はじめに
ドキュメンタリー映画『息の跡』(小森はるか監督、2016年)には、次のような印象的なシーンがある。東日本大震災の被災地(岩手県陸前高田市)で種苗店を営む佐藤貞一さんが、特許を取得した特殊な栽培技術について図面を手に得々と説明している【図1】。その技術によって、一本の木に赤色と黄色のトマト、およびナスを同時に実らせることができるのだという。佐藤さんは、独習した英語と中国語を使って震災の体験記を書き上げ、それを自費出版した奇特な(と言っていいだろう)人物だ。彼は英文の書き方と栽培技術を説明するための図面の書き方は似ていると言い、カメラ越しにその説明を聞いていた小森も同意する。
映画批評家の三浦哲哉が指摘しているように、このシーンは単に映画の登場人物の行動を説明するだけでなく、それが映画の作り手である小森の「原点」を指し示している点できわめて興味深い。三浦は、震災の記録を書くために佐藤さんがひとつひとつ自分の手で確かめて「一から」身につけていった技術が「普遍的」な境地に達していると評し、そこから「記録すること」と「ものをつくること」の原点を教わった小森のドキュメンタリー映画もまた「普遍性」を獲得していると述べている1。
ここで強調しておきたいのは、映画『息の跡』が備えているメタ構造である。この作品は、震災の「記録」を書く佐藤さんの姿を「記録」している。「記録すること」が二つの次元で展開されているのである。『息の跡』という作品の最大の強みは、この二つの「記録」の共振を捉えた点に求められるだろう。
佐藤さんの震災「記録」と小森の「記録」映画は通じ合っている。先に見たように、佐藤さんが外国語で綴る震災記録の書き方は、彼の生業である農作物の栽培技術を説明することと似ている。そうであれば、小森の映画もまた、農作業に通じる要素を持つことになるのではないか。二色のトマトとナスを同時に実らせるようなキメラ的な植物とドキュメンタリー映画の作り方は、どこで接点を持つのだろうか。
このことを考えるためには、小森の「原点」をさらに遡らなければならない。『息の跡』を監督する以前にも、彼女は被災地の人々を撮影した映像作品を何本も手がけているからだ。彼女の最初期の作品に、『あいだのことば』(2012年)と『米崎町のりんご農家の記録』(2013)という二本の中篇映画がある。本稿の目的は、おそらく一般にはあまり知られていない二つの初期作品の分析を通して、小森の「原点」をより精確に見定め、彼女の作品が持つ特質を明らかにすることである。
ある映画的奇形
『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』は、二つの独立した作品でありながら、奇妙に癒着しあっている点で特殊な形態をとっている。ここで用いている「癒着」の語に否定的な意味はない。文字通り、二つの作品は、相互に参照しあい、支えあっているように見えるのだ。たとえば『米崎町のりんご農家の記録』には、りんごの「接ぎ木」をめぐるシーンがある。後述するように、この場面は『あいだのことば』のある一場面と呼応しあっており、同時に、ここで描かれている「接ぎ木」という作業それ自体が両者の関係をメタ的に規定している。
くわえて、りんごの接ぎ木を描いた場面は、『息の跡』で佐藤さんが三種類の実をつける植物を披露する場面の雛形ともなっている。つまり、小森が監督した初期の中篇作品には、のちの作品で展開されるテーマの萌芽もまた宿っているのである。
さて、りんごの接ぎ木と映画にはどのような類縁関係がみとめられるだろうか。接ぎ木とは、二個以上の植物体を人為的に作った切断面で接合して一つの個体にする行程である。このように書けば、接ぎ木がすぐれて映画編集の寓喩であることが了解されるだろう。小森はるかは『米崎町のりんご農家の記録』というドキュメンタリー作品を通して、この寓喩を実践しているのではないか。彼女は、被災地のりんご農家の日常を記録している。その記録した当のものが、映画の構造それ自体を規定しているのである。
一般にりんごの苗木は接ぎ木によって増やされる。一つの果実にはおよそ二十個の種が入っているというが、この種を蒔いてもすべて別々の品種となってしまうため、同じ品種を増やすためには接ぎ木によるしかない。りんごの苗木を作る際、台木には主にカイドウという別の植物が用いられる。台木に切り込みを入れ、そこに作りたい品種からとってきた枝(種木)を差し込むのである。二つの異なる種類の植物はこうして一個のりんごの木を形成する。
映画もまた、複数のショットを接ぎ合わせることによって有機的なまとまりを持った一つの作品を構成する。原理的にはどのようなショット同士であっても編集でつなぎ合わせることができるが、作家はより効果的なショット編集を求めて心を砕くことになる。とりわけ、劇映画に比べて相対的に物語性に乏しいドキュメンタリーの場合は、編集上の工夫が不可欠である。
ここで次元をひとつ繰り上げて考えてみよう。すなわち、ショット同士だけでなく、ある作品に別の作品を接ぎ合わせることによって(そのための接合面を用意することによって)、弁証法的な作用を生じさせ、より大きなまとまりをもった「作品」を作り出すことはできないだろうか。小森は『りんご農家の記録』に先立って『あいだのことば』という作品を完成させている。公開されるまでに約一年の時間差はあるが、両作品を構成する映像はほぼ同時期に撮影されたものだ。この二つの作品を突き合わせることで、小森はるかがそこに作り上げたより高次の「作品」を浮かび上がらせることができるのではないか。小森は、映像作家としてのキャリアの最初期に手がけたこの二つの作品で、いったい何を行っていたのだろうか――。
「作家」と「作品」
具体的な作品分析に入る前に、いくつかの点について前提を整理しておきたい。ここまでの文章では、『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』を指してごく自然に「作品」と呼んできたが、果たしてそれは適切だろうか。というのも、この二つの中篇映像は最初から作品としてまとめあげることを意図して撮影されたものではなく、むしろ「記録」としての性格を強く持っているからである。そのことは、小森と友人の瀬尾夏美が「東北移動報告」というブログを立ち上げ、撮影と並行して各地で繰り返し「活動報告会」を行っていたことにもあらわれている。これが一点目の問題である2。
二点目の問題は、小森はるかをこれら二つの映像の「作者」と見なし、「作家」として論じることの是非である。これは『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』を作品と呼ぶか否かという一点目の問題とも関わる。仮に二つの映像が作品と呼びうるものであるとして、なお作者が誰かという問題は残る。というのも、小森はるかの傍らには常に友人の瀬尾夏美の存在があったからである3。
以上の二点の問題を認めたうえで、それでもなお本稿では、二つの中篇を「作品」と見なし、小森をその「作者」と想定して議論を進めていく。ただし、作品のうちに作者の意図を読み込むことよりも、あくまで作品から何が読みとれるかを優先的に考えていきたい。
作家の徴
まずは『米崎町のりんご農家の記録』のあるショット連鎖を取り上げることで、これが紛れもなく「作家」の手になる「作品」であることを明らかにしておきたい。図1の画像は『米崎町のりんご農家の記録』の序盤に見られる連続した二つのショットである。ここでは、干してある二つのマットを捉えたショット【図2】に続いて、それを背景にして手前で水道を使う瀬尾のショット【図3】がつながれている。図1で画面の中心を占めていたマットは、図2で後景のほぼ同じ位置に退いている。被災地に暮らすりんご農家の日常を描くのに、なぜこのような凝った編集が必要なのか。ここには映像による「記録」を「作品」へと格上げしようとする力学がすでに兆している。
前のショットで中心に置かれていたものを、次のショットの後景に移すことを好んで行った映画作家に、小津安二郎がいる。小津は頻繁にこのような撮影・編集を行い、それによって自らの映像的文体を際立たせた。映画研究者のデイヴィッド・ボードウェルは、小津のこのようなやり方を「主要音/副次音」という音楽学の用語で説明し、このような視覚的な遊びが小津の映画に独特のリズムをもたらしていると指摘する(ボードウェル 237-51)。
ここで小津の名前が挙げられたことに唐突さを感じる向きもあるだろう。もちろん、この「世界的な巨匠」の威を借りて小森を権威づけようというつもりは微塵もない。そもそも、最初に小津の名を口にしたのは筆者ではなく、小森はるか自身である。小森は『ユリイカ』の小津安二郎特集号(2013年11月臨時増刊号)に寄せたエッセイのなかで、「小津の映画から学び、身につけた術」(小森 31)があるかもしれないと述べている。
私が言いたいのは、小森が小津の影響を受けているということではない。彼女の意図がどうであれ、世界映画史上、もっとも独創的なスタイルを作り上げた監督の映画と同様の細部を、小森の監督作品が有していることはまぎれもない事実なのである。そうであるとすれば、『米崎町のりんご農家の記録』は、「作家」による「作品」と呼ばれるだけの資格をすでに有していることにならないだろうか。
(次ページへ続く)