「アクトグラフィ」は俳優の出演歴を示す造語(actor+biography)だが、その言葉どおり、このコーナーではドライバーのもっとも短い映画出演から主演作、そして近日公開予定の作品まで全ての情報と、彼が演じた人物の詳細とドライバーの演技について批評している。このコーナーを通して、まだ見ていないドライバー出演作品の魅力を感じたり、また視聴済みの作品であっても、その演技の批評を通してその魅力を再発見していただければ幸いだ。
(作成:伊藤元晴、佐久間義貴、白石・しゅーげ、横山タスク)
※この記事は2018年11月に刊行された『ヱクリヲvol. 9』に収録されたものです
アダム・ドライバーが担う役はそれほど多様ではない。しかし、そのような彼の特徴こそが出演作の多彩さを際立たせる。ある時彼は、大都市の変化を強調するために配置された凡庸な芸術家であり、女性の魅力を反射する穏やかなその恋人であり、社会の変革者をヒーローたらしめる制度の一機能であった。こうして彼は時に脇役として主役を支える影となり、時には影も主役になることを示した。以下の三つの分類は観客がそれを楽しむための助けになるだろう。
〈N.Y.〉
バームバックやジャームッシュ、マンブルコアの作家たちと映画を作ってきたアダムにとってN.Y.はとりわけ馴染み深い場所。俳優になる前、彼が海兵隊に入るきっかけも、9・11のテロだった。決してそうは見えないが「パターソン」が実は、N.Y.からほど近い郊外の町であることも、ドライバーがこの都市の新たな一面を見せてくれる証拠の一つだ。
〈ボーイフレンド〉
キャリアの前半では女性にスポットを当てたドラマで主人公やその友達の恋人を演じた役が多い。「恋人」役はブラッド・ピットやジョニー・デップの下積み時代にも共通する、若い二枚目俳優の証だ。シングルマザーの母親のもとで育ったドライバーだからこそできる女性に待たされ、悩みを聞き、最後には振られる演技というのもあるのだろう。
〈役人〉
スタジオミュージシャン、警官、バーテンダー、通信兵、そしてカイロ・レン……アダム・ドライバーには寡黙で仕事に徹しきった「役人」の顔がある。考えを推し量れないその独特な表情が画面に添えられたとき、その映画は汲み尽くせない特別な謎を手に入れることになるのだ。
▶ N.Y. 『フランシス・ハ』(2012) 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス名もなき男の歌』(2013) 『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(2014) 『パターソン』(2016) 『マイヤーウィッツの家の人々(改訂版)』(2017) ▶ ボーイフレンド 『彼と彼女のゲイビー大作戦』(2012) Not Waving But Drowning(2012) Bluebird(2013) 『もしも君に恋したら』(2013) 『奇跡の2000マイル』(2013) 『ハングリー・ハーツ』(2014) 『あなたを見送る7日間』(2014) ▶ 役人 『J・エドガー』(2011) 『リンカーン』(2012) 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)/『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(2017)/『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019) 『ミッドナイト・スペシャル』(2016) 『沈黙-サイレンス-』(2016) 『ローガン・ラッキー』(2017) 『ブラック・クランズマン』(2018) 『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(2018)
▶ N.Y.
『フランシス・ハ』(2012)
N.Y.のダンスカンパニーに所属し、不安定な収入で生計を立てる27歳のフランシスはもう学生でも未成年でもない。「何もかも自分と一緒」と思うほど共に仲良く暮らしていたソフィーは、クイーンズに新居を見つけてルームメイトを解消し、またすぐに彼氏の仕事の都合で日本に移住。残されたフランシスは徐々に将来に不安を覚え始める。同世代で同じようにふらふら生きる男性版フランシスとも言うべきドライバー演じるレフは、ダンスパーティで知り合った彼女をデートに誘う。彼女はそのままレフとその友人のルームシェア先に転がり込む。彼女に気のあるようなないような態度を見せるレフは、優しいというよりも優柔不断だ。出演時間こそ短いが、20代都市生活者のモラトリアムという本作のテーマを補完する。本作は「マンブルコア」という、ゼロ年代初頭からニューヨーク近辺の映像作家が知人同士で作るインディ映画の流れにある。ジュリアード音学院出身のドライバーにとって、サブカル系の売れない若いアーティスト、レフは初期の当たり役の一つだろう。(伊藤元晴)
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス名もなき男の歌』(2013)
『ノー・カントリー』や『オー・ブラザー!』などクセのある映画を撮り続けるコーエン兄弟が制作。オスカー・アイザック扮するフォーク歌手ルーウィン・デイヴィスが60年代のポップな雰囲気には乗れずあちこちを彷徨うことになる。
本作でドライバーは、ジャスティン・ティンバーレイク(!)扮するポップ歌手ジム・バーキーの新曲“Please Mr. Kennedy”のレコーディングにアル・コーディというギターパートの一人としてデイヴィスとともに参加し、ギターを弾きながらスキャットを兼任する。この曲は、デイヴィスが毛嫌いしている当時の「売れ線」だが、シニカルな政治批判の歌詞と甘いメロディーが合わさって魅力的だ。ドライバーが二人のコーラスに一切体を揺らさず入れる「アッオー」や「オーノー」といったコミカルな合いの手や、大きな口の動きはなんとも異様な雰囲気がある。少ない場面ではあるが、演劇科とはいえジュリアード音楽院を出たドライバーの本領発揮ともいえる映像になっている。(横山タスク)
『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(2014)
アダム・ドライバーにとって二本目となるバームバック監督作。40代の夫婦、ドキュメンタリー映像監督のジョシュ(ベン・スティラー)と有名なドキュメンタリー作家の娘コーネリア(ナオミ・ワッツ)の二人は流産した経験があるせいで、子どもを持つ他の同世代の夫婦の輪に入れない。ある日、大学で教養講座の講師を務めるジョシュの元に、ジェイミー(ドライバー)とダービー(アマンダ・サイフリッド)の夫妻がやってくる。15歳ほど歳の離れた彼女らと付き合ううちに、ジョシュたちは自分の若い頃を思い出し、同時に身体が彼らと同じようには無茶できないほど老化していることにも気づかされる。やがてジョシュは、ドキュメンタリー作家を夢見るジェイミーが自分を新作の引き立て役として利用しようとしていることに気がつく。ドライバーは嫌味で器用で淡白な若者という悪役を演じる。スティラー演じるジョシュが純朴で大人になりきれない中年男として監督の分身を演じているとするなら、ドライバーはバームバックが思い描く次世代のキャラクターだと言えるかもしれない。さんざんジェイミーに振り回されたジョシュが「彼は悪魔じゃない。若いだけ」と自分の限界を認めるシーンは印象的だ。次は「悪魔」としてのドライバー主演映画を期待したい。(伊藤)
『パターソン』(2016)
インディー映画の巨匠、ジム・ジャームッシュ監督がドライバーに演じさせたのは、詩を嗜むニュージャージー州パターソン市市営バスの運転手・パターソン氏。彼の日常が淡々と描かれる映画である。パターソンはバスドライバーとして毎日市内を回り、夕食後は犬の散歩のついでに馴染みのバーで一杯傾けながら、町で起こる事件に注意深く意識を傾け、そこで起きた出来事を詩にして綴り、妻に語る。
ドライバー=パターソン氏はその名の通り、町の一部でありながら町そのものだと言える。市営バスは昼の町の繁栄を支える動脈であり、深夜の散歩とバー巡りは夜の町の活気を支える静脈である。彼はその2つの作業に携わることで町の生命活動そのものに溶け込み同化する。その最中で、ドライバー=パターソンは極めて個人的な活動として、自分や町の人々の生活を受け止め、詩に昇華する。その活動=演技は派手な動きを伴わないからこそ、深い思慮がなければ難しい演技だと言える。全編を通していかなる出来事が起きてもどこか朴訥として落ち着いた彼に、観客は「何を思っているのだろう」と想像を掻き立てられる。町の鏡であるドライバーを通して、観客はパターソンという町全体をも見つめ直すことになる。
同時に、この大役にドライバーを起用したジャームッシュの手腕にも注目したい。彼は役者の自然体を演技として引き出すことに長けた監督であるが、本作で演技をしているドライバーは、極めて自然体でリラックスした演技に専念できている。また、さりげなくベッドサイドに海兵隊時代のパターソン氏の写真が置かれているところに注目しよう。ドライバー自身海兵隊の出身であったが、俳優本人を登場人物と深くリンクさせるように配置するのは『ミステリー・トレイン』にも通じるジャームッシュお得意の演出だ。このような仕掛けからもわかるように、明らかにジャームッシュはドライバーを「私(わたくし)俳優」として抜擢しており、本作はアダム・ドライバーという演者の魅力を良い点も悪い点も深く受け止めた作品である。
このようなドライバー=パターソン=パターソン(市)という関係は、俳優=登場人物=舞台を、まるでキリストの三体(父=子=精霊)のようにひとつにつなげるだろう。もしそのように、この映画が3つの特性を併せ持ったひとつの総合的な作品であると考えるのであれば、この映画はアダム・ドライバーという俳優それ自身であるとすら言うこともできるはずだ。(白石・しゅーげ)
『マイヤーウィッツの家の人々(改訂版)』(2017)
高名な彫刻家だが独善的な老人ハロルド・マイヤーウィッツは、ホイットニー美術館で開かれた同世代作家の展示でほとんど無視されヘソを曲げる。硬膜下血腫で彼が倒れたのを機に無職の長男、長女、会計士の次男マシューが集まる。意識の朦朧とした父の前で子どもたちは、いがみ合うが最後には仲直りし、父も一命を取り留める。他愛もない家族のいさかいにも見えるが、長男の娘が美術館倉庫の彫刻に祖父の作品である証拠のサインを見つけるラストは、美術に託された大きな時間の流れの中に家族の絆を描き出す。バームバックはいつも大人になれない大人たちを描くが、それがどの世代でも共通の問題だとされるとき観客の射程はぐっと広がる。ドライバーはマシューの仕事仲間としてほんの数秒の出演だが、彼もまたバームバックが描く子どもっぽくも愛しき芸術家たちの一員として魅力を発揮する。(伊藤)
▶ ボーイフレンド
『彼と彼女のゲイビー大作戦』(2012)
ゲイであるマットと三十路を迎えるヨガインストラクターのジェンは共に子供を欲しがっている。セクシャリティが違えど、親友であった二人は昔の約束通り「普通の方法」で子供を作ろうとする。だが、果たしてどのようにしてゲイがベイビー=「ゲイビー」をもうけるのか。また、マットはジェンと子作りをしなければならない一方で、まだ元ボーイフレンド・トムのことが忘れられないでいる。実に倒錯したこのコメディ映画で、ドライバーはマットの働くコミック・ブック・ストアの同僚ニールを演じている。映画全体のわずか2分ほどしか登場しないが、漫画本をいじりながらトムとジェンがそれぞれ店に現れた時の「気まずさ」の演技はすでに彼独特の味を醸し出しており、のちにスターとなる萌芽を見せている。(白石)
Not Waving But Drowning(2012)
二人の若い姉妹、姉のアデルは進歩主義的で上昇志向な性格で家族を残して一人ジャーナリストを目指しN.Y.に上り、妹のサラは逆に保守的な両親にとらわれ老人ホームで働くことになる。アデルはN.Y.でストーカーや鍵の紛失など散々な目にあった後、隣に住む悪友シルヴィアの夜遊びに付き合った際、行きずりの男からレイプ紛いの性暴力を受ける。そんなどん底のアデルの前にアダム・ドライバーは清掃会社の仕事仲間「アダム」役として現れる。当初こそチャーミングだがどんくさくてどこか間抜けという印象だが、次第に真面目で真摯な性格を見せるようになり、アデルはアダムと交際することになる。鑑賞にこそ苦労する作品だが近年の成熟した演技ではなく、ドライバーの若々しくて不器用な演技を見たい人には興味深い作品となるだろう。(横山)
Bluebird(2013)
本作は日本で公開されていない。スクールバスの運転手として働くレスリーがいつもどおり仕事を終え帰宅前のバスの点検をしていると、青い鳥が現れた。鳥に見惚れた彼女は寝過ごした子どもに気づかずバスの中に閉じ込めてしまい、子どもは低体温症で意識不明となり翌日病院に搬送される。アダム・ドライバーは子どもの母マーラの勤務先のレストランの店員兼ボーイフレンドとして現れるが、このまだまだ無名のアクターは、どうとでも退屈に演じられるこの端役で、個性を発揮している。(横山)
『もしも君に恋したら』(2013)
「ハリー・ポッター」シリーズでスターの座を得たダニエル・ラドクリフが、恋に臆病で不器用な若者ウォレスを演じるラヴコメディ映画。本作でドライバーは彼の友人アランを演じる。アランは恋愛で傷ついた過去の経験を引きずり常に臆病であるウォレスをパーティーへ連れ出すのだが、そこで既に恋人のいる女性シャントリーと良い雰囲気になる。アランは自分の従姉妹であるシャントリーとウォレスを恋愛関係に持ち込ませようと助力するように見えるが実際は自分の性体験を誇るばかり。常に下品なジョークを言い放ちその道の海千山千といった趣を見せるドライバーは、映画でコメディリリーフとしての役割を担う。友人関係やキャリアなど、ともすれば深刻になりがちな題材をコメディとして成立させる独特なドライバーの存在感は映画の憎めない雰囲気を決定づけている。(白石)
『奇跡の2000マイル』(2013)
オーストラリアの砂漠地帯をラクダと愛犬とともに横断した女性探検家の実話を元にしたロードムービー。都会の喧騒を嫌い探検に出発した女性・ロビンを追いかけ回す『ナショナルジオグラフィック』誌の写真家・リックをドライバーは演じている。うるさい音楽とけたたましいクラクションを鳴らしながら現れ、早口でまくし立てるように喋るリック。ロビンが逃れ出たかったはずの都会を感じさせ、彼女を不愉快にさせる。一方で探検には資金が要るが、それを得るためには彼女が逃れたい都会的なものとの紐帯が必要となる。そこでロビンは探検で必要になるラクダや愛犬を手なずけるかのように、リックを「調教」してしまう。その「調教」によって、一転してリックはロビンを献身的に支え始める。ドライバーの演じるこの二面性が本作の見所だ。またロードムービーとは、旅の中で自らの過去と対話し、それを乗り越えるという成長物語としての側面を持つ映画ジャンルであるが、リックはロビンに寄り添いながら、彼女の内面に抱えた過去を物語の中で浮かび上がらせるための装置として、ストーリーにも「奉仕」していると言えるだろう。彼の引き立て役としてのふとした仕草や身振りも、美しいロードムービーに調和している。(白石)
『ハングリー・ハーツ』(2014)
実質的なアダム・ドライバーの初主演作。彼が演じるジュードは、レストランの化粧室のドアが壊れたせいで、未来の妻となるミナと出会い、彼女とともにトイレに閉じ込められる。ミナがジュードの排泄物に露骨な不快感を示すことから、彼女にとっては最悪のファースト・インプレッションとなったのかもしれないが、トイレを脱出した後、ちょっとした吊り橋効果もあってか意気投合。二人は恋人同士となり、ミナの妊娠をきっかけに結婚する。しかし、冒頭の不穏な出会いから予見された通り、彼らの結婚生活はそれほどうまくいかない。実は極度の潔癖性で完全菜食主義者であったミナが動物性蛋白質を口にしたがらないせいで、胎児は慢性的な栄養失調に陥る。母子は何度も死の危機にさらされ、それを乗り越えてなんとか息子が生まれるが、菜食主義のせいで彼女の母乳はすぐに止まり、粉ミルクの代わりに特製の薬草ばかりを与えるので再び子どもは命の危機に陥る。乳児の健康状態がどんなに危険にさらされてもミナは決してその子を病院に連れて行かない。夫婦は育児方針をめぐり対立し、子どもを奪い合い始める。最初は気難しい妻を気遣い、彼女の意見を汲もうとしていたジュードも、子どもの健康状態が深刻な状況にあるとわかると、息子の命を守るために妻や医師、法律家に感情を露わにし、状況の改善を試みる。しかし、それが最終的には悲劇的な結末を招く。
冒頭のトイレのシーンはキャッチーなアイデアで本作のテーマを一目でわかるように示している。ミナは人間が生き物であることの汚さに耐えられず、ジュードと彼の排泄物はその「汚さの象徴」として提示される。またそれは、本作の接写を強調した触覚性に接近しようとするカメラワークとも関係している。本作の特徴は何よりもカメラと被写体の近さだ。そしてそれは、ドライバーにとってようやくいわゆる感情の表出としての「演技」を映画の現場で発揮できる最初の機会ともなった。また、揺れの多い手持ちカメラで撮影された彼のクローズアップでは表情よりもむしろドライバーの個性豊かな顔の造形が見る者に強い印象を残す。真ん中に太く大きな鼻が通り、眉の上と首に太いシワが刻まれる。分厚い唇が左右に動いて時には笑い、時には不機嫌そうに歪む。ドライバーの大げさな顔の作りは、ミナを演じる色白で華奢なアルバ・ロルヴァケルと対照しても際立つ。彼のフィルモグラフィの中でその真価が発揮された最初の一本と言えるだろう。ドライバーは本作で、『ボローニャの夕暮れ』(2008)で印象的な演技をした実力派女優ロルヴァケルとともに「夫婦揃って」ヴェネツィア国際映画祭俳優賞を受賞した。以後、ドライバーには主演級のオファーが次々と届くこととなる(伊藤)。
『あなたを見送る7日間』(2014)
本作は父親の死をきっかけに母親の招集で三人の兄弟と妹が実家に(妹と長男は夫妻を伴って)集結して始まるホームコメディだ。ユダヤ教の「シヴァ」の風習に従い7日間をともに過ごすことになった家族は、摩擦を経験しながらも父や母の影響をお互いに見出すことで血の繋がりを再確認して、それぞれの内面・外面的問題を解決する。
この映画でドライバーが演じる三男のフィリップはなかなか奇抜な性格をしている。厳粛な葬式会場にヒップホップを爆音で垂れ流すオープンルーフのポルシェで乗り付け、開口一番「遅れた。超マズいぜ クソ!」と叫ぶトリックスターとして登場して不穏な空気を運ぶ。そしてその予感通り、彼はゴージャスな元セラピストの彼女を自宅に上げたり、田舎者の長男を馬鹿にしたり、やりたい放題だ。ここまで破天荒で饒舌なキャラクターは彼の寡黙な俳優としての雰囲気が固まりつつある今となっては珍しいものになるだろう。
しかし、彼が本物の阿呆なのかというとそうではない。不倫した次男の元妻がノコノコ実家にやってくると気弱な次男の代わりに皮肉を一刺し入れてくれたり、「兄さんは今色々ゴタゴタを抱えてるけど 俺は味方だから」と次男に気を利かせて言っておくなど、家族の中でも特に気配りが利く人物であることが徐々に明らかになってくる。前半では「大うつけ」を装い、後半には繊細な内面を垣間見せてくる。後のドライバーの深謀遠慮なキャラクターの片鱗を覗かせる役どころとも言える。(横山)
▶ 役人
『J・エドガー』(2011)
近年実在した人物に焦点を当て「アメリカ」を描き続けるC.イーストウッド監督。本作で彼が描くのはFBI長官にまで上り詰め、歴代大統領に多大な影響を及ぼすほどの権力を持ったJ.E.フーバーだ。極右のような思想のもとに過激な活動をいとわない彼を通して「アメリカ」の諸相が浮かび上がる。
本作でアダム・ドライバーは商業映画デビューを果たした。わずかな時間であるが、リンドバーグ愛児誘拐事件の容疑者の目撃者として登場し、後に誘拐犯逮捕につながる重要な証言をする。まだまだ後の活躍の片鱗は窺えないが、同じく役者であるイーストウッドが彼を抜擢したのは慧眼というほかない。(佐久間義貴)
『リンカーン』(2012)
本作は巨匠スティーヴン・スピルバーグにとって『ミュンヘン』以来7年ぶりとなる政治的作品となる。南北戦争終結前後の数日間の中で、米国の歴史的大統領アブラハム・リンカーンがその外交的手腕を駆使して奴隷制撤廃を実現させる全貌を描く映画である。俳優としてデビューしてまもないドライバーはほぼモブの通信兵として出演しているが、二つの場面の中であの思慮深い挙措と表情が十分な時間をかけてクローズアップで描かれる。片方の場面では台詞はなく電報を受け取るのみの登場だが、もう片方の場面では一般兵でありながらリンカーンに悩みを打ち明けられ、それに個人的な意見を返す。その2つの場面の中でこの男の特別な才能や深い知性を推し量ることができる必見の映画である。(横山)
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(2017)
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019)
アダム・ドライバーが「スター・ウォーズ新三部作」で演じるのはダース・ベイダーを崇拝する旧帝国軍残党から誕生した新勢力=ファースト・オーダーの幹部であるカイロ・レン。短気で八つ当たりをし予想もつかないことをする未成熟なレンの顔はベイダー卿に似せたマスクで覆われており、ドライバー本人の顔がスクリーンに登場するのは『フォースの覚醒』の半ばを過ぎてから。レンの顔には影があり苦悩が見て取れる。
「スター・ウォーズ」とは善と悪、光と闇の典型的な二項対立がテーマとなっている物語だ。それゆえ、絶対的な正義と悪役が必要不可欠なのだが、マスクを剥がされたレンの素顔に強靭な悪役というイメージはそぐわない。代わりにこのサーガにおいて強調されるのは内面的でごく個人的な弱さだ。
元々は、善の側に生まれたレンだが、父親であるハン・ソロと師匠であるルークを殺害することで、急速に悪の側に転がり落ちていく。彼は全てを白紙に戻し、苦悩の元凶である過去を葬りさろうと必死になる。しかし過去を意識すればするほど、彼はやり場のない苦しみへ放擲され、あらゆることが失敗に終わる。宿敵であるレイの救いを求める弱き心に密かに共鳴し、彼女に新たな「秩序」を共に作ろうと提案するが、拒絶される。レンの思惑が失敗し続ける理由は明白で、彼の内面では光と闇、善と悪といった相反する二面の両方に惹かれているからだ。自分の立場のしっかりしていないものが成功するはずがない。このアンビバレントで二重に引き裂かれるレンのキャラクターは陳腐な悪役として演じることはできない。だからこそ、どことなく不器用さを漂わせるドライバーこそ、レンにふさわしい役者だったといえる。
フィクションの世界でも善悪の二項対立では済ますことができなくなった現代で、ドライバー演じるレンは「スター・ウォーズ・サーガ」を今へアップデートさせる重要なキャラクターに違いない。レンが自身の悪への憧れを享受し悪に徹するのか、それともレイの助けを借りて救済され大団円を迎えるのか。『エピソード9』の見どころはレン=ドライバーの決断に収斂するだろう。(白石)
『ミッドナイト・スペシャル』(2016)
『テイク・シェルター』(2011)で話題を集めたジェフ・ニコルズのSF作品。目から光を発し、超能力で電子機器を操る8歳の少年アルトンは私たちが暮らす世界の平行世界らしき、「上の世界」からやってきた未知の生命体。父ロイと母サラ、ロイの友人ルーカスは養父の宗教団体「牧場」の教祖のもとからアルトンを誘拐し、彼が示唆する「目的地」へと急ぐ。どこかから電波をキャッチする「発作」で軍の機密情報が漏れていることを察知しFBIもアルトンの行方を追い始め、「牧場」、FBI、ロイたちによるアルトンをめぐる三つ巴の追いかけっこが始まる。ドライバーはFBIとともにアルトンを追うNSA(国家安全保障局)の調査員ポール・セヴィエを演じる。政府の中で彼だけがアルトンが発する「目的地」を示す暗号を解読し、政府がアルトンを確保したあとは、少年が彼を交渉役に指名する。ポールは少年の脱走を助け、ロイたちのもとまで送り届ける。メガネをかけて抑揚のない話しかたをするドライバーは本作で、従軍歴のある「役人」としての彼の一面をのぞかせる。(伊藤)
『沈黙-サイレンス-』(2016)
『沈黙-サイレンス-』は『タクシードライバー』の監督として知られるマーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の『沈黙』(1966)を映像化した作品だ。島原・天草の乱直後の17世紀の日本で、先に布教に向かったはずのフェレイラ司祭が棄教したという報を受けて、二人の弟子ロドリゴとガルペは長崎にたどり着くが、二人は別々に政府に捕らえられる。ガルペは民衆を守ろうとして絶命し、ロドリゴは拷問の後、棄教したフェレイラ司祭と再会して、彼に説得されて自らも表向きは棄教して日本でその生涯を終える。
アダム・ドライバー演じるガルペは前半のかなり長い時間登場しているのにもかかわらずその生真面目な言動のために存在感は薄い。しかし、彼が簀巻きにされて船から投げ出される民衆の命を守るためになりふり構わず海を泳いで助けに行き、船から棹で突き回されて溺死することになる場面では、ドライバーの傷ついてやせ細った身体と痛烈な絶叫が、民衆の庇護者としての彼の殉教に強烈な印象を付与することとなる。(横山)
『ローガン・ラッキー』(2017)
ソダーバーグ監督によって大人気シリーズ「オーシャンズ」の実質的スピンオフとして制作された。ウェストバージニア州の冴えない鉱夫ジミー・ローガンとその弟のクライド、妹のメリーは貧乏な生活を打開するために、収監されている凄腕の金庫破りジョーとその二人の兄弟の力を借りて、カーレース会場の金庫破りを試みる。
本作でアダム・ドライバーはローガン兄弟の弟クライドを演じている。片腕をイラク戦争で失い義手を装着したバーテンダーとして登場し、片手で器用にカクテルを作るシーンでその個性的なキャラクターを印象づける。
「オーシャンズ」シリーズのスノッブでセレブな世界観とは真逆を征く「ローガン」のローカルな世界で、ドライバーの演じるどこか辛気臭いバーテンダーのキャラクターはとても生き生きとしている。それはおそらく、彼が「質素な暮らしの中にある豊かな内面を持つ人」というキャラクターを極めて得意としているからではないだろうか。(横山)
『ブラック・クランズマン』(2018)
1970年代のコロラド州コロラドスプリングスを舞台に、悪名高き白人至上主義組織「KKK(クー・クラックス・クラン)」にアフリカン・アメリカンの警官が潜入捜査するという冗談のようなあらすじだが、なんと実話が元になっている。ドライバーはこのアフリカン・アメリカンの警官の相棒のユダヤ人警官ジマーマンを務め、予告編では彼が白い三角頭巾をかぶり、KKKに潜入するシーンも確認できる。主演にデンゼル・ワシントンの息子ジョン・デヴィッド・ワシントン、プロデューサーには『ゲット・アウト』の監督として一躍ブレイクしたジョーダン・ピールが参加している。本作は、トランプ政権成立後のバックラッシュで一層深刻になった人種問題にリーが投げかけた痛烈な批判が評価を受け、2018年のカンヌ国際映画祭では『万引き家族』(是枝裕和監督)の次点でグランプリを受賞した。スピルバーグやイーストウッドの映画に出演し、今やジャームッシュやギリアムの新作で主演を務めるドライバーのフィルモグラフィにこうしてまたスパイク・リーという煌びやかな固有名が連なったことにも注目すべきだ。(伊藤)
『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(2018)
モンティ・パイソンメンバーで映画監督のテリー・ギリアムは20年に渡る執念の末、『ドン・キホーテ』とトウェインの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』に着想を得た喜劇映画を実現した。自分を中世騎士だと勘違いした17世紀の老人キホーテ卿は、現代からタイムスリップした広告代理店のマーケター、トニー・グリソーニ(本作の共同脚本家と同姓同名)をサンチョ・パンサと勘違い。アダム・ドライバー演じるグリソーニも旅をするうちに虚実の区別がつかなくなる。2001年以来、本作は相次ぐキャスト降板や自然災害、資金難で何度も製作が頓挫し、一部始終はドキュメンタリー『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(2002)となった。その後も代役ジョン・ハートの病死やデップの多忙、訴訟やアマゾン社の配給降板などトラブルに見舞われたが、2018年5月に完成。カンヌ映画祭で披露された。ギリアムは『Dr.パルナサスの鏡』(2009)でも主演のヒース・レジャーの急死によって製作中止の危機に遭った際、作品をデップらの代役で完成させている。今回はドライバーが彼の俳優=救世主となった。(伊藤)
※この記事は『ヱクリヲ vol.9』に掲載された記事を再掲載したものです。 ヱクリヲ vol.9 特集Ⅱ アダム・ドライバー――〈受難〉と〈受動〉の俳優 アダムドライバーの魅力を海外各紙の未邦訳インタビューから凝縮して紹介する「エッセンシャルアンドフラグメンツ」収録。 「スター・ウォーズ」シリーズのカイロ・レンや『パターソン』の記憶も新しい、俳優アダムドライバーの魅力を俳優批評の先鋒として多角的に紹介する。 《コラム》 ●アダム・ドライバー――エッセンシャル・アンド・フラグメンツ ●アクトグラフィ 《Critique》 ●伊藤 元晴:弱い男・壊れる塔・小さな幸せ――アダム・ドライバー論 ●横山 タスク:アダム・ドライバーとロバ ●沼本 奈々:午前四時のクラブでジンライムを持ったアダム・ドライバーに会いたい