「オタク批評のクリティカル・ポイント」序論


 「オタク」という言葉の起源として現在も参照され続ける言説がある。『漫画ブリッコ』(1983年6月号)に掲載された、中森明夫によるコラム「『おたく』の研究① 街には『おたく』がいっぱい」である。

 1975年より開催されていたコミックマーケット(83年当時の会場は東京国際見本市会場だった)に同年足を運んだ中森は、その参加者を「おたく」という総体として捉えた。その語には複数の含意があった。中森曰く「アニメ映画の公開前日に並んで待つ奴、ブルートレインを御自慢のカメラに収めようと線路で轢き殺されそうになる奴、本棚にビシーッとSFマガジンのバックナンバーと早川の金背銀背のSFシリーズが並んでる奴……」である。省略した部分にはアイドルやオーディオに拘る者もそう名指されている。

  ここで批評されている「オタク(おたく)」の実態には本論の関心はない。検討するのは「オタク(おたく)」をめぐる言説上の変遷だ。中森が揶揄的に表現した「おたく」という出自から明らかなように、この語は現在に至るまで政治性を帯び続けてきた。本論はその政治的言明の多様さ、そしてそれを生み出す構造そのものについての記述である。

 「オタク」の起源が中森による雑誌上のコラムであるとしても、この語が言説上に実質的に登場するのはそれから6年が経った1989年である。下記の「朝日新聞における<オタク>を扱った記事数の推移」を確認してほしい。

表A

 

 朝日新聞紙上において、初めて「オタク」を扱った記事が登場するのは1989年である(ちなみに中森が本来記していた「おたく」表記の記事掲載は1年後の1990年)。前年からの宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件の発生、そして宮崎の逮捕が1989年7月に行われたことが本質的な原因だ。報道などで衆目に晒された宮崎の自室は大量のVHSや雑誌に埋め尽くされており、「オタク(おたく)」という語は否定的なイメージとともに世間に受容されたと言われている。

 しかし、新聞言説に目を向けると事はそれほど単純ではない。90年代前半において「オタク」もしくは「おたく」を扱った新聞上の言説は、大塚英志、浅羽通明、みうらじゅん らによるオタク擁護の論調のものが大半である。当時30歳そこそこの「オタク第一世代」といっていい彼らは、自らの言論活動の端緒と「オタク」言説の勃興が重なっていた。

 この段階で留意すべき点が二つある。一つは「オタク」言説の大半が、「当事者による言説」 であるということ(語の出自である中森もまた例外ではない)。もう一つは、言説に領域を限定する限りにおいて「オタク」差別は存在しないに等しいことだ。なぜなら圧倒的にその数が少ないだけでなく、また言説間の参照も極めて乏しい からだ。前者が後者のような状況を生み出した原因とする見立ても可能かもしれない。しかし、本論は言説の外部に存在する「オタク差別」のような事象を検討しない。あくまで言説のみを対象とする。

 グラフからも明らかなように、やがて「オタク」言説は90年代後半から増加し、2000年前半まで増加したまま落ち着くことになる。これはコミックマーケットの動員数の推移や、下記のTVアニメの新作放映数の推移にも近似する。

表3 確認できるのは、TVアニメ新作放映数の2000年代における増大である。図1に視点を戻すと、同様に ことがわかる。書籍のスマートヒットからドラマ化へと繋がった『電車男』や、同年の流行語大賞に「萌え」が選出されるなど「オタク」自体の認知度が飛躍的に上がった時期だ(海外においても同様。前年のヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展での日本館の展示は「おたく:人格=空間=都市」だった)。

 詳細は『ヱクリヲ4』に載される論考にて触れるが、急増した「オタク」言説はやがて、その「当事者性」によるオタク内部でのアイデンティティ・ポリティクスの様相を帯びていくことになる。一方で、通説として流通しているヘイトに近い「オタク差別」の言説は、ネット空間を除いてほとんど確認することができない。もちろん例外は存在する。新聞に言説にすら2000年代において二度、そのような明白な「オタク・ヘイト」は確認される。しかし「オタク」言説はその大半がオタク当事者による内部闘争であり続けてきた。

 ここまでの議論をまとめると、「オタク」言説の実質的な勃興期の90年代は「オタク擁護」の傾向があり(且つ言説上には「オタク・ヘイト」は目立つ訳ではない)、2000年代以降は「オタク」内部のアイデンティティ・ポリティクスへと移行していく。

※補足だが、『ユリイカ』2005年8月増刊号として刊行された「総特集=オタクvsサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史」にみられる「オタク」と「サブカル」を対立項として配置する言説にも本論は一定の分析を加えられるかもしれない。ネット上でも散見される「オタク」対「サブカル」の構図だが、下記のグラフをみるに言説上の両者の推移は非常に似通っている。構造は驚くほどシンプルかもしれない。

表B

 本文中でも述べましたが今回のエントリーは5/1(日)に開催される文学フリマで頒布予定の『ヱクリヲ4』掲載の論考の序論にあたります。もし、少しでも「面白そうだ」「ここが納得いかない」等のご感想あれば、当日ブースまで足をお運び頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します!