片山慎三インタビュー(『岬の兄妹』):連載「新時代の映像作家たち」


片山慎三の初の長編劇映画となる、『岬の兄妹』が3月1日(金)より全国で公開が開始された。これまでBSスカパーで放送された「アカギ」第7話(2015)や、ショートムービーアニメーション『ニンゲン、シッカク』(2017)といった監督作品はあるものの、片山は本作の発表によって、いちやく日本映画の最前線に切り込むこととなる。足に障害を抱える兄・良夫が生活苦から、自閉症の妹・真理子に売春をさせる過程を描いた本作は、障碍、貧困、性、犯罪など、いくつもの社会的なテーマが折り重なりながらも、むしろ今村昌平の「重喜劇」を思わせる、重々しさの中にも独自のユーモアの光る作品となっている。かつて片山が師事したポン・ジュノは、本作について「多くの論争を巻き起こす見事な傑作」と賛辞を述べた。圧倒的なコミカルさを持った数々のセリフや、俳優の持つ固有の身体性を見事に作品に昇華させた、その演出の背景には何があったのか。映像との出会いから、片山監督が現代の日本映画に感じる問題点まで、今回お話をうかがった。

(取材・構成 若林良、山下研)

『岬の兄妹』(C)SHINZO KATAYAMA

ポン・ジュノとの出会いと影響

――最初に片山監督の経歴からお伺いさせてください。HPに記載されているプロフィールには、ポン・ジュノ監督や山下敦弘監督の助監督を務めてきたと書かれています。この世界に入った当時のお話から聞いてもいいでしょうか。

片山慎三(以下、片山) たしか21歳のとき、廣木隆一さんが監督したBS-iのドラマ『アイノウタ』が最初に入った現場で、僕は制作部でした。そこから助監督を21歳とか22歳の頃からやっていくようになりました。

 ポン・ジュノ監督と知り合ったのは、26歳の頃だったはずです。『TOKYO!』(2008年のオムニバス作品。ポン・ジュノは『シェイキング東京』を監督)で、人づてに助監督のお話をもらったんですね。その後に『母なる証明』(2009年)を韓国で撮るという話を聞いて。それで「勉強させてください」と言って、向こうで助監督をやりました。

――向こうの現場で、日本人スタッフは片山さんだけでしたか。

片山 そうですね、僕だけでした。

――『TOKYO!』で仕事をする以前から、片山さんはポン・ジュノ組での仕事をしたいと考えていたんでしょうか。

片山 そうですね、昔からそう思っていました。『殺人の追憶』(2003年)とか『グエムル -漢江の怪物-』(2006年)が以前から好きで、知り合いの韓国人の助監督に話をしていたんですよ。そうしたら、その彼から電話がかかってきて「一緒にやろう」と。それで『TOKYO!』の助監督をする流れになりました。

――実際にポン・ジュノ監督にお会いして、撮影をするなかでの印象や覚えているエピソードはありますか。

片山 とても紳士的な方でした。人間として魅力的で。撮影を進めるなかで印象に残ったのは、ポン・ジュノ監督は自分で絵コンテを描いてしっかり準備をする人なんです。テイクもけっこう重ねるので、入念に撮影を進めていくところをよく覚えていますね。

――片山監督は事前に絵コンテを描いて撮っているのでしょうか。妹の真理子がやくざとセックスをしている姿を、監禁されながら良夫が見せられるシーンは印象的にカメラがパンしています。

片山 いや、絵コンテは基本的に描かないですね。アクションシーンやモブシーン、CGを使うシーンではあった方がいいとは思うんですが。普通の会話劇は実際に撮ってみないと分からないところがありますし。ただ、今おっしゃられたようなシーンは、事前にそう撮ろうと決めていました。

――ポン・ジュノの『殺人の追憶』で印象に残っているのは、川辺でドロップをかましていくシーンです。あれは引きのショットでした。韓国映画は身体の躍動感そのものを撮るイメージがありますが、それに近いものを片山さんの映画からも感じました。『岬の兄妹』はやや引き気味にで、人物の全身を映すショットがとても多いですよね。

片山 特に意識をしたつもりはなかったんですけど、ただ躍動感のようなものがあったほうがいいとは思っていますね。韓国はアクション映画とかを見ていても、役者本人がちゃんと練習して行っている。日本でもそうした例はありますけど、本気感は少し乏しい感じがありますよね。

――ポン・ジュノ監督から受けた影響や、あるいは好きな部分を教えていただけますか。

片山 (ポン・ジュノは)あまりジャンルを気にせずに撮っていると思うんですね。一つの作品のなかでもコメディやアクション、サスペンスの要素がごちゃ混ぜになって入っている。その姿勢はとても学びましたね。

――ポン・ジュノ監督だけでなく、他の韓国映画の監督の影響もあったのでしょうか。

片山 そうですね。時間をかけてちゃんと映画を作るという意味で韓国映画全体から影響を受けています。『シュリ』(1999年)とか『JSA』(2000年)以降の作品には、特に影響を受けていると思います。

『岬の兄妹』(C)SHINZO KATAYAMA

『岬の兄妹』のはじまり

――『岬の兄妹』を撮るまでの原点があれば、教えていただけますでしょうか。

片山 昔から障碍者をテーマにした、あるいは障碍のある人が登場する映画やドラマに惹かれるところがあったんですね。そういう小説もよく読んでいたりして。『母なる証明』の撮影で韓国に渡っているときに書いた脚本が、普通の男と障碍のある女性が出てくる話だったんです。それが『岬の兄妹』の土台になっています。今回、松浦(祐也:良夫役)さんと話す過程で、兄妹がいいのではないかと言われました。それで設定を置き換えて、書き直していったんです。

――障碍のある作中人物が出てくる物語に惹かれていたとのことですが、具体的に作品名を教えていただけますか。

片山 文学だと、花村萬月さんの『守宮薄緑』(1999年)という短編集にある「崩漏」ですね。高校時代の頃に読んで、すごく好きになりました、あとはベタですけど『レインマン』(1988年)や『サイダーハウス・ルール』(1999年)、『カッコーの巣の上で』(1975年)とか。

――10代の頃からそういった物語に関心があったんですね。片山さんは障碍のある人物の出てくる映画の何に惹かれていたんでしょうか。

片山 うーん、実際に親戚に(障碍のある人が)いるということもあって、そんなに遠く離れた話じゃないという感覚はあります。子どもの頃から見てきたので。

――『岬の兄妹』のなかでは、障碍者を取り巻く福祉や制度の描写はほとんど描かれません。それは意図的なものでしたか。

片山 それを描いてしまうと、その部分にフォーカスをあてなくてはいけないと思うんですね。ワンシーンだけ福祉の人を登場させてもダメで、ちゃんと描かないといけない。ただ(『岬の兄妹』は)そういう映画じゃないと思ったんです。それよりも当事者の二人がどうやって生きていくかという、力強さを表現していくことが大事でしたね

――作品のなかではコミカルなシーンも多く登場します。リアリズムとして障碍を描くというよりも、意識的にフィクションの域に留まろうとしている作品のように見えました。

片山 そうですね。あくまで映画という「作り物」の世界で伝えたいことを描いていく方がいいと思っていました。

 この作品自体にモデルケースはないんです。だから「フィクション」の方に近いとは思います。でも、自分の中で完全に「フィクション」と割り切っているわけではなくて。『累犯障害者』(山本譲司著、1996年)というノンフィクションがあるんですが、知的障碍者の女の子の売春について書いてあるんです。売春が見つかって投獄されて、ふたたび社会に出てきてもまた売春をして捕まる、と。(その彼女自身に)悪いことをやっているという意識がなくて。興味深かったのは、その女の子がもちろんお金のためにやっているんですけど、同時にそれまで男の人に相手にされてこなかったのに、そこに変化があることで彼女自身が喜びを見出して、辞められなくなっていくという描写があるんです。そういった部分も映画で描きたいという思いはありました。

 ですから、障碍者の売春において、現実に起こった話は参照しています。あと、観た人のなかに福祉関係の方がいて「よくこういう作品を作ってくれた」と言ってくれたんですね。「我々の目の届かないところでこういう事件が起こってもいる」と話してくれて。フィクションとして作った部分もありますが、それが現実にもあるんだなというのは撮った後に気付きましたね。

――売春のはじまりはトラックからです。あそこのシーンは片山さんが過去に触れた作品や小説のなかに出てきた描写なんでしょうか。

片山 あれは最初に松浦さんと話しているとき、パッと出てきたシーンなんです。冬の寒いときにトラックのドアを叩いて、妹をどうですか? と運転手に話しかけるシーンは兄妹の設定ができたときに最初に浮かんだ場面でしたね。

『岬の兄妹』(C)SHINZO KATAYAMA

台詞や演出のコミカルさ

――『岬の兄妹』には魅力的なセリフが数多くありますね。たとえば「今、何時?」「おやじ」のようなコミカルなセリフが印象的です。

片山 「今、何時?」「おやじ」は、現場でのアドリブですね。「ちんちんは大人」は脚本に書いています。僕がそういうの(コミカルな台詞)を書くから、松浦さんも和田(光沙:真理子役)さんも現場でいろんなアイデアを出してくれました。僕自身もアドリブを足していきましたね。

――高校生のお客に対する「学割は効かないよ?!」は元々、脚本に書いてあったんでしょうか。あと先に亡くなってしまった妻に手を合わせた後に真理子を呼んでしまうおじいちゃんの「糖尿病なんだから~」はアドリブなんでしょうか。

片山 学割のところは松浦さんのアドリブですね(笑)。糖尿病のくだりは、実際にあの演じているおじいちゃんが糖尿病なんです。あれは脚本に書いてました。

――コミカルな部分と、そうでない部分のバランスについてお聞きします。良夫が自宅で北山(雅康:良夫の友人・肇役)さんともみ合うシーンがありますね。そこは陰惨になってもおかしくないシーンですけど、真理子の存在によって中和される。

片山 セリフもそうですけど、ひとつのシーンに対しても、シリアスさばかりになるとみている人も辛いだろうから、少し笑えるシーンがあるといいなと。そのあたりのバランスを意識しました。あのあたりは殴るのもビンタするのも、台本通りではあります。

(次ページへ続く)