深田晃司による新作『海を駆ける』(2018年)は『ほとりの朔子』(2014年)、『淵に立つ』(2016年)に続く「水辺」三部作ともいうべき作品となった。前二作が河辺を象徴的な場所として描いたのに対し、『海を駆ける』はまさしく「海辺」で展開される。『ほとりの朔子』で「ここではないどこか」として描かれたインドネシアへと実際に舞台を移し、その物語は展開されていく。そこでは監督が影響を公言する、エリック・ロメールさながらのヴァカンス映画が展開されるだろう。「日常」を撮ることへのこだわり、あるいはロメールや成瀬巳喜男、そして平田オリザからの決定的な影響について、演劇/映画/小説の差異、演技・演出論、そして日本映画の現状について監督に聞いた。
(聴き手・構成 伊藤元晴、山下研)
『海を駆ける』と『ほとりの朔子』
――深田監督は『海を駆ける』について、『ほとりの朔子』(2013年)の続編のような作品になったということをパンフレットで語っています。主人公の名前や設定が似ていたり(朔子/サチコ)、インドネシアが共通する要素でもあります。深田監督にとってこの両作は近い作品なんでしょうか。
深田晃司(以下、深田) 作品のスタートラインが続編のようだったというだけで、結果的にはだいぶ違うものになりました。元々はインドネシアで2011年に行われた津波と防災に関するシンポジウムで記録係をしたことがきっかけです。そのとき初めて行ったインドネシアでの経験がすごく印象深くて、いつかここで映画を作りたいなと思いました。だからその後に撮られた『ほとりの朔子』では鶴田真由さんがインドネシアの地域研究者という設定なんです。
ただ、『ほとりの朔子』は朔子たちのにとっての日常ではない、どこか遠い場所としてインドネシアが設定されていたのに対して、『海を駆ける』では――朔子がサチコにはなりましたけど――インドネシアに実際に行っちゃうって話にしようというのが『海を駆ける』のスタートラインでした。朔子は浪人生でしたが、年齢も上げようと思ってサチコは大学生の年頃の話にしようと考えてました。『ほとりの朔子』ではある種の理想の場としてインドネシアが描かれていますが、『海を駆ける』では実際に行ってみても結局あまり変わらない「日常」を描ければおもしろいかもしれない、と。
――過去のインタビューで『ほとりの朔子』は、エリック・ロメールのヴァカンス映画をイメージして撮ったというお話があったと思います。サチコも大学を辞めてインドネシアに来ているわけで、『海を駆ける』も一種のヴァカンス映画のように見えます。今回もそういった意識はありましたか。
深田 そうですね。『ほとりの朔子』のときには夏休み、まさにヴァカンス映画が撮れないかとプロデューサーと話しながら始まりました。でも考えてみたら「そもそも日本にヴァカンスはないのでは」という話になって。それで日本でヴァカンス映画をやるためにはどうしよう、永遠と続くような目的のない時間ってなんだろうと考えたとき、浪人生だとおもしろいんじゃないかと思って設定しました。『ほとりの朔子』は、朔子が大学に行くことに決めて前向きに終わりますけど、一方で『海を駆ける』の朔子は、大学に行っても人生そんなに簡単に変わるわけじゃないことを示すかのように中退した学生という設定です。だから、そういうちょっとしたつながりは意識していました。
――『ほとりの朔子』だと川の場面が非常に印象的なシーンとして捉えていて、『淵に立つ』(2016年)も水を想起させるタイトルで、川辺が重要な場としても登場します。『海を駆ける』では、文字通り海が出てきて、それ以前が個人や家族の葛藤を描く作品だったとするなら、今回は「生と死」や社会そのものまでテーマ的にも深い射程になっていると感じました。深田監督にとっての水辺は重要なモティーフでしょうか。
深田 僕の作品に水辺がよく出てくる、タイトルに「さんずい」が付くというのはご指摘頂くことが多いですね。自分のなかの理屈としては、水に社会的な意味を仮託するというよりは、被写体としての水が魅力的であることが大きいです。映画の被写体として魅力的なものって要は動くもの、メタモルフォーゼするものですよね。それに水辺はやっぱり「何かが起きそうな気がする」という点でも魅力的なロケーションですよね。水際はどの世界、どの神話でも象徴的な場所ですし。
ただ『海を駆ける』が『ほとりの朔子』の発展系かどうかは正直、自分でもわからないんです。『ほとりの朔子』はあくまで朔子の内面的な葛藤や内部でのコミュニケーションを重視する部分が多いとは言えるけど、ただ今回の『海を駆ける』でも若者たちのドラマを描いている。最も違うのは個々が抱えている世俗的な問題やコミュニケーションの問題と、その外部としてのディーン・フジオカさん演じるラウをただ対比させている点だと思います。だから、ある意味で『ほとりの朔子』の世界が見落としていたものを加えたという感じかもしれません。
――ラウのようなキャラクターは確かに『ほとりの朔子』には登場しませんね。
深田 そうです。人間をひっくるめた「自然」そのものをラウを通じて描くということですね。
「ラウ」は何者か
――『海を駆ける』のラウというキャラクターは、脚本の段階で最初からいたのか、ディーン・フジオカさんの起用が決まった段階で作ったのか、どちらなんでしょうか。
深田 最初からラウは構想にありました。それでキャスティングが難航したのですが、たまたまディーン・フジオカさんが候補に上がって調べてみたらぴったしだったという感じです。ただ、当初は20歳かそれ以下というもっと若い設定でした。そもそもの着想は自分が10代のときに読んで影響を受けた『不思議な少年』(1890~1910年頃に複数稿書かれたとされる)というマーク・トウェインの小説でした。トウェインが晩年に書いた『不思議な少年』は、悪魔的な美しい少年が人間の社会に現れてきて、人間の価値観をことごとくひっくり返して去っていくという物語なんです。最初はそれに近いイメージでラウを考えていたので若い設定だったんですが、ディーンさんがぴったりだとなった段階で多少年齢設定を上げました。
――小説版『海を駆ける』を読むと、ラウが死をもたらす存在だとはっきり書いてありますね。それは映画とニュアンスがやや違っていて、より悪魔的な存在として描いている。小説のほうが『不思議な少年』に近いのでしょうか。
深田 映画版のほうがやわらかい表現にしていますね。『不思議な少年』はどこか悪魔的な存在が描かれますが、今回の『海を駆ける』でラウを通じて描きたかったのは「自然」そのものです。人間の意志とは一切関係なく、望むと望まざるとに関わらずそこにいてしまうものとして描きたかった。自然災害がそうであるように、ラウが人を助けたり殺めたりすることにも動機や理由がわからないようにしました。だから、悪魔的というよりは自然そのもののと同じように、見た人によって善くも悪くも感じる存在ですね。
――ラウが水をつくり出す超常現象的なシーンで劇中のカメラの映像を使用されています。『海を駆ける』ではカメラにカメラを重ねるという演出が多いと思うんですが、それは意図的だったのでしょうか。
深田 なるべく不思議で非現実的な現象を現実のなかに落とし込みたいという狙いがありました。だからラウの超常現象はすべてカメラやモニター越しに見えるようにしました。『ハリーポッター』のように魔法をそのまま見せるのではなく、その世界で本当に起こっていることに見えるようにそういう設定にしたんです。
――『海を駆ける』だとビデオカメラが印象的ですが、『淵に立つ』だと写真が重要なモティーフとして登場しますね。映画のなかにカメラを描くのはなぜなんでしょうか。
深田 単純に好きなんです。理由はなんだろう……。多分、カメラを覗くという行為は世界への好奇心というか、世界をよりよく知りたいという欲求であって、それは映画を作りたいと思う自分自身の欲求とも重なるからではないかな、と思います。
――濱口竜介監督は次回作『寝ても覚めても』では、主演に東出昌大さんを起用しています。今回のディーン・フジオカさんの起用もそれと同様に資金繰りの問題もあったのかと感じました。
深田 これは映画という産業自体の特徴で、映画は小説や漫画とは違ってとにかく「資本」が必要になってきます。数千万から数億かかる、それも数億かけても世界的には低予算といわれる世界なので、そういうせめぎ合いはどこの国にもあることだと思います。多くの観客を惹きつける俳優さんというのは数は限られてきますよね。ただ、今回のディーンさんについては彼の多国籍な生き方とその容姿がラウにぴったりだったので写真を見て即決で決めさせてもらいました。まさかこんな人気者だったとはいう感じです(笑)。一般論として、僕が今のこの状況で映画を撮っていくなかで思うことは、それでもやはり日本の映画界は俳優の顔が少ない、キャスティングの幅が狭いと感じています。だからそれを克服するための制度設計にも取り組みたいです。
平田オリザの影響、演劇と映画のあいだ
――過去のインタビューで平田オリザさんからの影響を語っておられました。作劇の点でどのように影響を受けたかを教えて頂けますか。
深田 平田オリザさんにはすごく影響を受けています。でも自分は子どもの頃からすごく映画オタクで、これは頑迷な映画至上主義者にありがちなんですけど、あるときまで演劇をばかにしていました(笑)。「演劇的な映画はダメだ」と頑なに思っていたんですが、20代の頃に知人に誘われて観に行った青年団がすごく面白かったんですね。
なにがすごいかというと、基本的にお客さんの想像力への訴えかけ方が上手い。そして「リアル」だったことです。青年団の芝居は役者がいろんなことをべらべら喋っていて、それはほとんど他愛ない日常的なやりとりです。だけど観客は「この人、悲しいのかもしれない」とか想像できるように作られているんです。だから、オリザさんの演劇観は、私たちの現実の人間関係の尺度に近いと思いました。誰も簡単に本音なんか語れないし、本音を話しているつもりでもそれが本音かどうかなんて話している本人にもわかるわけがないという世界観がとても現実的に感じました。
それで考えてみたら、(エリック・)ロメールや小津(安二郎)とか、成瀬(巳喜男)の『流れる』(1956年)とか僕がいいと思った映画は大体そういうことができていると気付いた。それを現代の日常的な日本語で最も洗練された形でやっていたのが、当時の自分にとっては青年団でした。もともと脚本で会話を作ることに苦手意識もあったし、気がつけば青年団に入っていましたね。
――平田オリザの方法論の一つに、「舞台上にいない人の話を登場人物がする」というものがあります。今回の『海を駆ける』でもそのような手法を随所に感じました。
深田 「いなくなった人のことを噂する」という会話の手法は、それこそ成瀬やロメールにもあるし、もともと映画にもあるんじゃないかと思います。でも、やはり平田オリザは象徴的にそれを使います。それはおそらく「第三者に語らせる」ということがリアルなんだからだと思います。
これもオリザさんがよく言うことですが、結局会話がなんで成り立つかというと登場人物同士の情報量に差があるからですよね。単純にみんなが知ってることはあえて誰も口にしないわけで、それだと少なくともフィクション的な会話は成り立たない。たとえば家族の描き方がダメな脚本っていうのは、家族が朝ごはん食べながら会話してるときに、みんなが知っていて当然のことをわざわざセリフにしちゃう。「お父さん、銀行の仕事うまくいってるの」みたいなことを現実の家族の会話では普通言わない。それを防ぐためには、そこに親戚の人や息子の友達を配置することで、「お父さん、仕事なにしてるんですか」という会話が自然な感じが出てくる。だから「第三者がいなくなった人の噂をする」というのは自分語りを防ぐ意味でも基本的な会話を書くテクニックとしてあると思います。
――深田監督が過去のインタビューで「オリザさんの方法でロメールを撮ったら絶対面白くなる」という主旨の発言をしていて、それがとても印象的でした。
深田 青年団に入るときの欲望の一つがそれだったんです。敬愛するロメールや成瀬がやっていたことを、演劇で一番洗練されたやり方でやっていると思えたのが平田オリザだったんです。「オリザさんの方法でロメールを撮る」ということは、そのままロメールみたいな映画を作りたいということではありません。シネフィル的な人間にありがちで、ロメールみたいなとかヌーヴェル・ヴァーグのような映画を作ろうとなっても、大抵はパロディで終わってしまう。
単純に景色が違うという問題もありますが、一番の問題は日本人はフランス人みたいにコミュニケーションをとらないので、ああいう会話が成り立たない。日本人の俳優を使って、ロメールの映画やフランス映画のようにべらべら自分のことを喋るのを撮ると、非常に不自然な感じがする。それで青年団が演劇で日本人の発話に対し意識的な取り組みをしていたことに惹かれました。私たちがふだん話しているような日本語の語感、口語の語順をちゃんと意識していこうっていうのが、平田オリザの現代口語演劇の考え方なんです。
そもそも青年団の現代口語演劇も、日本の新劇への問題意識から始まったものですよね。日本の新劇がシェイクスピアとかチェーホフの翻訳劇から入ってしまったことによって、新劇と日本語の日常的な発話方法とのズレが生まれてしまった。邦訳された日本語ではなく、演劇のなかでいかに日本語らしく喋るかという試みだと思います。それで僕は25歳ぐらいの頃の妄想として、ロメールと青年団を足して2で割ったら新しいものができるんじゃないかと考えていました。
――おもしろいですね。平田オリザさんが新劇に対して試みたことを、深田監督はロメールに対してやっているということでしょうか。
深田 そうかもしれません。ちなみにオリザさんも小津安二郎の影響をすごく受けていて、それも象徴的な話だと思います。ただ小津は俳優にミリ単位でパースを指定するみたいなことがあって、杉村春子が「成瀬監督の映画に行ったらのびのびできていいわ」みたいな愚痴を残していますけど、僕が作家としてシンパシーを感じるのは成瀬さんで、役者にまずは自由にやらせたいと思いますね。小津さんも一映画ファンとしてはとても好きだけど、作品はその強固な世界観を構築しているので、あれはもう小津さんにしかできないですよね。小津やブレッソン、ゴダールとかあの辺の人たちは基本的にうかつに真似をしてはいけない。
――小津や成瀬の作品には、日本の建築の造りに作劇の仕方が依存しているように感じます。彼らは障子が奥に向かってヒダ状に階層化された空間が開けていく構図をよくつくりますよね。その階層が、人間関係同士の情報の差という階層化にもなっていると思うんですが、『ほとりの朔子』も『海を駆ける』も――あるいは過去作の『淵に立つ』や『歓待』も――一つの家を中心に物語を展開しています。建物の造りにこだわりはありますか。
深田 それはすごく重要だと思いますね。ただ残念ながら、小津とか成瀬だったら毎回映画を作るたびにセットを映画ごとに合わせて作ってるんだけど(笑)、僕はそんなわけにいかないので、毎回見つかったベターな家でやるしかない。それで、やはり脚本を書いてるときには意識してなくても、行ってみるとその空間から導き出される芝居とか距離感みたいなものがあります。例えば、ある会話は当初は狭い空間でやらせてみようと思っていたところを、ふたつの部屋に俳優を分けて大きな声で芝居させようとか、そうするとカメラワーク次第で「何が見えて何が見えないか」によって情報に差を出すことも可能になったり。そういったことは日常的な演出の範疇で、意識していることです。
――今回の『海を駆ける』で特に場所からの影響を受けたシーンはありますか。
深田 貴子の家です。ロケハンで見つかった家なんですけど、最初は中庭という場所は全く想定していたものではなかったんです。なのでその中庭をどうやって使うかを考えていくことで、人物の動かし方が変わっていきました。以前撮った『歓待』だと非常に狭い家で、話しにくい空間をなんとか工夫する必要がありましたが、『海を駆ける』ではかなり広い空間が使えたので、なるべくタテの構図で作っていこうとか、人が手前にいる状態で奥の人を動かすといったことを楽しんでいます。僕は役者がただ歩く姿を撮るのが好きなんで、そういうショットを撮るために、関係性を考えながら部屋の配置を決めていったりしました。
(次ページに続く)
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