2018年11月末、2つの批評誌が写真特集を刊行した。『ヱクリヲ vol.9』「写真のメタモルフォーゼ」特集号と、『パンのパン03 たくさんの写真についての論特集号』である。ますます「写真」が、あらゆる場所・メディア・行為に浸透する現代において、メディアアーティストや写真研究者、美術批評家といった様々な立場の書き手から提起された写真論は、これまでの写真批評の流れと連動しうるのか。「写真分離派」の1人でもある倉石信乃を招いて開催した、「写真批評」に焦点をあてたトークイベントの一部を紹介する。(2019.01.29 SCOOLにて)
『写真分離派宣言』世代の写真家、デジタル写真とカラー写真の台頭
松房子(以下、松) 私は『写真分離派宣言』(図1)1の表紙がすごく好きなんですが、この表紙は写真をめぐる言説の解が一つではないことを視覚的に示してくれていると思います。(刊行年である)2012年は、フィルムで撮るのかデジタルで撮るのか、写真に携わる人たちは皆、この問いと向き合わざるを得ないような雰囲気があったよう記憶しています。刊行当時の状況や発刊の経緯などを伺えるでしょうか。
倉石信乃(以下、倉石) 当時、それぞれの人間関係はあったりなかったりでした。清水穣さんには2003年にグラーツ(オーストリア)で現代日本写真展2があったとき、日本の写真関係者がは大挙して参加していたんですが、そのトークセッションでご一緒したことがありました。意外に話が弾んだのを覚えています。鈴木理策さんと鷹野隆大さんとはほとんど面識がなかったですね。エキセントリックな面々が多いですが、そのなかで一番の常識人である鷹野さんが発起人となり、私にも声をかけてくれたんです。
いわゆるフィルムからデジタルへの移行期でもあって、多くの写真家が悩んでいたり危機感を感じたりしていた頃だと思います。今から約10年前ですが、テクノロジーの過渡期でしたね。写真分離派のなかで、銀塩の写真についてプリントのレベルを顕著に探求していたのは松江(泰治)さんだったと思いますが、それでもデジタルへの転換が――これは強がりだったのかもしれませんが――喜ばしいと最も強く言っていたのも松江さんでした。
個別の違いはあるなかで、鈴木さんはフィルムの写真しか撮らないと決めていたし、鷹野さんも同じ姿勢でした。フィルムへの固執が当時はあったと思います。一方で、清水さんは「ヱクリヲ」のインタビューでも語っていますが、デジタル写真に積極的な評価軸を見出していくようになる。私はどちらかというと、(レフ・)マノヴィッチの『ニューメディアの言語』にもあったように、われわれの眼という不完全な器官でプリントなどの最終段階を見る以上、アナログメディアを愛でるほかはないと思っています。眼の不完全な営みに、どうしたって縛り付けられているという気がします。
きりとりめでる(以下、きりとり) たしか写真分離派は皆さん同い年でしたよね。それを知ったときに驚きました。ホンマタカシさんは一個上だったはずですが、何という塊だろうかと。写真分離派世代が直面していたのはデジタル写真もあると思うんですが、一方でさっきお話にあったカラー写真の登場もとても大きかったのではないでしょうか。鈴木理策さんが、どういうふうに雪の白さを撮るのか、桜の色を撮るのか。あるいは肉体を撮るとなったきときに、メイプルソープのようにモノクロではなく、鷹野さんがどういうふうにカラーで生々しく撮るのか。
本当にたくさんの技術史的な転換への応対が、写真分離派世代の活動のなかに詰まっていると思うんですね。そのなかでカラー写真などでなく、「デジタル」という言葉が俎上に上ったのはなぜなんでしょうか。他のタームで宣言を語ることがありえたんでしょうか。
倉石 正確な答えになっているかはわかりませんが、写真分離派の三3人の写真家たち、あるいはホンマタカシさんも含めて、共通点があるとすれば、それは、写真の原理に関心があることだと思います。鈴木さんの新作(Mirror Portrait)はハーフミラー(半透鏡)を使って鏡の裏側からポートレイトを撮るものですが、そこには「ポートレイトとは何か」という問いがあるし、撮影者と被写体の非対象性に対する、また顔の生々しい露呈に対する問題意識がある。
清水さんがその生々しさを直截的に批評して、写真分離派に亀裂が走ったこともありましたがそれはさておき(笑)、鷹野さんの最新作(カラマル/ca.ra.ma.ru)もストロボを焚いていて、身体を残像としてかたどるという作品なんですが、すぐに消えてしまう痕跡を残すということを仮設的に目に見える状態にしていくことで、撮影による痕跡化とは何かを問おうとする写真論的な意識があったと思います。
松江さんの場合は難しいところに差し掛かっていると思います。それはデジタル写真が非常に高度化していき、画素数が上がるだけでなくダイナミッグレンジも著しく拡張しているわけですよね。松江さん本人もよく言っていますが、これだけ高度化してしまったら基本的に解像度を上げていく方向は意味がないわけです。松江泰治は高解像度をとても重視してきた写真家だったし、90年代を通じての彼の仕事は、おそらく「黒白写真」における最も重要な表現上の達成のひとつであり、かつ技術上の達成だったと思います。しかし、そこから彼はカラーに跳び移っていく。つまり、テクノロジーの民主化を受け入れなくてはならなくなってくる。また、彼が動画を撮り始めたことも重要だと思っています。
松さんが『ヱクリヲ vol.9』でGoogle Mapについて書かれた論考(Googleマップの無人写真)がありますよね。ヴァナキュラー写真のようなものが一つの場所に紐づけられて、組写真化しているという重要な指摘がありましたが、Google Map的なものというのは、ストリート・ヴューを含めてある意味で松江泰治のライバルのような存在でもあるといえる。松江さんはいつも、とても長い旅をしながら撮影をしていくわけですが、ああいう匿名的な地理的写真にどうにかして対抗しなくてはいけない。
広島現代美術館で今、展示されている(開催当時)3松江さんの近作のゆっくり動く動画のなかに、博物館のなかを撮った作品があります。屋外に取材した松江さんの動画でもそういう面がありますが、よりいっそうドラマ性もあっておもしろいんです。室内のイメージというものが、松江さんの最近のチャレンジにある。
松江泰治の現在にあるのは、いわばテクノロジーに追い詰められながらそこから逃走していく写真家の姿だろうと思います。しかし嫌々逃げていくわけではなく、テクノロジーの進化を受け入れつつ、それと戦いながら逃走線を引いていく。それは写真家の一つの生き方としてとても示唆的です。なぜならそこには「テクノロジーの条件に対する問い」と「写真原理についての問い」の二つが含まれているからです。
それはホンマタカシさんもそうだと思いますが――とはいえ彼のカメラ・オブスキュラを用いた作品よりも映画の方が私にはおもしろいのですが――写真に対する原理的な問いをしなくてはならないというオブセッションがある。少し上の世代だと、宮本隆司さんも同じだと思いますし、最近デジタル写真に移行して、いい意味で自滅的な展開をみせている金村修さんのでたらめなカラー写真もそうだと思います。そこには条件となるテクノロジーへの問いと、写真の原理への問いが含まれているはずです。
「現代写真」の評価軸
松 テクノロジーに追われながらも、そこに対抗していく写真家という姿はたしかに現代的ですね。また、写真家たちがそのような変容を迫られると同時に、写真作品そのものの評価というものも変化するように思います。たとえば現在、なんらかの批評性を一切含まず、ストリートフォトやセルフポートレイトを90年代や2000年代の写真家と同じように撮るということは難しいように感じます。お二人はそれぞれ、同時代的な写真の評価軸のようなものをお持ちでしょうか?
倉石 難しい質問ですね。どういう風に言ったらいいかな。いわゆる古典的なモダニズム写真に対する評価軸ということで言うと、熟達した技術を持った写真家が構図と露光をばっちり決めて、構図も露光が適正でない場合はいい感じにそれを崩して、ピントをきちんと合わせたり、合わせなかったりして一つの絵作りをしていく、みたいなことに注目することになる。それをよかったり悪かったりと評価していく。基本的にそういう営みが全くなくなりはしないと思うんです。
ただそういう美学的な基準みたいなものは写真の場合、前もってこうであるということを定式化することが難しいジャンルだと思います。おそらくは一枚のプリントだけでなく、それが展示され言葉で説明されるコンテクストも大事だし、ようするに枠、パレルゴンという部分がより重要になってくると思います。
隣接するというか、現在では重なり合っていると思いますが、美術において写真が重視されてきた文脈をみていくときに、写真プロパーの文脈にも通用し、しかも美術の中でも重要といえる写真の特性を表す語のひとつは、「インデックス」だったと思います。つまり単純化していえば、写真というものが確かに起こった事実を痕跡化する装置である、写真が当の出来事と物理的な連続性をもつ画像である、という考え方ですね。
インデックスとしての写真・映像を現代美術史の中で取り上げたのは、たとえば美術評論家のロザリンド・クラウスですが、そうした理由というか背景に注目すべきかもしれません。つまりインデックスとしての写真への彼女の関心は、さまざまなコンテクストを持つ現実のフィールドの中に、ホワイトキューブから離れたところに、展開された場における彫刻すなわちアースワークやその他の事物性を担う美術作品が提示されなければならないという状況と、相互補完的に存在していたということです。ホワイトキューブの「外」にある事物そのものの出現を価値付けることと、写真のindexicalityへの注目は明らかにリンクしていると思う。
いわゆるグリーンバーグ的な「メディウム・スペシフィシティ」4、絵画なら絵画、彫刻なら彫刻を超え出る可能性として、写真というものの持っている事実を記録し伝達する力としてのインデックス性と、そして展開された場に向かっていく美術の事物性、この二つは初期ポストモダニズムにおけるアートの評価軸には、1960年代後半から1980年代の途中くらいまではあり得たわけです。また、当の事物性を再び美術館へ還流させるメディウムとしても、コンパクトな写真と映像は機能します。
ようするにこれは『オクトーバー』5の批評家たちに共有された思考であり、ハル・フォスターなら後にその状況・条件を「The Return of the Real」、リアルの回帰というわけです。それはミニマルアート的なものからよりポリティカルな社会性を持つものまで、自然を対象にしたものから都市的なものまでを含むでしょうが、ここで重要になってくるのは、おそらく現在でも、写真をメディウムとして用いた表現に非常に大きなインスピレーションを与えている存在が、フォスターのいう「エスノグラファーとしてのアーティスト/写真家」というような制作主体のあり方ですよね。回帰する「リアルなもの」のヴァリエーションの中には、いわゆるアートとしての写真ではなく、ドキュメントとしての写真やヴァナキュラー写真が、巻き込まれ取り込まれていく。そして写真を含めた、アーカイブの中に眠っているドキュメントの使用価値に対する関心が高まり、それを引きずり出してきて恣意的に自らのアート作品の原資に転用するような手法が多くなり、かつそれが評価されるようになりました。
そうしたドキュメント自体には私自身も関心を持っているけれども、このことにはリスクがつきまとっていると感じます。私は写真の表現、とくに美術サイドで扱われる写真において、危機的な状態も見られると思っています。
★次ページ:〈写真家は写真発明家的である〉へ続く