William Brittelle『Spiritual America』
――それではあなたの作品『Spiritual America』について伺いたいと思います。まず、作品名はどのようにつけたのでしょう。ノンサッチはアメリカーナの作品も出していますが、それらとは全く違います。
WB そもそも、このプロジェクトはパートナーシップの前から始まったものなんだ。その初めの打ち合わせよりもっと前に始まっていた。
自分はかなり具体的な物語性のある入り口を作りたかったんだと思う。自分の心の中には、ある特定の登場人物がいて特定の筋書きがあって、様々な参照点はかなり特定された元して具体的にあった。でも多くの人々が経験してきたこと、例えば今30代後半のX世代の実存的不安だとか、また、宗教色の強い環境である小さな町や田舎で育ったあと大都会に出て、ものに対する多様な考え方に出会っていくこと。そうしたありふれた経験、多くの人と共通性のあるタイトルを選んだんだ。
――歌詞もまたユニークですが、何かから影響を受けたのでしょうか?
WB 『Mohair Time Warp』は明らかに濃厚なテキストがあったし、『Television Landscape』も全くオリジナルな世界観があった。歌詞は特に何かに影響を受けたわけではなくて、いつも詩集を自分用に書き綴っているんだ。プロジェクトをやるときは、本をキープして書きまくってアイディアを練る、そしそれで歌を作るんだ。ただ、作曲中に音楽に応じて場面を変えなくてははならない時があって、歌詞を変えることがある。だからどちらかが先にできるということはなくて、お互いの対話的状況がある。表面的なレベルにおける経験がある、タイムカプセルのようなものを作りたかった。さらに、下部構造にあるクリスタルのように、たとえそれはモチーフのようなある時期の音楽的なジェスチャーからでさえ、少なくとも自分にとって全てに繋がれるようなものを作りたかった。歌詞では自分のまさに言いたいことを書いているのに対して、音楽は違うヴァージョンのものが無数に作られた。この構造を得るのに、本当に長い時間がかかった。他の人も興味を持ってくれたならもちろん嬉しいけれど、究極的には自分のために作ったものだし、自分にとっての何かなんだ。
――新作は映像的で未来的に感じましたが、SFから影響を受けたのでしょうか?
WB『ターミネーター』、『エイリアン』、『ブレードランナー』は自分にとてつもない影響を与えた。事物と音を繋ぐ関係性の中に、ノスタルジックと感じるもの、ポスト黙示録的な世界が、奇妙に重なり合う何かがある。それが素晴らしい。『ターミネーター』はノスタルジックであるとともに、今地球上で起きていることに対して何か奇妙で悲しい感じにさせられる。まさに自分はサイファイファンで、特にあの時代の映画に非常に影響を受けたね。
でも、この作品がそう思わせるのだとしたら、音楽言語のコラージュ性によるんだろう。そして自分にとってこれこそが形式に対する根本的に違うアプローチなんだ。ABABAのような形式を考えなくて、またそれに応答する試みもしなかった。何かを長くしたり、変化をつけたりして、どのようなクリエイティヴな弾みをつけられるだろうか考えた。何か抜本的に違うことはできるだろうか? 調性を変えられないだろうか? 全く関係のないものを作って推進力をつけられるだろうか? そしたら内的な感情が生じるだろうか?
例えば本当のADHD(注意欠陥多動性障害)はないけれども、自分には音楽的なADHDがあって、ミニマリズムには尊敬するけれど反応しないんだ。それに対してアルバン・ベルクは、オペラの『ルル』をMETで見に行ったのだけれども、最高のものの1つになった。それに対して『浜辺のアインシュタイン』(註:ミニマリズムの作曲家フィリップ・グラスのオペラ)尊敬はするけれども、その方法論的な性格を受け入れることはできなかったんだ。
進行や形式に対する自分の音楽の考え方は変わっていると思う。そして人が作品を聴いた時、少し風変わりに聴こえるかもしれない。でももし慣れれば、自分と同じようにそれが自然であるように捉えられるようになっていると思う。
――今回の『Spiritual America』ではあなたの作曲の新しいフェーズに突入したと考えてよいのでしょうか?
WB そうだね。部分部分を並置していくのではなく、3次元のオブジェクトを構築していくような営みだった。1つ1つが呼応しあっていて、全てを内面化できたなら、作品として意味をなす。1部分や1つの楽曲を聴いただけでは、何が起きているか部分的にはわかるかもしれないけれども、この作品の世界に入り込めているわけではない。これが前々からやりたかったことなんだ。感情的なインパクトがあって、とても思慮に富んでいて、直観を超えたハイパーレベルな構造化があるんだけれども、同時に引き寄せられるような形式と音楽的流れの驚きがあるようにした。
――しかし、30秒のソロをここで入れる、というようなことをしないので非常に制作に時間がかかりますよね。
WB 本当に時間がかかった。40分の作品なんだけれども、どうしたらいいか考え、非常に長い間何度もなんどもレコーディングし直した。長い時間をかけることでいい作品が生まれるとは必ずしも思わない。ただ、ある要素によって、背後に思慮深いものがあるのに興味を削がれることがあることを考えることは重要だと思う。そうした配慮からこの作品に対して(リスナーは)信頼を形成してくれると思う。
――そしてこのアルバムでは、ヴォーカルWye Oakの、Jenn Wasnerやコーラス(Brooklyn Youth Chorus)のミックスが重要な位置をしていると思います。
WB もちろんレコーディングもうまくいったのだけれど、Justin Vernon(Bon Iver)
を初め、多くの作品を手がけているZack Hansonにミックスをお願いした。Bon Iverの最近の作品『22, A Million』(2016)とそのミックスが大好きでね。幸運なことに何時間も何時間もかけて全てのトラックのミックスをやってくれた。 それは、オーケストラとコーラスをとってアナログ機材で単にミックスした、てものではない。まず最初に稀なことなんだけれども、オーケストラの全ての楽器に3、4個のマイクをつけた。さらに全てのセクションを別録りした。さらにストリングスだと、サブセクションを別録りしている。そしてアナログボード、アナログコンプレッサー、プリアンプなどを駆使して作業した。だからゲートから音が出てきた時に素晴らしい音を作れた。
様々なマイクのセッティングをしたので、弦楽器をピックアップの近くで聴いているようでもあれば、大聖堂で何か音楽を聴いているようなところもある。このような様々なオプションを加えたかった。ロックでミックスするようなオーケストラのサウンドに、さらに言えばレディオヘッドがミックスするようなオーケストラのレコードのようにしたかった。
――ある種のシアトリカリティーがあり、対話的に聴こえるのはなぜでしょう? アルバン・ベルクが好きと聞きましたが、オペラの影響でしょうか?
WB シアトリカリティーの理由はおそらくプリンスからの影響による。叙事詩的でありながら親しみやすさがあるもの。ある種のスケールのある規模の音楽なんだけれども、同時に親しみやすさがある。
――OPNやSon Lux、Wye Oakのアレンジャーとしても活躍されています。アレンジャーでもありアーティスト的な視点も持たれている稀有な例では?
WB 幸運なことにたくさんのオーケストラ音楽をたくさんの人々に書いている。習うべきことは永遠にある。自分用に10分オーケストラ作品を作るよりも大きな自由を感じることができる。単に何かを模倣して吐き出すのではなく、自分の持っている大きな世界観をどのように反映させるか、様々なアンサンブルを通して素晴らしい学びの機会が与えられたと思っている。そして、そこで新作では、作った何かを転用することはなく全てを書き下ろしているね。
――あなたのレーベルは、日本ではよくインディー・クラシカルとカテゴライズがされていますが、それはあくまで部分に過ぎないのでしょうか?
WB そうだね、部分に過ぎない。しかもこれからインディー・クラシカルの占める割合はより小さくなっていると思う。あと、本当は自分たちがしていることをインディー・クラシックという言葉で最初に表現した時、インディペンデント映画のことを考えていて、インディペンデントな精神を意味していたんだ
――つまり経済的な側面、あるいはアーティスト的エートスであって、音楽的な要素では必ずしもない、ということでしょうか?
WB そう。自分たちはインディー・ロックからの影響を意味したわけじゃないんだ。インディー・クラシカルという言葉が生まれたその時点では、インディー・ロックとの活発な交流は存在しなかった。また、クラシックとインディー・ロックのクロスオーヴァーという点では、レーベルのカタログを見てみればわかるけれども、昔からレーベルの全体を全く反映していないし、特に最近はもっと反映していない。多種多様なヴィジョンがあってそれが個人的な音楽的ヴィジョンに根付いていて、誠実であり、それを真剣に実現しようとしている音楽家に興味がある。ヴィジョンが広ければ広いほど良いと思う。クラシックの世界の拡張版という小さな世界から脱出し、よりダイヴァースな広い世界へ行きたいと願っている。
そこで、ジャンル流動性(genre fluidity)という言葉が意味を持ち始めると思う。『Spiritual America』がそうだからというわけではなく、ジャンルを無視したいわけでもない。メタ音楽的な情報を包括して、80年代を想起させるシンセの音を使うというように、それを一部としてアート作品の創造のために使いたいというわけだ。ジャンル流動性のシステムの中心にいるのは作り手個人であって、ジャンルではない。作り手の文脈と意図によって全ては文脈化されるのであって、批評家によるカテゴライズではない。
――これからのレーベルのリリースは、作曲家主体のプロジェクトに比重を置くのでしょうか?
WB 作曲のプロセスは異なる伝統によって様々な形があるはず。ヒップホップの伝統、ジャズの伝統、ノイズの伝統。作曲は、より協同的なものであったり、記譜されていないものであったり、より生成的であったり、より集団的であったりする。今は自分たちにとって問いかけの時期で、どのようにサポートしようか考えているんだ。音楽産業にとって、本当に挑戦の時期であって、ストリーミングフレンドリーな音楽ではなく、思慮に満ちた聴取を要求する音楽だから、マネタイズが非常に困難な時期にさしかかっているからね。
――今後のプランを教えてください。また、来日公演などもあれば。
WB 特に来日の予定は立てていないけれども、来年の夏あたりに目処が立てばいいなと考えている。そのときは『Spiritual America』の室内楽ヴァージョンをやれたらなと思っている。誰か興味を持った演奏家がいれば繋がりたいね。
今リリース予定なのは、LAをベースに活動するアンサンブルWild Upの『ALive in the Electric Snow Dream』のEPだけれど、まだいつ出せるかはわからないかな。
そして、今ちょうど偶然にも日本人/日系の作曲家/演奏家のピアニストのErika DohiとヴァイオリニストMichi Wianckoのアルバム2枚をプロデュースしている。来年にもリリースされる予定だよ。
ウィリアム・ブリテル(William Brittelle)プロフィール
1977年、ノースカロライナ州生まれ、ブルックリン在住のジャンル流動的Genre-Fluid音楽を提唱する音楽家であり、新鋭レーベル、ニュー・アムステルムダム・レコードの共同創立者。代表作に『Mohair Time Warp』(2008年)、『Television Landscape』(2010年)、『Loving the Chambered Nautilus』(2012年)などがある他、 Son Lux, Oneohtrix Point Neverのアレンジや共演なども積極的に行う。