役者というレスラーの大奮闘-シベリア少女鉄道『Are you ready? Yes, I am.』を観て


 そこは良家に住む令嬢の部屋だった。その部屋で一番目を引くのは、中央の客席側に置かれたテーブルの上に、チェス盤が据えられていることだろう。その部屋の住人クラウディア(川田智美)は物憂げだ。彼女は探偵。人の心が見えすぎる。そのため、彼女が心を許せるのは父親のブライアン(土屋亮一、吉田友則の代役)とメイドのレベッカ(小関えりか)ぐらいのものなのだ。チェスに興じるクラウディアとレベッカの元に、クラウディアに紛失物の捜索を依頼するため、恋人同士のエドワード(加藤雅人)とマリー(濱野ゆき子)が現れた。次に紛失物の捜索をすでに始めていたバートン警部(浅見絋至)も現れた。
「Are you ready?」
そして彼女の推理ショーが始まるのである。 

 これは2015年11月26日から12月6日まで下北沢の駅前劇場で上演された、シベリア少女鉄道の『Are you ready? Yes, I am.』の冒頭のシーンである。そのシーンはとても丁寧に作られていて、役者の演技力によって納得させられる強度を持ったものとなっている。そのため、観客は役者達が作り上げた世界に引き込まれるのだ。 

 そして、物語は翌日を迎える。クラウディアとレベッカ、父親のシーンであるが、父親を演じる土屋がどうもおかしい。必死に台詞を思い出す様なそぶりを示すのである。そしてようやく出た言葉にレベッカを演じる小関は、ビクッと驚きつつ本来言うべきだった台詞をちょっと詰まりながら話す。これはとても作られたものとは思えない。土屋が代役だからテンポがずれてしまったように思える。だが実際は意図的にテンポをずらしたのだろう。それをきっかけとして、他の役者たちも演技が徐々に過剰になっていくのだ。自分の出番まで必死に演技の練習をし、うまく台詞を話すことができたら、ヨシっと言いながらガッツポーズを取る。それを他の役者がじっと見つつ、自分も何かやってやるという雰囲気を醸し出すといった感じに。こうして冒頭のシーンで作り上げられた劇世界は、どんどん崩れていくのである。その中で主役を演じる川田は必死にその劇世界を支えようとするのである。 

 これまでのシベリア少女鉄道の作品も、冒頭で作り上げた劇世界を中盤以降で違ったものに作り替えていった。『あのっ、先輩…ちょっとお話が… …ダメ!だってこんなのって… 迷惑ですよね?』は、過去を引きずる高校教師たちと学生たちの葛藤と成長を描いた劇だ。その劇に出演予定でなかった役者たちが舞台上に上がり込み、勝手に割り込んで台詞をしゃべり出したりして邪魔をする。そうして劇世界は破壊されていくのである。『わくわく村の仲良しマーチ』は、ほのぼのとした童話の世界とヤクザの世界が平行して描かれていたが、最終的には役者というヤクザな存在が舞台というシマの取り合いを描き、ほのぼのとした童話の世界が破壊されていくのだった。『この流れバスター』は、あるゲームに参加した人々が殺し合いを演じていく物語から始まる。殺されて役者が舞台から退場する際、その役者の名前と数字がスクリーンに現れるのだ。1幕目の最後にその数字が演技力を表すことが分かり、2幕目は最大の数字を叩き出した川田がボスとして君臨する世界となり、役者達の演技力を用いた戦いとなっていくのである。物語は役者の演技力を表すための道具でしかなくなるのだ。この3つの作品からでも、物語とは外部からのちょっとした力、表現方法で簡単に崩れさる脆弱なものであること。物語を成立させているのは役者の演技力であるということを導き出すのも可能だ。今回の『Are you ready? Yes, I am.』はその物語の破壊をさらに突っ込んだ作品と言えるだろう。 

 主演を務める川田はシベリア少女鉄道以外の劇団の公演でも演技力を発揮している。20歳の国という劇団の公演『いつかエンドロール』では、同級生の地方の女子高生が、東京の大学に進学して女に、そして結婚し妻になる役を演じていた。川田はそれぞれの年代の女性像を演じ、明るくフレッシュな魅力から、ドキッとするような色気を醸し出し、最後には落ち着いた幸せな雰囲気を演じていた。monophonic orchestraという劇団の公演『時々は、水辺の家で。』では、画家の母親の遺産として相続した芸術家のシェアハウスに住み、そこに住む人々との交流を経てスランプを回復していく作家を少ない台詞と憎まれ口で表現していた。このように演技力で人を惹きつける川田智美が、演技力をメインに押し出すシベリア少女鉄道で主演を演じる時、さぞや凄い演技力が展開する舞台になるに違いないと期待していた。だが予想に反して舞台上で展開しているのは、ボロボロになった劇世界を必死に支える川田の姿だったのである。 

 シベリア少女鉄道の主宰である土屋が率先して物語を破壊していく。だから他の役者も容赦がない。自分がその瞬間の主役となれるよう、物語を無視して演じていくのである。それは演出として予定されたものだけでなく、アドリブも行われているようなのだ。運営スタッフである風間さなえも舞台上に現れ、役をよこせと暴れだす。開演してからまもない11月28日に観劇したからだろうか、川田はそのような状況に対応する余裕がなく、振り回されつづけているのである。役者達が勝手な演技を繰り広げる中、川田がクラウディアとして台詞をしゃべっている横に土屋が出てきてクラウディアの台詞のパロディをやり始めたのだ。川田は目を丸くし「あなた、何をしているの?」といった表情を浮かべ、土屋亮一のことを見つめるのである。その次は川田の台詞だったのだろうか。誰もしゃべらない不自然な間が生まれてしまった。そのことで物語が停止してしまったのだ。そうして劇世界が完全に崩壊してしまったのである。川田は再び演技を始めるが、そこにいるのはクラウディアではなく、クラウディアを演じる川田自身となってしまったのである。 

 観劇したのは公演が始まって3回目の11月28日の昼の部だからか、劇世界の破壊はどこまでも容赦がない。劇場内で客入れをしていた運営スタッフの風間さなえも舞台上に上がって役をよこせと暴れだす。徹底的に破壊された世界に倒れてしまった川田に、役者たちは容赦ない言葉を投げかける。舞台だけが現実ではないと。川田がそこから再び這い上がろうとする姿に
「がんばれ、川田智美!」
「負けるな、川田智美!」
と声援を送りたくなってくるのだ。物語が崩れ去り、演技力を取り除かれ、役者を生業とする人間たちの格闘そのものが残ったのである。それでも、観客は役者達が醸し出す現実に引き込まれるのだ。 

 これまで観たシベリア少女鉄道の公演は、物語が破壊されても役者の演技力によって成立していた。だが、今回の『Are you ready? Yes, I am.』は、その役者の演技力すら破壊してしまっている。それなのに公演として成立しているのである。その理由の1つ目は川田の奮闘であろうか。主演の川田がゴールを目指した奮闘を他の役者が妨害するという図式が成立する。2つ目は土屋の演出であると考えられる。こうしたいという土屋の意思が役者達と共有されているため、役者達は土屋の思い描いたゴールを目指している。一見自分勝手な行動をしているように見えても、そこには調和が存在しているのである。つまり今回の作品はプロレスだったのだ。そして筋書きのない、いや、筋書きを破壊したドラマなのである。プロレスであるからこそ、役者自身の魅力が輝くのである。冒頭のシーンはあくまでお互いの演技力という技の見せ合いでしかなかったのだ。そして大きな技を決めようと役者たちは奮闘するのである。だから観客は演技力ではなく演技力を決めようとする役者に注目することになる。物語は演技力によって生み出される。そして演技力は役者自身という現実によって生み出されるのである。演技力で魅せるシベリア少女鉄道は、その演技力すら破壊をし、役者そのものを提示したのである。薄氷を踏むようなギリギリさで公演を成立させているのも、役者達の持つ演技力そのものなのだ。『Are you ready? Yes, I am.』ではさらに役者と演技力というものに焦点を当てたと言えるだろう。だからこそ、公演を公演が進んでいくほどに川田智美は他の役者の技を上手く裁くようになっていくだろう。公演が進むほどによりプロレスに近づいていくのだろう。そして千秋楽では川田は完全勝利を得るのではないだろうか。といった印象を抱くのである。 

 そこは下北沢の駅前にある劇場の舞台の上だった。その舞台で一番目を引くのは、中央の客席側に置かれたテーブルの上に、チェス盤が据えられていることだろう。その舞台上にいる川田智美は物憂げだ。彼女は女優。人に翻弄されすぎた。そのため、今、彼女が心を許せるのは一緒に翻弄された小関えりかぐらいではないだろうか。だが戦いを終えた役者たちは横一列に並んで観客に向けて頭を垂れる。
「ありがとうございました」
そして彼女の舞台が終わるのである。 

 

公演情報
シベリア少女鉄道 vol.26 『Are you ready? Yes, I am.』

作・演出
土屋亮一

出演
川田智美
小関えりか
加藤雅人(ラブリーヨーヨー)
浅見紘至(デス電所)
濱野ゆき子
土屋亮一(吉田友則の代役)

会場
下北沢・的前劇場

スタッフ
舞台監督 谷澤拓巳

照明 伊藤孝
音響 井川佳代
美術 泉真
映像 冨田中理
衣装 熊井絵理
宣伝美術 土屋亮一
イメージビジュアル ふみふみこ
制作 高田雅士・保坂綾子
制作協力 PRAGMAX&Entertainment
企画・製作 シベリア少女鉄道