Interview:チャーリー・ルッカー「NYアンダーグラウンドの叡知とその展開ーーブルックリンDIY・メリスマ歌唱・反ファシズム」


聞き手・翻訳・構成/大西常雨
2018年5月10日 West Village, NYC

 生粋のニューヨーク育ちで、実験的ギタリストとして出発しつつ、言葉と声をその表現手段として獲得し、極めて独自の立ち位置にいる音楽家チャーリー・ルッカー――。ユダヤ系の家庭に生まれたからこそできるのかもしれない、固定化した歴史観の能動的相対化、そしてハイコンテクストな表現手段を生み出す知性。80、90年代NYダウンタウンの音楽背景と人脈を得ながら、2000年代ブルックリンのDIYシーンを代表とするバンドZsを始め、さらには中世、ルネッサンス音楽の歌唱法からヒントを得てExtra Lifeを率いた。ソロデビューの新作では、歌い手として社会的な潮流を――そこにも自他に対する批評的な相対化があるのだが――扱うことになる。参照項を拡張して新たな視座を持ち、実際の創作に応用し、絶えず自己のスタイルを変革していくこと。そこにはジャンルを問わず、多くのクリエイターの参考になるものがあるだろう。


チャーリー・ルッカーの音楽背景

――まず、これまでどのような音楽を聴いてきたのでしょう?

チャーリー・ルッカー(以下CL) 僕にとっての初恋は11、12歳のとき、SlayerやMegadethだった。そして、すぐによりエクストリームなメタル、Morbid Angel、Napalm Death、Earache Recordsなどの90年代のまたデスメタル、グラインドコアとかその類のものを聴いていた。同時にまた普通のパンク、当時流行っていた少し保守的な音楽である、メインストリームのロックやオルタナティヴロックのメインストリームよりのものを聴いていたね。

――インディーロック的なものもまた聴いていたのでしょうか?

CL 僕の聴いてきたものには常にメロディ的な要素もあって、ネオロマンティックとか、ポストパンク、ゴス、ニューウェーヴなどを聴いていた。そしてデスメタルや現代音楽の作曲技法の中に、技術的にヤバくて奇妙なものweirdoを発見していくプロセスもあった。高校時代はまだ歌を歌ってないときで、ギターを使って、ジャズや現代音楽、フリーインプロ、ノイズ、インダストリアルなどで、難解であり抽象的なものに一挙にのめり込んだ。そして、20代になってZsを始めることになる。

――10代の時にKnitting Factory〔1〕で働いていましたね。そこで様々な音楽を聴いたんですよね?

CL 括弧付きの「ダウンタウンミュージック」〔2〕(以下、括弧付きは省略、「」で統一)は、特にJohn Zorn〔3〕を通して、エクスペリメンタル・ミュージックの大きな入り口になった。エクスペリメンタル・ミュージックのアイディアだけでなく、一つ音楽にとどまらず、ジャンルを否定し、越境し、ハイブリッドな形式を作る音楽家になるということのアイディアをくれた。ものすごくインスパイアされた最初のシーンだったよ。

――音楽的な内容ではなく、原理に影響を受けた、と。

CL サウンドというより、「ダウンタウンミュージック」の音楽的な雑食性というアイディアと創作態度に影響を受けたね。そして僕にとって、音楽的な雑食性は大きな意味を持った。それはフランケンシュタイン的なものではなくてね。「ダウンタウンミュージック」はその種のものがあるけれど。

――しかし、それら(「ダウンタウンミュージック」)は過ぎ去ってしまった。そのように思いますか?

CL そういうことを言うつもりはなかったけれども、君がそう言うならば、それに反論することはない。だけど、John Zornを始めとした80年代や90年代、その初期の世代の音楽家たちは、今も素晴らしい音楽を作っているし、終わってはいない。しかし君が、そのシーンの若い世代がそれほど活躍していないというならば、そう言えるのかもしれない。
 僕が10代のとき本当にそのシーンを尊敬していた。けれど、20代になり、自分がNYで実際に演奏家として、レコードを作ったり、ライヴをすることになったとき、Zsはいわゆる「ダウンタウンシーン」の一部である気がしなかったんだ。みんなZornもMark Ribotも好きだし、その世代の音楽家たちが好きなんだけれども、僕らはブルックリンの2000年代DIYシーン、つまりノイジーパンクやギターロック的なものが鳴っているシーンにいると思った。

――Dirty Projectors加入もそのような経緯でしょうか?

CL それはまさにブルックリンの2000年代だね。インディーという単語が2000年代のブルックリンのDIYシーンを引っ張ってきたバンド的エートスが含まれたギターとベースの音楽を意味し、それは「ダウンタウンシーン」より80年代のハードコアやパンクに由来することを意味するなら、インディー的と言えるだろう。
 NY前衛は終わったのかな? でもこの批評誌でそう聞いてくるということは、そこまで終わってはないってことなの?

――そこまでは終わってないかと。外部から見ると、より精密に再接続する必要性を感じています。例えば、あなたはTrevor DunnやJeremiah Cymerman共演もしていますし。

CL 確かに。個人的には知らないけれども他には尊敬しているTyshawn Soreyがいるね。シーン、伝統、エートス、なんと呼ぶのかわからないが、彼は強烈にその種のものを抱え込んでいる。しかしそれは昔と同じ形では市場化されていないんじゃないかな。

――日本のような外国から見ると、明らかにそこには、ある種の音楽の文脈であるとか、歴史のようなものを感じるのですが。

CL どれほど規格外で破天荒でやばい音楽を作るにせよ、特定のジャンル、特定の関係性へ文脈化され、受容されてしまう。「ダウンタウンシーン」、80年代のZornやAnthony Colemanであれ、それが現在のJeremiahであれ、Trevor Dunnであれ、多くのアーティストたちが、完全に電子的なノイズやその種のものを作っても「ジャズ」という文脈の中に収斂され文脈化されてしまう。「ああ、これは「ジャズ」という形式の破天荒なものだね!」とジャズへと収斂される。そこにさらに、「音楽家のための音楽」「ヴァーチュオシティ」「ある種の知性主義」という側面がついてくるわけだ。
 一方で、ZsもExtra LifeもブルックリンDIYから来ている。そこでも、この世で一番狂った音楽をやっても、それは「ロック」と文脈化される。Zsは超先鋭的なダウンタウン的音楽からは離れたところで、サックスやミュージックスタンド、その種のヴァーチュオシティや知性主義を象徴するものを持ち込んだ。僕たちは、午前2時にドラッグで人がイかれてるような、ブルックリンDIYのパンクやロック的な文脈の中でやったんだ。つまり横断的なことをした。

――Wesleyan大学はいかがでしたか?

CL すごい楽しかったよ。、あそこでのリベラルアーツ教育は馬鹿馬鹿しくもあり、最高に面白かった。論争される余地があるほどの、とてつもない自由があったね。Anthony Braxtonからは多くを学んだ。

――Anthony Braxtonが教鞭〔4〕を取っていたんですよね。

CL 最近退職したけどね。彼は全くの異端者で、自分の音楽世界を持つ天才だった。特に直接的に影響を受けたわけではないけれどね。彼の編成の大きなアンサンブルの授業をとったけど、最高だった。その頃はまだ歌ってなかったから、実験的で純粋に器楽的な音楽に浸かっていた。歌は大きな節目になったよ。Zsの後で、Extra Lifeになって初めてメロディ的要素、ニューロマンティック的要素、モリッシー的要素、そして中世やルネサンス的要素がまとめてやって来た。Zsをやっていたカレッジの頃は、Wesleyan大学からZsを演奏するためにNYに通わなくてはならなかった。その当時Anthony Braxtonはとても重要だったね。
 しかし、文化的にダウンタウンシーンあるいはAnthony Braxtonの世界が一方にあって、他方にブルックリンDIYの世界がある。ブルックリンの2000年代、あるいは他にメタルシーンであれ。ダウンタウンミュージック、ジャズ、即興音楽など、それらは多くの場合「音楽家による音楽家のための音楽」になってしまう。それは必然的に悪いことだとは思わないけれども、とても特殊なものだ。観衆がいても、みんなが音楽家なんだ。それはベースメントやロフトのショーとは違う。そこでは、音楽家の人もいるし、バンドをやっている人もいるけれど、他の分野の人も遊びに来ている。 カルチュラルで、それが好きなんだ。
 Zsをライヴでやるときには、皆ネオン色の服を着て、ぶっ壊れたようなペダルをつけたようなところでやったんだけれど、そこにミュージックスタンドを持ち込むと、「楽譜があるのかよ、何やるんだろ?」ってなる。The Stone〔5〕で楽譜があっても、音楽家のための音楽家であるに過ぎないし、「そんなの当たり前だろ」ってなる。だから、カルチャーが違う、と言える。
 NYダウンタウンを今でも代表しうるアーティストと言えば、Anohni(Anthony and the Johnsons)じゃないかな。彼女は超実験的というわけではないけれども、オールドスクールなNY前衛の系譜を受け継いでいると思う。

――あのAnohniですか? どのような要素を受け継いでいるのでしょう。

CL  NYダウンタウンのカルチャーには多様な文脈があると思う。Anohniが、いわゆるJohn Zornや即興音楽、現代音楽の作曲のシーンを代表しているとは言わないけれど、実験的劇場の系譜から来ているとは言える。キャバレーに影響されたヴァイブ、ファッション、パフォーマンスアートなどのアート的世界、そしてそこにクイア、トランス、そしてドラッグカルチャーの世界が内在しているんだ。トーチソング(註:失恋や片思いなど悲痛なラヴソング)の伝統の実験場。ポスト・ウォーホル的な、Penny Arcadeのような人達のことだ。この都市の歴史のちょっと違う側面であり、僕の知識はそれほどではないけれど、それは明らかにNYでダウンタウンだ。Anthony & The Johnsonsが出てきたとき、彼女にはよりあからさまなNYっぽさがあった〔6〕

――より最近になって、The Stoneでも演奏されています。Mary Halvorson, Mick Barr, Tyondai Braxtonとギターカルテットをやっていますね。特にMaryとTyondaiの話を聞かせてくれますか。

CL Maryについてはお互い10代の頃から、彼女がボストンにいる時から知っている。僕の知っている中で、最もオリジナルで最も深いギター奏者だ。僕とジャズシーンとの関係はほんの少し、ほとんどないと言えるけれど、僕がコラボレートしているジャズアーティストは、 Maryを含めDarius Jones、 Mike Prideで僕の世代の中でも最良の人たちだと誇りを持って言える。MikeとはPERIODという即興プロジェクトを断続的に演奏している。Maryとは時折一緒になって、2、3年に一度、そしてたまにショーでジャムをするし、Ty(Tyondaiの愛称)とはMaryと同じくらい長い付き合いだ。Tyはプリンスだ。非常に短命に終わったAntenna Terraというノイズロック、ノーウェーヴ的なトリオを、Mike Prideと3人でやっていた。U.S.Mapleに近いサウンドだったけど、よりメタル、NYハードコア的要素を加えたものだった。より最近、2011年から13年、Tyのオーケストラのレコード“Central Market”のライヴ演奏で僕はギターを弾いた。ベースとドラムを連れ、その核であるエレクトリックバンドにいてLAフィルハーモニック交響楽団やロンドン・シンフォニエッタと共演した〔7〕こともあるね。
(2P目に続く)

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