あっはっはっ、なんだこれは
篠崎大悟が舞台上に現れた。その瞬間に男性客から爆笑が起こる。私も同様に笑ってしまう。あまりの衝撃にただただ笑うしかないのだ。
演劇ジャーナリストの徳永京子が責任者のProduce lab 89では、リーディングという形式を用いて想像力で五感を越えようという試みる『五感overs』、夏目漱石の夢十夜を定本に好きなようにやってもらう『夢十夜を遊ぶ夜』、その人のA面でもB面でもない、さらに深い部分を語ってもらおうという『Side C』、自身が一番エロスを感じる作品のリーディングをしてもらう『官能教育』という企画がある。『官能教育』では今までもサンプルの松井周、ロロの三浦直之、FUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介などが上演を行い、傑作だと言われるものを提示してきた。今回は岡崎藝術座の神里雄大がガルシア・マルケスを『エレンディラ』を2015年9月4日と5日に計4回上演する。南米人と日本人のハーフである神里雄大は、『レッドと黒の膨張する半球体』、『隣人ジミーの不在』では、日本人を挑発するような作品を作ってきた。『+51アビアシオン、サンボルハ』では自分の中の日本人の部分と向き合うような作品を作ってきた。今回は果たしてどのようなものを作ってくるのか、それをとても楽しみにしていたのだ。
舞台上に現れた篠崎は、翼を背負っている。手にはラミネート加工された紙の束を持っている。その紙の束には犬の散歩をする時に使うリードのような紐が付いており、それが篠崎の足に繋がっている。それ以外は何も身につけていない。靴も履いていない、シャツも着ていない。ズボンも履いていない。下着すらも着ていない。つまり裸なのだ。イチモツぶらぶらさせながら、立っているのである。確かに天使の格好そのものなのだが、なんとも生々しい。さらにイチモツを振ってエレンディラの文章を朗読するのである。椅子に座っても、そのイチモツを見せつけるような座り方だ。そのとても馬鹿馬鹿しい有様に、再び笑いが起きる。
あっはっはっ。
最初は堂々としていたけれど、恥ずかしくなったのか、変な動きをしたり、イチモツが見えないような姿勢を取ったりする。その際に文章の読み間違いをしたりもする。
あっはっはっ。
神里雄大が舞台上に現れ、椅子に座り、篠崎と対話をする。ギャラの話など、とてもぐだぐだな話だ。
「神里さん、旅行はどうでした?」
そう振られた神里は、プライベートなことだし、段取りしていないことなので話せないという。そして、神里は旅先で買ってきた木像を篠崎に売りつけようとする。だが、篠崎は金はないし、興味のないものを一切買おうとはしない。だが、神里はその木像を押しつけるように置いていく。
なんてぐだぐだなのだろう。これは本当に作り上げられた世界なのだろうか。彼らのやりとりの粗さの向こう側に彼ら自身の現実が無遠慮に顔をのぞかせている。だから安心して観てられない。とてもハラハラとさせられる。
次に現れるのは、池田萌子である。そして朗読を始める。すると篠崎はこんな事を口走る。
「もえちゃんさ、キスとセックスはどっちが好き?」
すると池田は「キス」と言って、持っていた皿を渡して逃げるように舞台袖に移動してしまう。
あっはっはっ
池田の純情さの前に裸の篠崎がいるのだ。このシーンだけ切り取ったら、篠崎はただの変態である。いや、最初から裸で出ている篠崎は変態だって言ってもいいんじゃないか?
最後に現れるのは、岩澤侑生子である。そして朗読を始める。篠崎はふたたびこんな事を口走る。
「 侑生子さんはキスとエッチ、どっちが好き?」
すると、は、「エッチ」だという。すかさず篠崎は値段交渉をするが、その値段ではできないと突っぱねられる。良くてパンツを見せるくらいだと。
「考えておくわぁ」
篠崎はそのように答えると、岩澤は 包丁を篠崎に手渡すのである。すると篠崎は皿の盾に、包丁を剣に見立ててギリシャ兵の様に振る。道具を与えられて事でとても楽しそうに包丁を振るのだ。
あっはっはっ
篠崎の裸にも慣れてきた私は、その姿が彫像のように見えてきた。すると締まっているが薄い篠崎の肉体が躍動する様を感じることができた。恥ずかしさを含んで躍動する肉体はとても艶めかしい。なんと官能的なのだろうと思わされた。
なんだ、この作品は。ばっかじゃないの。出落ち感満載。ぶらぶらしている篠崎のイチモツがすべてじゃないか。本当にこれで良いのかとも思えてしまう。
だけど、篠崎のイチモツが全てではないのだ。エレンディラはベッドの足と自分の足が鎖で繋がっている。それは篠崎も同じで戯曲と自分の足が紐で繋がっている。「作品が要請するんなら、裸にもなりますよ」と役者はこのようなことを言う。作品の要請にしたがって裸となった篠崎は作品に隷属していると言えるだろう。入り口で金を払って六本木新世界に入った私たち観客は、その篠崎の姿を観て、あっはっはと楽しんでいるわけだ。それは私たちの快楽のために篠崎の裸を金で買っていると言ってもいい。私たちは篠崎の「性」を買っている。いや、「性根」を買っていると言っていい。そして作品が未完成のため、嘘と真の境界がとてもあやふやなのだ。篠崎と神里のやりとりは、篠崎の池田、岩澤へのセクハラまがいの質問は役の上なのか、本心なのか。観客はひとつひとつ頭の中で検証しながら観ることになる。それが篠崎が裸でいるのは役の上なのか、本心なのかの問いまで引き起こす。正解のない場所へと誘われてしまっている。
なんだ、この作品は。すごいじゃないか。確信的不安定感満載。ぶらぶらしている篠崎のイチモツがすべてではなかった。これで良かったと思えてくる。
それにしても、神里雄大は変わったなと。神里はレッドや隣人ジミーで日本人に対する怒りを込めていた。その怒りはとても深いもので、作品中に怒号が響き渡っている。だが、その怒号の残響が凄すぎるため、神里自身が全く見えてこないものだった。
神里さんはどこにいる?
最終的な感想はそれだった。神里は何故そんなに怒っているのだろう。それが分からなかったのだ。
次に観た+51アビシオンでは、日本を離れたけれど、日本から離れることのできない日本人の姿をありありと示していた。そこには旅の果てに自分自身を語りだした神里の姿をみる想いだった。それでも多くの日本人がいる中の一人として神里がいるというもので、神里はいるけれど、ここにいるとはなかなか明言できない。
神里さん、いるよね?
最終的な感想はそれだった。神里は自分の事を語ろうとし出している。それが分かってちょっとうれしい。
そして今回の作品では、とうとう自分自身を舞台上に乗せてしまった。まさに作品作りや旅行などの経験を積んで一皮向けた神里雄大が、このような作品を作っているのは俺ですよと、堂々と宣言している訳だ。ようやく作品の中で神里雄大と出会えた印象を抱くのである。
はじめまして、神里さん。ようやく会えましたね!
最終的な感想はそれだった。神里は自分のことを語ることに覚悟を決めた。それがなんともうれしいのだ。裸の篠崎の隣で、神里は心の中のイチモツをぶらぶらとさせているのである。それはとても官能的な姿だったと言えるのだ。
(観劇日:2015年09月04日 22:00時)
官能教育 第8回
神里雄大xマルケス『エレンディラ』
公演日時
2015年09月04日 19:30 &22:00
2015年09月05日 17:00 &19:30
会場
新世界
原作
ガルシア・マルケス
構成・演出
神里雄大(岡崎藝術座)
出演
篠崎大悟(ロロ)
岩澤侑生子(高岡事務所)
池田萌子
神里雄大(岡崎藝術座)