エクリヲ vol.15 特集:モダン・ラテン・アメリカ 特集巻頭言


 ラテン・アメリカとは、語義上は「アメリカ合衆国とメキシコの国境を流れるグランデ(ブラボー)川の南にひろがる、中部アメリカ、南アメリカの、ラテン系のことばが話される諸国」を指している(註1)。あるいは、西インド諸島の国々を足して、もう少し広範な地域を呼ぶ場合もある。ラテン・アメリカという言葉に、あなたはどのようなイメージを連想するだろう。アマゾンの豊かな生態系? 銃とギャング? コーヒーと麻薬(コカ)? なんであれ、文化や資源の面において、現代のラテン・アメリカは格別の存在感を放っている。しかし、これらのイメージには決定的な「距離」が介在している。「距離」は、日本に住む私達がラテン・アメリカを理解するうえで不可分なものだ。

 日本とラテン・アメリカは地理的に地球の反対側に位置し、あまりに遠いが、かつては日本からの移住が活発に行われていた。最初の移民先は一九〇八年のブラジルであったとされる(註2)。世界大戦のために一度は停止されたが、WWⅡ終戦後、サンフランシスコ講和条約(一九五一年)を経て、独立した日本からラテン・アメリカ各国への移住が再開された(註3)。とはいえ、このような計画的移住は今やほとんど見られないため、両者の交流を身近には感じられないだろう。

 今日における日本人のラテン・アメリカ受容の最大の窓口は、やはり文学を代表とする文化だろう。一九六〇年代のフランス人哲学者ミシェル・フーコーによるホルヘ・ルイス・ボルヘスの紹介に前後して、言葉の魔窟のようなその文学の魅力が人口に膾炙するようになり、やがて世界的にブームとなった。マリオ・バルガス= リョサらノーベル文学賞受賞者を擁し、文学全体における存在感も際立っている。文学に限らず、映画・芸術など、さまざまな分野でラテン・アメリカという存在は日本に影響を与えている。

 しかし、こうしたラテン・アメリカ文化の受容は常になんらかの媒介を伴う。例えば、ラテン・アメリカ作家の映画は、ほとんどがフランスの映画祭などの評価を受けたうえで日本に入ってきており、直接日本の配給会社によって発見され、劇場公開されるというケースは稀だ。ラテン・アメリカ文学の受容も、既に確立された評価軸を母体にしたもので、一歩その外に出てしまえば、良いのか悪いのか、作品が何を目的にした内容かもわからない、茫漠とした原野の体験に放り出されてしまう。私達のラテン・アメリカ理解には依然として「距離」の問題が強く介在している。

 その距離は物理的なものというより、精神的なものなのかもしれない。インターネットによって、チリで生活する人間とビデオ通話で対面のコミュニケーションを取り、チリの最新の流行曲を検索して聞けるようになった。しかし、依然として私達は彼らのことを、アジア人、ヨーロッパ人、アメリカの人のように身近に感じられていない。だからこそ媒介を通じて理解しやすいグローバルな作品ば
かりを求めてしまう。現代の「距離」は、日本人のなかに根付くラテン・アメリカのステレオタイプにもあるのかもしれない。冒頭にあげた銃や麻薬、コーヒーの産地、アマゾン川といったイメージはすべて、ラテンアメリカ世界を「未開」や「野蛮」と結びつけている。それらのイメージはラテン・アメリカの文化や資源の恩恵を歓迎する一方で、彼らと直接関わり合うことから遠ざけてしまっている。隣人ではないからこそ、私達の持つイメージはメディアで仕入れた常に荒唐無稽で、実態にそぐわないものになってしまう。この意味では、やはりラテン・アメリカ世界との距離は精神的な問題だけではなく、物理的な問題でもあるのかもしれない。

 これらのギャップを踏まえながら、我々はその「距離」に、より豊かなかたちで橋を渡すことができると考え、本特集を刊行する。現在ラテン・アメリカで活躍するクリエイター五組へのインタビュー、巨匠の遺産を継承しながらどうイメージを打破・更新するかという問いと向き合う現代の文学・映画を紹介するコラム、そして多種多様な切り口からラテン・アメリカのモダンを相手取る論考が用意されている。

 この特集は、もはや驚きと偏見に満ちたエル・ドラードの発見とはならないだろう。しかしかといって、その繊細な文化の肌理をグローバリズムに回収することを目的とするものではない。ただ、日本人では触れることの難しいその魅力をできるだけ落ち着いて、しかし情熱に溢れた筆致で伝えることを目的としたものである。我々の特集が、地球の反対側に位置する彼らが何を見て、何を感じているのかを知る入口になれば幸いだ。


1: 増田義郎『物語 ラテン・アメリカの歴史 未来の大陸』中公新書、一九九八年、九頁。
2: 東栄一郎「日本人の海外移住、1868年―1998年」『ディスカバー・ニッケイ』(https://discovernikkei.org/ja/journal/2014/2/28/historical-overview/)。
3: 著名なプロレスラーであるアントニオ猪木(一九四三―二〇二二、本名猪木寛至)も一九五七年に一家でブラジルへ移住し、コーヒー農園で働いていた。


エクリヲ vol.15 特集:モダン・ラテン・アメリカ
https://ecrito.booth.pm/items/5677787

Interview
クリストバル・レオン
ホアキン・コシーニャ
イグナシオ・アグエロ
パウリーナ・フローレス
岡村 淳

Column
モダン・ラテン・アメリカを知る10の小説/10の映画

論考
MRからMRへ──歴史の周期と再来する神のビジョン(横山 宏介)
不自然な観客のために──ラテンアメリカ映画の宛先(新谷 和輝)
距離と強度──ボルヘスのポストクリティーク(安原 瑛治)
食人の思想の現代的意義──オズヴァウヂ・ヂ・アンドラーヂからスエリー・ロルニクへ(居村 匠)
”異聞“としてのブラジリアン柔術(山下 研)

Special Text
主人公プレイヤー戦いプレイし続ける意味──『Fate/Grand Order』「黄金樹海紀行 ナウイ・ミクトラン 惑星を統べるもの」における物語体験(高井 くらら)