フィクションとドキュメンタリーの「間」
―― 人に話を「聞く」、それも一定の距離を持った上で聞くということが小森さんにとっては重要なんでしょうか。
小森 重要だと思います。でも最近は、自分自身が直接「聞く」という立場でない制作に取り組んでいます。去年(2018年)の9月に『二重のまち/交代地のうたを編む』という瀬尾との新しい作品制作が始まりました。出演者を公募して、4人の方に陸前高田に来てもらって、一緒に2週間滞在をしました。その土地のこともあまり知らなくて、震災当時高校生以下だった若い人に限定して「旅人」という立場で来てもらったんです。何か関わりたいという思いはあっても震災との距離を感じていた人たちです。
彼らに陸前高田の人の話を聞いてもらって、聞いたその身体で、瀬尾の書いたテキストを朗読してもらうということをやったんですね。彼らがどのように見たのか感じたのか、その視点を大事にしたかった。そのためには、私たち二人が聞き手となって介在してしまうのは良くないと思い、同じ現場にいながらも、私と瀬尾がいるというのは透明にしていくような距離の取り方をしました。自分たちでは聞けないことがあると、震災から7年経ってから感じるようになってきていたのも大きいです。
――インタビューというのが小森さんにとって重要で、撮っている作品に通底する要素になるんでしょうか。
小森 インタビューだけではないと思うんですけど、聞くことから作品をつくるというのは通底していると思います。『二重のまち/交代地のうたを編む』では聞く場所をいろんな状況で設定していて、陸前高田の人からレクチャーじゃないけど、複数人で話を聞かせてもらうこともあれば、彼らが家に行って泊めてもらって、個別に話を聞くということもありました。
自分の体験ではなくて、聞いた誰かの体験をどうやって伝えるか。そのプロセスに、私たちがどう関わるかをこのプロジェクトでは模索しました。陸前高田の人たちの言葉をどう人に受け渡すかを考えた時、一度、別の人の身体を通して渡すということですね。それが大事だと思っていて、今までは私たちの身体だけだったのが、今回は旅人たちというまた違う身体をくぐって、表現された言葉や言葉以上のものが映像に記録されていると思います。
――瀬尾さんのテキストを読むことが、ある種のフィクション性として機能するのかとも思いました。生の事実を読むことと、それを別の人が話を聞くみたいに渡すということの間で、フィクションとドキュメントが入れ子になっているように感じます。
小森 瀬尾が書いた物語というのも、彼女が聞いた話から書かれている物語なんです。フィクションだけど、同時に根っこには現実がある。登場人物にしても、固有名詞は出てきませんが瀬尾にとってははっきりと顔が見えていたりする。完全に現実と切り離された物語ではないんです。それを読むときに、ただ読むということもできるけれど、その現実を知っているか知らないかで読み方とか声の出し方は変化していくと思うんですよね。テキストを読む人が現実にどうかかわったか、そこに身を浸した時間が声にどう現れていくのか、それを大事にしたいと思いました。
直接物語と関係のある話ではなくても、作品には登場しない風景でも、いろんな話を聞いた人だからこそ、読むテキストの一つひとつの単語から膨らんでいく想像力とか、間の取り方とかも変わっていくということがあるんだなと思って。それでやっと物語が伝わるというか、物語を聞く人に伝わる声になっていく。そういうことがあるんじゃないかと思って。彼らの朗読した声を聞いて、その物語自体も形を変えていくのではないかと感じました。
――本人からこう読みたいと言われたり、逆に小森さんから実際にカメラを向けるときはこうしてくれ、みたいな要望を出すこともあったりするのでしょうか。
小森 ほぼないですね。『波のした』のときは、テキストを書いた作者がその場にいないほうがいいだろうという瀬尾の判断があって、朗読する際には、私と読む人だけでやり取りをしました。演出というほどではないけど、その人が納得して読めているかどうか、何か引っかかっていそうだと思ったら、どう思いますかと質問をしたり、その程度のやり取りをしていって。その人自身がどうしても読めない単語がでてきたり、もう一言付け加えたいと言ってくれることもあって、声に出しながらテキストを編集して、朗読の声を作りあげていきました。『二重のまち〜』のときは、そういったやりとりは出演者と瀬尾との間で行っています。私はその後、カメラの前で彼らがテキストから声にしていく瞬間を記録します。その時も彼らが納得しているかどうか、納得できるまで一緒に付き合うのが自分の役割でした。
他の映像作家からの影響
――小森さん自身が影響を受けた作家(映画人に限らず)としては、どなたがいらっしゃいますか?
小森 『阿賀に生きる』(1992年)監督の佐藤真さん、『阿賀に生きる』のカメラマンで『風の波紋』監督の小林茂さんには大きな影響を受けています。作るときには、お二人のことをよく考えますね。教えていただいたことが支えになっていますし、悩んだり迷ったりするとついつい本を開いてしまいます。お二人の土地や人と関わる態度に、じゃあ自分はどうするのかといつも立ち返っています。
佐藤さんや小林さんの映画作りを追いかけていったときに、お二人の大先輩で深く関わりのある、柳澤壽男さん(『夜明け前の子どもたち』『風とゆききし』などを監督)だったり、福田克彦さん(『草とり草紙』を監督)だったり。ここ数年でそういう監督たちにも本や映画を通じて出会う機会があって、今の自分はすごく影響を受けていると思います。撮る側と撮られる側の関係性や、映画制作のために一時的にできた共同体によって「記録する」という営みにすごく興味があります。自分が今一人でつくれてしまう時代にどうやっていけるのかということは考えます。
――同世代の人の影響はいかがですか。
小森 同世代だと、小田香さん(『鉱 ARAGANE』などを監督)ですね。インディペンデントだからこその映像表現の豊かさを小田さんの作品を見て感じますし、とても清々しい気持ちになります。小田さんもご自身でカメラを回されますが、カメラがなければ近づけない、触れられない世界との境界線に立とうとする姿勢に共感します。自分もそうありたいと思いました。先入観のない眼差しを忘れてしまっていたなと気づかされます。
――震災を語る当事者が当事者でありながら「距離感のある声」「自分のことだけどもっと大きなことを語っている」ように思えたという発言がありました。小森さんは今後もそういう「声」を持った人をドキュメンタリーで映していくのでしょうか? 今後の作品の予定などもありましたら教えてください。
小森 そうですね。地域に根ざしながらも、すこし距離を取りながら、その土地や人々のことを考え続けている方を記録したいという思いがあります。そういう方の声って、たとえある個人や、地域の人たちに向けられていても、そこにはいない人や大きく言えば社会に対して投げかけられている声に聞こえてくるんです。外に向けて発信したり、訴えたりしているわけではないけど、誰も見ていないところにこそ、そういう声が聞こえてくるように思っていて、私はそれを記録したい。地域だからこその隔たりや摩擦もあって、住民でありながら声を発するってすごく難しいと思うんですね。そういう中でどうやって伝えていくかが、表現することと深く関わっているように思います。
どういう形で発表するか、いつ発表できるのかはまだ決まっていませんが、『阿賀に生きる』の発起人である旗野秀人さんのことを少しずつ撮らせてもらっています。長年、地元で新潟水俣病の患者さんたちと関わり続けている方です。他にも今年は、新たな出会いがいくつかあって、今まで関われないでいた土地での制作が始まりそうです。あとは、『二重のまち/交代地のうたを編む』を完成させて、上映や対話の場などを探っていきたいと思っています。
小森はるか(こもり・はるか)
…1989年静岡県生まれ。映像作家。東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。映画美学校フィクションコース初等科修了。東日本大震災後、ボランティアで東北を訪れたことをきっかけに瀬尾夏美(画家・作家)とアートユニットとして活動開始。2012年、岩手県陸前高田に拠点を移し、人々の語り、暮らし、風景を映像で記録するようになる。2015年、仙台に移居。一般社団法人NOOKに所属。主な作品に「波のした、土のうえ」(2014年/瀬尾夏美と共同制作)、「息の跡」(2016年)、「空に聞く」(2018年・愛知芸術文化センター・愛知県美術館オリジナル映像作品)など。
〈作品情報〉
『息の跡』
公式HP http://ikinoato.com/
3/30より紀伊國屋からDVDリリース。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-10-4523215263511
『空に聞く』
あいちトリエンナーレ2019にて上映。
https://aichitriennale.jp/
〈註〉
1 『息の跡』公式サイト イントロダクションより
http://ikinoato.com/introduction/
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