イコン写真家――篠山紀信考


 篠山紀信が好きだ🌺。キシンといえば、『オレレ・オララ』と『決闘写真論』である。古い作品ばかりでは、キシンが苦虫をかみつぶすので『KISHIN meets ART』(彫刻の森美術館)を挙げておく。最新作といってよいこのカタログは相当にふるっていて、彫像のグラビア写真が載っている。キシンお得意のペラペラな週刊誌みたいな紙で綴じられているから、このような言い方ができる。かっこいい。これだけで、女性のヌードと彫像を等価に扱う、キシンのまなざしの異端さが伝わると思う。

 キシンは中平卓馬が唯一、彼の写真論に沿って認めた日本人写真家だから、皆もその文脈でキシンを愛好していると思う。あるいは芸能人お抱え写真家として、彼のナマエを知っているかもしれない。それで全く構わない。シノヤマキシンという人は、アイドルも彫像も建築もディズニーランドなどの空間も、全て同じまなざしで撮る。一時期、東京にあふれる写真の8割は彼のものだったそうだ。シノヤマキシンがデフォルトであること。彼の写真に囲まれて日常生活を送る私たちは、恐ろしく恵まれている。それで、いつかキシンがいなくなって気づく。その見慣れた写真がいかに特別で、誰一人、彼に替われる目など持ち得なかったということを。

 

 「キシンの写真は語られにくい」という語られ方がある。キシン関連の寄稿を読むと、皆それぞれにその語られにくさについて語っているが、私は次のことが理由と思う。

 

・キシンが自分で語りすぎる

・キシンの写真でなく、被写体について語らされる罠がある

・中平卓馬の語り方に満足した

 

 キシンは自分の写真について、よく喋る。先日横浜で巡回を終えた「篠山紀信展 写真力」は2012年に熊本から始まったのだが、同年『芸術新潮 10月号』で組まれたキシン特集で、彼は展示の全ブースについて自らの言葉で解説している。使用したカメラの特性やそれによる効果まで話してくれるので、非常に勉強になる。キシンが喋っているからまあいいか、と批評家は「自分が書かねば誰が書く」という執筆欲を和らげるのでないか。

 次に、キシンの写真はあまりに多くの人に見られているのだが、実は皆見ていないという問題がある。皆キシンの写真でなく、写っている被写体を見ている。「写真作品」でなく、「山口百恵」を見ている。この階層においては、『20XX TOKYO』の構図にポール・デルヴォーを見出す椹木野衣も、女の裸と反応する者も同じである。それに、主張が強い被写体に気を取られ、そちらに目がいくというのは写真の見方としても正統だ(スポーツ新聞の掲載写真において、オリンピック選手・有森裕子の泣き顔でなく、写真のメディア性を見る人は圧倒的少数だ)。そしてその場合、写真家の作家性はほとんど消失しているため、撮影者について書くこと自体が難しい。

 そして最後に、『決闘写真論』における中平のキシン評である。

篠山紀信の写真の中では、特定のあれかこれかの事物が抽出されるのではなく、すべてがその鮮明な輪郭をもって、事物とその関係がすべて等価のまま突き出されてくる。それはたしかにリアルである。だが、すべてがあまりにもリアルであるために、それは逆に虚構に見え始める。

 30年前に書かれたこの一節を超える形容を、私は知らない。シノヤマキシンの写真をあまりに見つめすぎると気がふれそうになる所以は、まさにこのためだろう。写っているものいちいちが、向こう側から差し迫ってくるような感覚。彼の写真をリアルらしく感じる人と、フィクションらしく感じる人が同居する理由もここにある。この『決闘写真論』における中平の言葉が、これ以上なく適切にキシン写真を言い表しているため、私たちは失語症的、もうこれ以上の言葉を必要としない思考停止状態に陥っているのでないか(中平以降、アッジェを、エヴァンスを、彼と異なる地平から論じようと挑んだ者が日本にいただろうか)。

 以上の理由と、新聞や雑誌における写真メディアの変遷、「激写」とともに思春期を過ごした人々の既視体験など、様々な視点を抑える博識さが必要なため、キシンについて語りたがる人が少ないのでないか。私にも、とても無理だ。

 ただ、私にはある懸念があって、それを晴らすためキシンについて書いてみる。私のキシン考はイコン画とともに進む。いったいなんの話やら、あのエロ写真家をどこまで擁護したいかと訝しがる人に向けて書く。私の見方をテスターに、2017年、いよいよ皆の目でシノヤマキシン考をアップデートしてもらいたい。

 

 

図1 『The Miraculous Well』(246-52)

参照URL1 電子書籍

 

 アイドル、イドラ、偶像。それは神や聖者といった目に見えない存在を表したものである。篠山紀信のアイドルポートレイトはむろん、中世におけるイコン画と親和性が高い。ただ、篠山紀信の「画家の目」は一個人、また一時代を越えた絵画史的な目でもある。まず、3世紀のイコン画と彼の写真を並べる。

 絵を描きたいという衝動に浴する人でなく、絵を描くことを依頼される人を画家と呼ぶ時、その歴史は宗教絵画とともにあったといってよい。3世紀に描かれたユダヤ教のイコンを見ると、当時の画家らが卓越したヘレニズム期のアーティストたちの仕事を知っていながら、なぜ無骨な人物描写にとどまっているのか、妙な不穏さがあるだろう【図1】。それは「偶像崇拝を禁止するユダヤ教の母体自体が、なぜか偶像を描かせている」という矛盾により生じているのだが、そもそも彼らが偶像崇拝を禁じる理由は、現代の私たちの写真観と通じるものである。

 好きな人の顔写真が傷つけられそうになったとき、私たちはたとえそれが紙に過ぎないと分かっていても防ぎたくなる。その心情が想像できれば、写実された対象への愛着が、描かれた支持体そのものに移る可能性も検討がつくだろう。いくつかの宗教が偶像崇拝を禁じるのは、神は目に見えない存在であることを示すとともに、その信仰心が、神から描かれたタブローへと移行するのを防ぐためである。神だけでなく、「描かれた神」も力を持つゆえ、現代においても一部の電子書籍でアイドルの姿がシルエット化される【参照URL1】

 だから3世紀のユダヤ教の人々は偶像を崇拝するどころか、偶像を描くことすら禁じたかったのだが、識字率が低い地域にも信仰を広めたいという理由により、絵を描くことにした(Youtubeに曲をupしたくないけど、曲やアーティストは宣伝したいという音楽業界の葛藤に似ている)。そしてその際、画家に「聖者の姿を描くのでなく、聖書に書かれた言葉を図にする」よう依頼した。つまり表現としての絵でなく、「説明としての図像」、イラストレーションである。そして、この「説明としての図像」はときに「表現としての図像」と相対する立場に置かれる。

 写真家が写真にしかできない表現を志向したとき、その内容が言葉で説明可能な気がすると、言葉で言えるなら言葉でいいじゃん、という気持ちになる。実際には言語に換言できる表象などないのだが、「青い空」と端的に言い表せるものより、そう言ってしまうにはなにか言い淀みたくなるような情動が、写真には潜んでいて欲しいという思いがある。

 こうした状況において、篠山紀信による「説明としての図像」は教本的ですらある。彼が1964年に試みた模倣シリーズ、木村伊兵衛や細江英公といった有名写真家のポートレイトを、被写体である各写真家の技法で撮った『肖像』、1977年「もし篠山紀信がアッジェ風にパリを撮ったら」という嘘みたいな企画で撮られた『パリ』などだ。これらは、各写真家たちの表現行為を非言語的に説明した作品である。私たちは篠山によって模倣された「撮り方」という方法を通して、木村伊兵衛とは、アッジェとは、そこに直接写されてはいない教典を自分の目で探ることになる。

 

 

図2 『大公の聖母』(1505-1506) ラファエロ・サンツィオ

参照URL2 『大原麗子』 篠山紀信(篠山紀信展 写真力 インフォメーション|東京オペラシティアートギャラリー)

 

 ユダヤ教と同じく「説明としての図像」からスタートし、もういっそ聖者を描いてよいとしたのが8世紀のキリスト教である。基本的に皆、偶像が好きなので、どうにかして絵が見たいし画家に描いてもらいたい。彼らは「神は、イエス・キリストという人の似姿を我々に示したのだから、人の姿で描かれるのを拒むまい」というロジックを成立させ、文字の可視化としてでなく「表現としての図像」を求め、ヤン・ファン・エイク、カラヴァッジョ、多くの画家が筆舌しがたい聖者の姿を描いた。

 アイドル写真とイコン画の共通点は、この世に存在しないイメージを表現していることだ。アイドルは芸能プロダクションが築き上げたキャラクターだから、「山口百恵」や「中森明菜」はこの世に存在しないという話でない。アイドルは聖者と違い、たしかにカメラの前に肉体を置いただろうが、その聖性を捉えるのはカメラでなく写真家の術である。たとえ私が生前の大原麗子を撮る幸運に恵まれても、写せるのは「美しい女性」であり、女優「大原麗子」【参照URL2】を撮ることはできない(試しにグーグルの画像検索に「プリンセス天功」と入力すると、アイコンとしての「プリンセス天功」と、カメラが無機的に人体を捉えた写像の両方を確認できる)。ときに演出を加えながら、篠山はアイドルやタレントのイメージを写真に表出させ(男装した真矢みきをベトナムで撮影した『Guy』など)、それを撮る。そしてラファエロの絵が彼の作品でありながら、教会に集う人々にとってはただ聖母の姿それだけであったように、「山口百恵」「吉永小百合」といった、アイドルやタレントの姿を求める人々に向けて「表現としての図像」を仕立てる。

 

 さて、ここまで例に挙げた作品はすべて、作家の自己表現というものが前方でなく、後方にある。アッジェ風に撮った写真から結果的には篠山らしさが、聖母図からはラファエロらしい筆致が感じられるにしろ、彼らが試みたのは作家自身の私性の表出でなく、描こうとした対象、被写体の顕現である。だから、篠山の写真は撮り手たる作者が主張されず、無私的になる。

 そして、冒頭に述べた私の懸念とはこれである。つまり篠山の写真が持つ異様なフラットさは、私性の剥奪でなく、無私という態度の加算によって起こるのだが、中平卓馬が彼の私論に篠山を囲ったことで、篠山の写真が単に客観的なもの、中平が志向した無機的なカメラアイの亜流と片づけられていないかと心配をしている。篠山の写真は、写真家としての中平が志向した、私性を剥ぎ、カメラと同化しようとした試みとは異なる。

 それから、被写体をメインとする撮影態度は、広告写真や報道写真では当然のように感じられるかもしれないが、無私性と無名性は違う。篠山の写真には、構図の決め方や陰影における黒の際立ちなど、複数の写真をわたって共通する篠山らしさというものがはっきりある。ただそうした特徴は、篠山自身を表現するためでなく、被写体のイメージを際立たせるために用いられる(だから、男装させた真矢みきをベトナムで撮るという過剰な演出も、篠山の視点でありながら私たち一般の被写体に対する共感覚的イメージとして昇華する)。

 篠山の写真を「語りにくさ」から解放し、かっこいい(『家』)、エロい(「激写」)、不穏(『篠山紀信 at 東京ディズニーリゾート』)という端的なニュアンスから、もう少し言葉によって近づくこと、篠山紀信を再考してみることが、この文章の目的である。もう少し私のキシン考を続ける。篠山の「画家の目」は、さらに20世紀のキュビスムと関わっていく。

 

参照URL3 Celia’s Children Albert + George Clark Los Angeles デイヴィッド・ホックニー(1982)

参照URL4 『大相撲』 篠山紀信(横浜美術館)

 

 絵画が写実的であることをやめたのは、写真のせいだ。19世紀に写真が発明され、絵画は本物そっくりに描くという目的を奪われるとともに、その役目から解放された。14世紀には鏡が絵画の道具として取り入れられていたが、描く者だけでなく、絵を見比べる人の手にまで現実そっくりの平面が届くようになった変化は大きい。以来、印象派という言葉が示すよう、画家は人の肉眼がどのように世界を捉えているかを描き始め、私たち皆が見る世界でなく、画家1人が見る世界を描くようになった。複数の地点から捉えた視点を1つの平面に統合するキュビスムの描き方は、そうした肉眼的な心象風景を描いたものともいえる。パブロ・ピカソの『泣く女』は、ピカソの目を介した主観的な女の像である。

 キュビスムの手法を写真に応用したデイヴィッド・ホックニーと篠山を照らすと、ホックニーの作品がピカソ同様主観表現の延長線上にあるのに対し、篠山のシノラマシリーズに、やはり私的な雰囲気はない。ホックニーのカメラはストリートフォトのような他愛ない日常を捉えるため、被写体よりも、その被写体を多角的に捉えるホックニー自身の視点を強調する【参照URL3】一方、篠山は非リアリスティックなキュビスム(パノラマ)という手法を用いても、それもまた被写体の性質を表すための一手段であり、シノラマ写真に私的なまなざしという印象は生じない【参照URL4】

 篠山とホックニーは、絵画が写真にできないこととして獲得したキュビスムという方法を写真に持ち込むが、20世紀の画家であるホックニーが「私」の目の豊かさとして写真を用いるのに対し、篠山はカメラを覗く主体を「私」から「私たち」に置換することで、ここでも無私性を保つ。1枚の写真の中に異時同図法的に複数人の勅使河原宏が登場しても、それは篠山1人の主観でなく、勅使河原宏ってこういう存在だよね、と私たち皆のまなざしとして提案する。

 

 以上が、私のキシン考である。絵画史になぞらえたのは、「図像と表現」「絵画と写真」を考察するメルクマールにいつもキシンがいるからだ。近年、美術館展示に精を出す篠山は、展示会場にできるだけキャプションを置かないことで、平面としての写真でなく、「写真によって起動する空間」を提示する。つまり、インスタレーションとしての写真にも触れておくことで、この先も続く美術史の時間軸上に立つつもりだ。キシンは美術より写真のフレームの方が大きいとするから、アートの枠に収められるのを嫌う。私はキシンによって美術のフレームがもっと広がれば良いと思うから、このように比較したりする。しかし実際、写真家・篠山紀信ほど美術史的な作家はいないことを、最後に示してこの文章を終える。

 アイドル写真とイコン画の類似について述べたが、それらと「イコン写真」は違う。篠山の「イコン写真」は、『Santa Fe』の宮沢りえ、三島由紀夫、『ジョン・レノンとオノヨーコ』【図3】などだ。横浜美術館でも大々的に取り上げられていた彼らのポートレイト【図3】は、キシンさえもイコンと呼ぶ。それで、坂東玉三郎はあの写真は大したことがないと言う。作家が独自の意図に基づいて、美術表現としての意匠を試みた作品じゃないからだ。アイドル写真とは対照的に、ライティングもなしに、さっと撮られたもの。撮影後に起こった被写体の死という、作家の表現行為を超えた他律的な出来事によって、たまたま注目を浴びた写真。

 ここでの、美術作品は作家たる主体の表現形跡だとする、坂東玉三郎の近代美術史観は成立している。ただそのように絵画の主体が画家1人に依拠する事態は、美術史全体をみると特殊な状況である。一時的な近代絵画の潮流(これもまた写真の誕生が引き起こしたのだが)に流されないとき、篠山紀信の写真に対する態度、非占有的な主語を持つ表現こそ、広範な時代に適用する美術史的まなざしを持つといえるだろう。

 そして撮り手の意図と異なる次元からもたらされる写真の価値を肯定するということは、その作品の主体を外部に託すということである。「説明としての図像」「表現としても図像」と並行して、つねに「記録としての図像」であり続ける写真が、「記念碑としての図像」になるとき、その主体は時代になる。作品の価値が、画家や撮影者がコントロールする域を超え、その作品が何を表現しているかという作為を写真家が手放したとき「イコン写真」は生まれる。この意味において、篠山紀信が3.11の被災者たちを写した『ATOKATA』は、すべて「イコン写真」だ。

 

 

図3 『ジョン・レノンとオノヨーコ』横浜美術館

松房子

 

彫刻の森美術館「篠山紀信写真展 KISHIN meets ART」

2016年9月17日(土)―2017年6月25日(日)

参照URL✧ 『KISHIN meet ART』一部