ああ、これは何という風景なのだろう。白装束の役者たちが駆け回っている。あるものは扉を演じ、あるものは喰われる女を表現し、あるものは地獄の亡者、鬼を演じている。その中を一般の観客が通り抜けていく。それを外側から眺めている。見たことない光景に、ただただ爆笑するしかないのである。
多摩ニュータウンで行われている多摩1キロフェスの一つの出し物として行われた子供鉅人の『あおぞらお化け屋敷』である。当初の予定の演目をやめ、多くの役者で何をするのかを考えた結果であると主宰の益山貴司がアナウンスする。すると、役者が自分の身体を使っていろいろなものを作り出す。扉、つり天井。その中でうごめく異形のもの。喰われる女の死体。それをむさぼるゾンビ、恐怖に怯える女などなどだ。何もない空間を四分割するとして、手前側を1の部屋と2の部屋、奥側を3の部屋と4の部屋とする。作り出されたものは1と2の部分である。その光景を巨大な会談に座って上から覗き込むように眺めるのである。
「では、前から順番に入ってください」
益山の指示により、前に座る人々が「あおぞらお化け屋敷」の中に入っていく。すると、役者たちが彼らを必死に脅すのだ。上から眺めている私たちは、その丸見えの光景が何ともおかしくてただただ爆笑するしかない。
「あっはっはっ」
入場者が1の部屋を構成していた役者たちが走り出し、3の部屋を作り出す。そこには地獄の風呂釜があり、閻魔大王らしき人が鎮座している。3の部屋が準備できる頃に、2の部屋から3の部屋に続く扉が開く。すると、2の部屋を構成していた役者たちが走り出して、4の部屋を作り出す。そこは亡者がうごめき、鬼らしき人が徘徊している。入場者が3の部屋から4の部屋に移動すると、3の部屋を構成していた役者たちが走り出して、1の部屋を作り出すのである。そして新たな入場者が1の部屋に入ってくる。その間に4の部屋から最初の入場者が出ていくと、4の部屋を構成していた役者たちが走りだして、急いで2の部屋を作り出すのである。恐怖以上に役者たちの必死さが、そして役者たちの疲れが、そのあまりにもくだらないシチュエーションと相まって
「あっはっはっはっはっはっ」
と爆笑するしかない光景が展開されるのである。なんて面白い、面白いのだろう。
現世ではこのように必死に人々が走り回っているが、それは神の視点からすれば滑稽なものなのだ。なんてこの世の中は救いがないのであろう。
ということも言おうと思えば言えるのであるが、そんなものはどうでもいい。ただただ馬鹿馬鹿しくて面白いのだ。
お客を迎え入れるのが続いていくと、最初に作り上げたお化け屋敷というものがあからさまに疲弊していく。台詞もどんどんと乱暴になっていき、粗も目立ち始める。その崩壊もまた面白いのである。
「これは体験しなければなるまいて。」
私も並んで入ってみる。すると、上から見下ろしていたのとは全く違う光景が展開していた。何をされているのか分からない。何が起きているのか分からない。状況に後押しされて、次から次へと展開していく。唯一分かるのは、役者たちの焦りなのだ。多摩1キロフェスの進行をしている方から、経過時間と持ち時間を提示される。すると、さらに焦りが募ってくるのが分かる。
人々は不意に襲われる状況にながされるしかないのだ。なんてこの世の中は救いがないのであろう。
ということも言おうと思えば言えるのであるが、そんなものはどうでもいい。ただただ馬鹿馬鹿しくて面白いのだ。
4の部屋を越えて、私は元々座っていた場所に戻る。すると、へろへろになっている役者たちの姿が目に入ってきた。
お客様のため、作品のため、自分の身体を限界以上に酷使している。なんて人間性をないがしろにされたブラックな作品だ。だけど、そのようなものは目を向ければどこにでもある。なんてこの世の中は救いがないのであろう。
ということも言おうと思えば言えるのであるが、そんなものはどうでもいい。ただただ馬鹿馬鹿しくて面白いのだ。
ああ、面白かったっ!!
深くものを考えず、目の前の光景を馬鹿馬鹿しくて面白いと思うのもまた良いものなのだ。
そして時間が過ぎ、目の前は何もない空間へと戻っていく。面白いと思った感情も過去へと過ぎ去っていくのである。
それは「馬鹿馬鹿しくて面白い」という亡霊に出会っていたのだ
ということは言っても良いだろう。