特別対談:牧野貴×渡邊琢磨 映像音響の前線へ


COVID-19渦のクリエイションと今後の展望

――渡邊さんの今後の活動について伺いたいのですが、フェスなどに出演することより、映像に関わる作曲家としての活動が主流になって行くのでしょうか? 

渡邊 元来、演奏というよりは音楽を作る方にウエイトというか興味がありました。ただ、牧野さんはじめ、ミュージシャンや海外のアーティストとライブなどで共演するうちに、その場で起こっている音楽、出来事があまりに面白いので病み付きになってしまったのです。それでライブが活発化していった矢先に、映画や映像作品に関わるようになって、また自室のピアノやPCに向き合う日々の揺り戻しがきた感じです。

――COVID-19渦の現状について伺ってもよろしいですか?(註 : インタビューは緊急事態宣言下の四月一一日に行われた)

渡邊 最近、海外のアーティストと音のデータをやり取りして共作するなどしていたのですが、必然的にお互いの生活状況の話しになり、彼らの、国や世界情勢を注視しつつ作品制作に関しても手を緩めるない、活発化させていくパワーには刺激を受けました。同時に、私的には国政、国のハンドリングがいかに自分たちの生活や今後を左右してしまうかを痛感しました。

 日本で噴出する政治腐敗、汚職に経済対策を後手に布マスク配布など、末期的な政府の夥しい愚行のなかで、状況を憂慮し外出しない、人にも会わない、生活維持のこともある。暗澹たる状況ですが、私的には放置していた料理とC言語の勉強を再開し、ジョアン・ラ・バーバラ Joan La Barbara (註:アメリカの声楽家、作曲家でジョン・ケージなど、アメリカ実験音楽ともゆかりのある音楽家)の声をドローン化した新曲を作りました。料理は全く上達しませんが、音楽制作では新たな可能性も徐々に立ち現れてきました。先日、牧野さんに対談するに際して連絡したのですが、海外の映像制作に興味がある方々を対象に、リモートで講義を始めたと仰ってましたね?システムの導入も早かったのでは。

牧野 スペインはカオスだったので、やり始めるまで一ヶ月以上かかったんですけれども、アメリカは封鎖されたらすぐオンライン授業が始まりました。Zoomが暗号化されてないから危ないという話もあるわけですが、気にせずみんなバンバンやってますね。自分の授業なんて機密情報ではないし、漏洩しても全然問題ないですからね。

 ヨーロッパ、北米、南米、アジアで本当にたくさんの仕事の予定がすべて吹き飛んだので オンライン授業のオファーは積極的に受けるようにしています。映画祭もそうですけれども、今のところは先の予定が立たないですよね。韓国ですと割と落ち着いていて8月の映画祭をやるというけれども、まだ実現できるのかどうかわからない。日本から入国出来ないかもしれないし、とりあえず今は具体的な旅の話は決めない方がいいかなと。オンラインで可能なことをどんどんやるしかないのかなという状況はあります。DCPだったらオンラインで送れますからね。

埼玉県立近代美術館『New Photographic Objects 写真と映像の物質性』2020年

(註:牧野作品の埼玉県立近代美術館の展示「New Photographic Objects 写真と映像の物質性」はワークショップやライブは中止になったが、延期されて開催(二〇二〇年六月二日〜二〇二〇年九月六日)。また、七月九日にメルボルンのTHE SUBSTATIONとコラボしてオンライン上映が開催予定)

渡邊 ストリーミングやサブスクって、HDとSDを選択できたりするじゃないですか。以前、牧野さんがご自身の作品について「映像のスピード」が大事であるというような主旨のことを仰ってましたが、その「スピード」というか、クオリティーは、それなりのHD環境じゃないと再生できないのでは?

牧野 映像配信をする時にはmpegというフォーマットに問題があるんです。mpegは前のコマと次のコマの持つ情報量がいかに近いかというデータを判断して圧縮していく方法なんですけれども、自分の作品は作品全てのフレームが違う形をしているので、それは一番mpegが嫌いなことなんです。今まで作った作品を圧縮してyoutubeとvimeoにあげてるんですけれども.映像が密になればなるほどめちゃくちゃに破綻している。そもそも僕は作品を映画館で見せるように制作しているので、ネットで見せるように作っていないので、それが問題なんです。

なので今作っている作品はオンライン上映を考えているので、映像の変化のスピードを抑えて作るかも知れません。

それと最近の僕の作品は基本的にカット編集をしていないんですが、練習をして編集の方向をもう少しシネマティックに考えていきたい。先ほど、コラージュの考え方を多重露光の方に落とし込んで発展させてきたことを言いましたが、カット編集でもそれはできると思っています。ベン・リヴァースBen Rivers (註: 例えば辺境に住む人間など、独自の私的空間を創出する題材を取り上げる、ロンドンを拠点とする国際的な実験映像作家)はカット編集が非常に上手いですね。光学的ではない、そういう時間軸を使ったコラージュを使った変化は、圧縮による問題は関係なくなる。いまはそういう方法の追求をする時が来たかなと思っています。

渡邊 なるほど。今日のような状況になって、いま仰ったようなことは、牧野さんのこれからの新しい表現方法になっていくんですかね。

牧野 そうですね。ちょうど二月にオーストラリアのローレンス・イングリッシュLawrence English(註 : 聴取や認知の政治性を追求するオーストラリアの作曲家/アーティスト)とコラボレーション作品を完成させたんですけど、そこで速度上の問題でかなり新しいチャレンジはしているんです。僕の作品は没入していくといより、吸い込まれいくような状況──鑑賞者それぞれが自分の中に還っていくような感覚──を作り出すのが目的の一つです。そのためには「渦」のようなものを制作しなければならないと考えていました。それよって作品の変化というかピッチが一律的だったと思います。その問題をローレンス・イングリッシュとの共作で一度解消したんですね。その延長上で、もっとカット編集を突き詰めてみたいと考えています。

──渡邊さんの作品制作にも変化はあるのでしょうか。

渡邊 前述のとおり、個人で出来ることは多々ありますが、近年注力してきた弦楽アンサンブルのような少し大きめの編成で演奏や録音を行うには配慮と工夫が必要ですね。ただ、頭の中で音をイメージしてしまう以上、音楽は連綿とやっていくわけで、どうにかひねり出しますよ。

牧野 琢磨さんは東日本大震災時も仙台の自宅で被災し、当時は制作活動にも多大なる影響を及ぼしたと思います。例えば震災以後、琢磨さんは映画のサウンドトラックの仕事が多くなっていたようにも思えるのですが、当時と今の制作する心境に近いもの、あるいは変化はあるのでしょうか?

渡邊 当時の震災に関して、私の住んでいたエリアに関して言えば、地震発生直後から数日間は電気やガス、水が停まるなどインフラの問題がありました。しかし今の状況とは異なりますね。

牧野 あのときも、多くのアーティストのやることが変わりましたよね。

──先が見えない状況ですが、今後の活動に関して教えてください。

牧野 創作の大きな目的は変わっていないのですが、どう作品を発表していくのかとか、具体的な方法に関しては考えていかなくてはなりません。もちろん、人は遠ざかってはますが、形態として映画館や美術館が全部なくなることは到底考えられない。いまは一刻も早い収束を願うばかりですが、このような状況ではオンラインでの授業やワークショップの需要は高まる一方なので、そのための準備は進めています。仕事しないとやっていけないですからね。

渡邊 僕はここ数年、弦楽アンサンブルを起点に作曲を行い、音楽を考えてきました。一枚のレコードができるくらいの楽曲が揃ったので、それを一つの区切りとしてリリースしたいと考えています。それは、牧野さんとの共作や映画に携わってきたことなどの経験もフィードバックされた内容になっています。今後は電子音やコンピューターで生成した音による作曲、制作に取り組んでいくかもしれません。これは音楽表現に限ったことではありませんが、当面、人が集うリスクやバイアスがあるなかで、仕事のやり方、社会やコミュニティについて考えつつ、個人的に着想を得たらシェアしていきたいです。

牧野 今はできることに全力で取り組み、状況が変わったら、溜め込んでいたエナジーを一気に放出する準備をする期間だと思っています。本来やるはずのなかった事をやって、その可能性を伸ばすこともできますし、そこは柔軟に対応していきたいですね。今年の自分のテーマは、「臨機応変」です。作り手にできることは作品を作ることだと思っています。作ることだけはどんな事があっても絶対に止めたくない。僕も仕事がほとんど飛んでしまいましたが、この逆境のなかでも、できることをやっていくしかない。そしてその姿勢を同じく苦しい状況に置かれている海外の友達や生徒に見せたいと思っています。

渡邊 今後も様々な問題が起こると思いますし、推し量れません。しかし同時に一個人としては作曲したい、何か作りたいという衝動に突き動かされています。