渡邊琢磨 インタビュー: 『ラストアフターヌーン』幽霊的世界の到達点


映画音楽との出会いと制作の軌跡

――もう少し長いスパンで振り返って、映画音楽との出会いや、影響を受けた映画音楽作品は何かありますか?

渡邊 バークリー音楽大学留学中、大学のクラスとは別にフィルムスコアの独習や楽曲分析を行っていました。当時の自分にとって映画音楽は、歴史的背景やコンテクストもよく分からない謎の世界でした。ジャンルそれ自体として完結せずに、映画の演出の一部として成り立つ。そんな副次性に興味を持っていました。大学の近所にあった中古レコード屋で、サントラを安く買い込んできてテープに落とし、くり返し聴きながら採譜したのですが、その当時、興味を持った映画音楽のほとんどが、旋律が明確にある楽曲ではなく、不協和音やオーソドキシーから外れたハーモニーによって映画のムードを醸成していくようなものばかりで、幾重にも重なる弦楽の響きを捉えては譜面に書き付ける作業に四苦八苦しましたよ。

 アラン・J・パクラ監督『パララックス・ビュー』のマイケル・スモールの不穏な弦の響きによるスコアや、フランシス・フォード・コッポラ監督の『カンバセーション・盗聴』のデイヴィッド・シャイアによる陰影に富むピアノ曲などは、当時の記憶と深く結びつきながら、現在の仕事の素地にもなっています。

――ジャンルの壁を超えていくタイプのアーティストでインスパイアされた人はいますか?

渡邊 キップ・ハンラハンとの音楽制作では、ミュージシャンたち各々の個性の摩擦から生まれてくる音に大変感銘を受けました。様々な音楽的バックグランドを持つミュージシャンが入れ替わり立ち替わりスタジオにやってきてはレコーディングを行い、仕事後にはスタジオ近隣のレストランで遅くまで飲食をともにし、翌日はジョナス・メカスがやってきて一緒に即興演奏したりと、楽しく刺激的な時間を過ごしました。音楽やアートに対するアプローチがまったく異なるミュージシャンと仕事することは、自身の考えや音楽性を再考するきっかけになりますね。

――今は尖ったラテン音楽のイメージのみが記憶されているキップ・ハンラハンですが、70年代にはゴダールの元で働くなど彼との関わりもありましたよね。また当時、ゴダールのソニマージュ的概念がジョン・ゾーンなど当時NYの音楽シーンに大きな影響を与えていたことも思い出させますが、ハンラハンと映画音楽に関する直接的なエピソードなどありますか?

渡邊 キップの場合、映画の制作方法や編集技術を音楽プロデュースに転用した感触を受けます。それもジョン・ゾーンのように作曲の書法としてではなく、ミュージシャンとの関わり方やスタジオでの作業などを介して行っていく感じです。映画監督の現場での采配や演出のようなことを、音楽制作に置換している感じですね。彼はレコーディング当日に事前に用意してきたことを淡々とこなすのではなく、その時々の偶発性や、非予定調和を好むプロデューサーです。映画における台本はあくまで大きな地図であって、演奏者の即興性や自然に生まれるリズムや音を重視しつつ、音によるマジックアワーが訪れるのを待つ感じでしょうか――。キップのプロジェクトに参加する音楽家は、演奏技術が卓越していてかつ超個性的なミュージシャンたちなので、自分にとってはすべての瞬間がマジックアワーでしたが。キップとソーホーのスタジオで初めて作業したのは2000年頃で、スタジオではまだオープンリールのレコーダーとPro toolsと併用し、編集作業は主にアナログテープで行なっていました。つまりテープを切り貼りする作業ですが、キップの編集は最良の演奏テイクを選んで繋ぐ便宜的な作業ではなく、コラージュ的な編集を通して作曲しているような感覚で、この手法には感化されました。

  映画音楽やメディアコンポジションの総括的な技法書である『On the Track』でも、35mmフィルムの規格を説明した上で、映像と音をシンクロさせる手法を教示していますが、ノンリニア編集やデジタルフォーマットが一般化された現代においても、音や映像が物質的に記録されたテープやフィルムの特性を知っておくことは、映像の空間特性や時間感覚、タイミングを捉える上で有益だと思います。

――エクリヲで対談した牧野貴さんを含め、音楽に造詣の深い映画監督との仕事も多いように見受けられますが、特に印象深いエピソードはありますか?

渡邊 映画監督との共同では、思いもよらない発見や音楽が引き出されることが多々ありますが、その実感を最初に持ったのは、冨永昌敬監督との仕事を介してです。取り分け『ローリング』の劇伴は私にとって後の仕事に繋がった映画音楽の原点にもなった作品ですが、あの音楽の演出が奏功したのは、冨永監督の編集に負うところも多々あるのです。監督が自分で音楽の当て位置や使い所を編集し、これがなかなか巧妙で、少々悔しかったですね(笑)。

  また、スウェーデンの写真家アンダース・エドストロームの映像作品「some paints」に弦楽四重奏作品を書いたことは、ドローンミュージックに関する造詣を深める契機になり、『ラストアフターヌーン』の収録曲「Wavelength」へと至りました。「some paints」は、真っ白な紙の上に垂れてくる絵の具が、ゆっくり円を描くように浸透していく様子を、俯瞰カメラが映し撮っていくという、美しくもサイケデリックな映像作品ですが、その絵の具によってできた円の中に、外の風景が映り込んでいて、ゆっくり漂う雲の峰から鳥が飛んで行ったり――そんな出来事の集積が、絵の具の侵食と共にキャンバス全体に広がっていき、独特の世界を作っていきます。この映像のオフラインを拝見した際、持続音が和声的な変化を伴いながら、じわじわと音響空間を作っていく様なイメージが浮かびました。さらには、自分で演奏したヴァイオリンの音でテープループを組んでみたりと試行錯誤を繰り返したこともあります。

――『ECTO』でもそうでしたが、自作を指揮する姿が印象に残ります。指揮を通して映像と音の距離感が変わったという認識はありますか?

渡邊 実際に自分が指揮をして、映像が目の前のスクリーンにある中で音を具体化するのは、良くも悪くも自分がスクリーンの中に入っていくような感覚――抽象的な言い方ですが――にはなるので映画に肉薄していくような感覚を持つことはあります。 でも、自分で指揮をするよりも一度、プロの指揮者の方に独自の解釈をして頂いた自作曲も聴いてみたいですね。贅沢ではありますが。 

――参考にしてきた映画音楽の理論などはありますか?例えば映画音楽の理論で有名なミシェル・シオンの著作などは、古色蒼然に映るものでしょうか?

渡邊 ミシェル・シオンの本が書かれた時代は、彼の取り組みが必要だった時代で、今読んでも得るものが非常に多いと思います。現在では、ミュージックコンクレートやノイズはリスニングとしても手法としても一般化されましたが、音と映像の相互鑑賞的な意識は大きく変化したので時代考証的に考えなければならない面もあると思います。例えば、Walter Murch(1943〜)(註: アメリカ合衆国の音響技師。『カンバセーション…盗聴…』や『地獄の黙示録』、『ゴッドファーザー PART III』など多くのフランシス・フォード・コッポラ監督作品に参加しアカデミー録音賞を2度受賞)の編集と音に関する考え方や、近年の音響技師の手法などをリサーチすると、映画の音の捉え方が変わります。個人的には、そういう文脈を踏まえた上で仕事をしていきたいと思っています。