過去、そして未来へ――冬の物語としての『映画 ハイ☆スピード!―Free! Starting Days―』


『ヱクリヲvol.1』に『今を彩って生きる―「Free!」、終わらない物語―』という論考を掲載していて、それとこの文章は繋がるので、興味があればぜひ読んでみてください。

 

 

 ――今年もまた、夏が始まる。

 2015年の夏、私は違和感を抱えていた。夏を迎える上で何かが足りない。充実度としては例年と変わらずドタバタ右往左往しながらも充実している。元々夏はあまり好きではないが、夏が終わる寂しさは毎年感じている――つまり夏の最中は気分的に何かが満たされていた。しかし今年は何かが足りない。そう考えていて、ひとつ、頭に浮かんだものがある。今年の夏は『Free!』の放映がないのだ。

  『Free!』とは、2013年7-9月に1期、2014年7-9月に2期(『Free!―Eternal Summer―』)が放送されたテレビアニメ(以下、テレビ版)である。鳥取県の高校の水泳部を舞台に、1期は過去の思い出、2期は進路など未来について男子高校生たちが悩みながら成長する物語である。2015年はもうアニメシリーズが制作されなくなり、過去編である劇場版の公開が冬に決定しているという状況であった。この映画を見るまでは、2015年の夏は始まれない。『Free!』と共に生きてしまっている感覚を持つ私は、そんなことを考えながら冬を待っていた。

 そして12月5日、晴れて『映画 ハイ☆スピード!―Free! Starting Days―』が公開された。

 『映画 ハイ☆スピード!―Free! Starting Days―』(以下、劇場版)は、『Free!』の主人公である遙が中学1年生の4-7月辺りが描かれている。テレビ版で描かれた小学校卒業直前の真琴・渚・凛・遙での「最高の」メドレーリレーを忘れられない遙と、寄り添う真琴、中学校で知り合った郁弥・旭が新たなチームになる瞬間を巡る物語だ。

 映画のキャッチコピーには「最高の仲間と最高の瞬間は、一つとは限らない」とあり、夏の物語らしく「最高」に向かっての爽やかな物語だと予想していた。いや、予想としては違わなかった。たしかに内容としてはキラキラして夏らしい爽やかな物語であったのだ。しかし、観た感想として、私は大きな切なさを抱いたのである。

 劇中で遙が小学校でのリレーが忘れられず、凛が留学していていない寂しさを抱いて迷っている時に、旭が「昔のチームも最高だったけど、今度のチームも最高にするんだ!」という旨を語る。そして最後のリレーでは優勝もする。ここで真琴・郁弥・旭・遙は「最高のチーム」になったようにも見える。しかし、テレビ版―遙の未来―を知っている私にとっては、「それが最高ではない」ことがはっきりとわかってしまうのだ。テレビ版ではこの中学校でのリレーは語られずに、遙は小学校でのリレーをまた引きずっている。加えて、劇場版の時間軸の約半年後(中学1年生の1月)に、遙は水泳を辞めるのである。主人公が主題である水泳から逃げるという、この物語にとって冬の期間が訪れるのだ。遙にとって中学校でのこのリレーはなんてことないものであった。こんなに良いチームなのに。こんなに楽しそうなのに。その切なさがこう告げる、劇場版は長い長い冬の始まりの物語である――。

 しかし、遙はテレビ版(劇場版から4-5年後)で報われる。というのも、1期では真琴・渚・凛・遙で、そして2期では真琴・渚・怜(高校から仲間に)・遙で小学校の「最高」を見事に更新し、迷いを払拭し、遙は凛と共に競泳選手になるという未来に進んでいくのである。水泳の指導者になりたい真琴や他の登場人物も、それぞれの未来に向かっていく。それは「来年も再来年も、生きてる限り、夏は何度でもやってくる 最後の夏なんて存在しない!」というセリフに象徴されるように、生きている限り「最高」を更新し続ける――〈エターナルサマー〉だ。『Free!』の「夏」にはそのような感覚が込められているのではないか。それは「今が最高!」と言って解散していった某アイドルグループとは正反対の生き方である。

 「Starting Days」は「Eternal Summer」に至るまでの「始まりの物語」である。それは季節的には夏を描きつつも、『Free!』という物語からすれば、たしかに冬の時代の始まりの物語である。12月に公開されたことで、そんなことをひしひしと感じることができた。私が夏に感じた物足りなさは、単に(『ヱクリヲvol.1』に書いたような)「物語の放映がなくても物語は私に寄り添っている」という感覚を忘れていただけであった。遙たちは今もどこかに「生きて」いる。2015年(たぶん23歳)の夏もどこかで泳ぎ、夏を更新していたのだろう。

 『Free!』においてもそうなのだが、今やテレビシリーズで成功すると、完結編として劇場版が制作されることはアニメビジネスにおいては当然の流れとなっている。そして劇場で完結編を観た観客は、テレビ版をまた見返したくなる(劇場版から入った観客はテレビ版も知りたくなる)だろう。つまり一般的な作品では、完結編である劇場版から過去を描いたテレビ版へと目を向けるという〈未来→過去〉ベクトルになる。しかし、過去を乗り越えて今を更新していき、私たちの生きる現実と密接な物語である『Free!』は、そうではない手法を取った。過去編である『映画 ハイ☆スピード!―Free! Starting Days―』を見たことで、観客はその続きであり未来を描いたテレビ版『Free!』を見たくなる。そこには、長い長い冬を超え、未来に向かって羽ばたいていく彼らの姿があるからだ。『Free!』という作品には、今を生きる私たちに対して〈過去→未来〉ベクトルが、力強く作用しているのだ。