いくつか事件が起こるのが決まっていましたから。アメリカに行くし、子供も産まれる予定だった。だから、ネタには困らないという計算がありました。でも重要なのは、そういった事件を体験するときに必ず自分のフィルターが挟まるということの方なんだと思います。というのも、今日会場に来る前に神保町に行って、九段下の方に抜けていったんですが、そこから靖国神社の大鳥居が見えて。僕はそれを「巨大ロボ」っぽいと思ったんです。

佐々木 それを「ロボみたいな鳥居」と書かずに「ロボ」と書くことで、一気に円城さんの小説になりますね(笑)。

円城 日本中に神社はたくさんあるので鳥居が全部ロボになったら怖いな、とか想像するんです(笑)。かなりの数あるだろう鳥居がある日、急にロボとして立ち上がる――。

佐々木 ハリウッドっぽくなってきました(笑)。

円城 鳥居って二足歩行感あるじゃないですか。駐車場とかにある立小便をさせないための小さな鳥居とかもすべて立ち上がる。これが全部襲ってきたら戦えないんじゃないか、とみんな思うでしょう。京都の伏見稲荷にある千本鳥居を見て「これが全部来たらまずいな……」って考えたり。本当は宇宙人によるトロイ・ウィルス型の侵略作戦なのに、みんな知らないうちに気付けば鳥居を作ってしまう――。それで鳥居が立ち上がる時に、人々はやっと「そういうことだったのか!」って気付くわけですよ(笑)。

佐々木 いま話しているような「現実」認識の仕方は、そのまま円城さんの小説の作られ方なんだという感じがしますね。

円城 まさにこういう連想の結果、出来上がったのが『エピローグ』です。普通に生活していても、大きな鳥居に出会えばこう考える。ましてや、書いていた時はアメリカに行ったりしていたので、何かしら小説のネタになる発見はあるだろうと思っていました。
(2P目に続く)

ヱクリヲ vol.8 
特集Ⅰ「言葉の技術(techno-logy)としてのSF特集」
〇Interview:円城塔「言葉と小説の果て、あるいは始まりはどこか」
〇《付録》 A to Z SFキーワード集 ほか多数の論考を掲載
特集Ⅱ「ニコラス・ウィンディング・レフン――拡張するノワール」