定点観測としての映像――『米崎町のりんご農家の記録』の場合
もちろん、たったひとつだけの細部を取り上げても、それを含んだ映像全体が「作品」であることの証明にはならない。しかし、ここで検討した二つのショットは、単に視覚的な遊戯としてこの場面だけで完結しているわけではなく、他の場面の他のショットと有機的に連関しあっているのである。
マットのショット【図2、3】は、小森たちが二度目にりんご農家を訪れたときのものである。これに先立って、この作品には一度目にこの場所を訪れたときに同じりんご畑を撮影したショットが含まれている【図4、5】。
図4、5のショットでは、洗濯物の奥に見えるりんご畑に、津波のもたらした瓦礫が散乱している様子を映し出している。作品のなかには、ボランティアの人々がその瓦礫を撤去する場面も収められている。つまり、物干竿を手前に置いたショットには、気の利いたエスタブリッシング・ショット(状況設定ショット)としての役割だけでなく、時間経過とその間の人々の活動の結果を示す機能も託されているのである。
同じ対象を撮影し、その差異を明らかにする技術をここでは「定点観測」と呼ぶことにしたい。小森の作品は、この点において小津にもっとも接近する(同時に、これは瀬尾がボランティア活動の一環として行っていた写真による被災地の「定点観測」と通じるものでもある)。
映像による定点観測とはいかなるものなのか。具体的な例を示しておこう。次の二つの画像は小津の『東京物語』(1953年)の冒頭と終盤にあらわれるショットである【図6、7】。東京旅行の支度に勤しむ老夫婦の姿を捉えた冒頭のショットに対して、終盤ではほぼ同じ構図内に一人分の空白を作り出すことで、妻に先立たれた老父の孤独を視覚的に表現している。同じ対象を同じ構図で捉えているからこそ、その差異は一目のもとに了解されるのである(それでいて決して押しつけがましくないのは小津の至芸と言うほかない)。
松竹の監督出身で、のちに直木賞作家となった高橋治は、映画監督の篠田正浩と小津映画のロー・ポジション(低いカメラ位置)について語った際、篠田の口から「定点観測」という言葉が発せられたことを書き留めている。「なにを観測する」のかという高橋の問いに対して、篠田は「世のうつろい、人のうつろい」と答える(高橋 112)。
小森のカメラは、変わりゆく現実を虚心に捉えている。津波の被害を受けた地域が復興に向かっていく過程で、風景が変わり、そこで生活する人々の暮らしや心情も移り変わっていく。もちろん、小津の場合は物語映画のなかで作為的にその「うつろい」を描き出そうとしているが、ドキュメンタリー映画の性質上、作為の度合いは相対的に少なくなる。構図にしても、小津ほど厳格にこだわる必要はない(部分的にそのような厳密さを採用すれば、むしろ全体のなかでその場面が浮いてしまうだろう)。小森は彼女なりのやり方で、ドキュメンタリー映画のなかにさりげなく定点観測の思想を持ち込んでいるのである。
小津と小森に共通する「定点観測」の思想は、具体的な撮影対象にも求めることができる。先ほど引用したエッセイで、小森は洗濯という日常的な行為に触れている。エッセイの冒頭、小森は、バイト先の蕎麦屋の店長が「洗濯物が乾くかどうかが心配」で「いつも空の様子を気にしている」ことを報告し、それを小津映画の話題へとつなげている。
映画の中ではあの空も山も洗濯物も、いつだっていいお天気の中にあった。なぜだかわからないけど、私が毎日見ている風景ととてもよく似ていて、身近な出来事のように映画を感じていた。(小森 28)
小津映画についてのこの記述は、ほとんど小森自身の作品についての説明のように見えてくる。小森は小津映画の空について、さらに次のようにも述べる。
ここではないどこか遠くへ向けられた眼差しの先に、小津は空を描いていた。その空は映画に登場する人物一人一人を語ると同時に、私たち誰もが知っている「空」そのものを語っていた。その空の在り方は、小津が教えてくれた映画の在り方でもあった。(小森 30)
小森が洗濯物を写したショットの背景にも空が広がっている。彼女が撮影した空の下、干された二つのマットの向こうには、津波に押し流されたりんご畑が広がる【図2、3】。りんご農家の住居を背にして撮られた同様のショットは、作品内の他の箇所にも挿入されており【図4、5】、異なる時期に撮影されたこれらのショットは互いに目配せを交わしあって存在している。
しかし、小津の映画とは違って、小森のカメラが捉える空はいつも晴れているわけではない。物干竿に掛けられた洗濯物には、そこで現実に暮らす人々の日々の生活が反映されている。人は晴れの日だけでなく、雨の日や曇りの日、霧の出ている日にも生きている。ときには、大きな地震が起こって、津波にすべてを押し流されてしまうこともあるだろう。けれども、人々の生活はそのあとも続いていく。
このかつてのりんご畑は作品のなかでこれ以降も何度か映し出される。以前と変わらない空と海と山を背景に置き、変わっていくものをそれらと対照させているのである。図8で示したショットには洗濯物は映っていないが、瓦礫が撤去され、整備された畑にビニールハウスが建てられていることがわかる(くわえて、その手前に設えられたささやかな花壇には花が植えられている)。しかし、そこに再びりんごの木が植えられることはない(りんご畑は家の裏手の高台にしか残っていない【図9】。その理由はあまりに明らかだろう)。小森のカメラは、的確にその位置をずらしていきながら、同じ場所を写し続ける。この定点観測によって、連続する日常のなかに横たわる「断絶」を捉えているのである。
小森は言う。「個人が今現在を生きるという経験から目に焼き付けていくものと、誰かが向けたカメラの中にしか映らないものとの間に、映画があってほしい」(小森 30)と。小森が撮影したりんご畑の映像は、そこに暮らす人々が毎日目にしているものである。そうであるからこそ、そのあまりに緩やかな変化を認識することは難しい。そこで暮らす人々は、日々の変化が少しずつ積み重ねられた先に、いつのまにかまったく違う様相を呈している周囲の光景に気づかないのではないか。『米崎町のりんご農家の記録』は、異なる時期に撮った同一の対象を繰り返し提示することでその変化を克明に記録している。彼女の映像には、それを見ることを通してはじめて認識できるような現実が確かに映し出されているのだ。小森が差し出したのは、そのように見る人の認識を拡張させる力を持った「記録」なのである4。
空と海と大地のあいだに
空を捉えることに対する小森のこだわりは、新作の『空に聞く』(2018年)にも受け継がれている(そのことは何よりもまずタイトルにあらわれている)。この作品は、陸前高田市で災害FMのラジオパーソナリティーを務めていた阿部裕美さんの活動とインタビューを中心に構成されている。映画の序盤にはこのタイトルの由来となったと思しき会話が収められている。阿部さんが86歳になるという被災者のおじいちゃんに「今の楽しみはなんですか?」と問いかけると、彼は「朝起きて、空を見る」ことだと答える。「じゃあ晴れだ、いい日だな。じゃあ、どんなドラマがあんべな。誰が来んべな。娘は何時に出はんべな」。その日の空模様から、そういった一連の想像を膨らませることができるというのである5。
視覚的な面ではどうだろうか。『空に聞く』には、被災地の整地作業をロング・ショットで捉えた美しいショットが何度か挿入されている。たとえば図10、11がそうであるが、じっさいのところ、これらの画面の半分以上を占めているのは空である6。時事刻々と表情を変えていく空の下、相対的に変化の少ない山の稜線に縁どられて急速に整備が進んでいく土地のありようが撮影されている。次元を異にする三つの営みを同時に映し出しているところに、あるいはこのショットの力強さの秘密があるのかもしれない。
空という撮影対象は、ある種、特権的な位置を占めている。というのは、空はおよそどのような風景であれ、ロング・ショットで捉えればその画面内に映り込んでしまうからだ。図12は『あいだのことば』に見られるロング・ショットである。このショットもまた、画面の半分以上を占める空の下、中景に山並みを置きつつ、復興作業を進める重機の活動を収めている。同様の構成要素から成り立っているとはいえ、『空に聞く』と『あいだのことば』から引用した二つのショットは、当然ながら別々の場所を別々の時期に撮影したものである。にもかかわらず、この二つのショットは似ている。小森の作品にはこの種の空が頻出する【図13、14】。小森の描く風景は、時間も空間も作品も超えたところで別々に進んでいく復興のありようを、普遍的に記録しているような印象を受ける。同じ作品内で描かれる同じ場所の変化を捉えることを「定点観測」と呼ぶならば、異なる作品の異なる場所同士を結びつけるこのような力は「擬似的な定点観測」とでも整理できるだろうか7。
「定点観測」のテーマは『空に聞く』でも独自の形で展開されていく。劇中には、阿部さんがお墓に詣るシーンがある(彼女は震災による津波で両親を亡くしている)。その際、高台にある墓地から眼下に広がる景色を眺めて、阿部さんは「毎月、変わってるんだよねえ」「あとから、ああ、ここ毎月来るんだから毎月写真撮っとけばよかったって……遅いよねえ」と言う。ここで「毎月」と言っているのは、もちろん毎月11日のことを指す。 阿部さんは、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で黙祷放送を毎月行っている。ディレクターから「どうして黙祷放送を毎回、生でやるんですか? 同じ文章を読むんだったら、録音しておいてもいいじゃないですか。どうしてそれをわざわざ生でやるんですか?」と聞かれた彼女は、思わず「馬鹿じゃないの」と言い返してしまったという。「毎月、毎月の11日っていうのは、やっぱり、先月の11日と今月の11日では違うわけじゃない? それぞれの人の気持ちだって違うし、その一ヶ月の間に、もしかしたらば、ご遺体が発見されてご家族のところへ戻った方があるかもしれないし」と言って「11日の大切さ」を強調する。ここでは毎月の11日という日付がひとつの里程標として機能している。 阿部さんが行なっているのは、つまりはラジオによる「定点観測」である。映画と異なり、ラジオでは映像を使うことができない。もっぱらパーソナリティの声で表現することを求められるメディアである。阿部さん自身の気持ちも、当然、一ヶ月前と一ヶ月後では変化しているだろう。彼女が録音音声の使い回しを忌避するのは、その変化を声によって定点観測的に記録していくためなのである(本作のタイトルに「聞く」という動詞が含まれているゆえんだろう)。自分の声で表現するラジオ・パーソナリティを撮影したこの映画においては、映像と音響をどのように組み合わせて提示するかにも工夫が凝らされており、ここからも撮影対象が映画作りに影響を及ぼしていることがうかがえる(とりわけ、エンディング・クレジットが表示されていく画面とそこで聞こえてくる音の、余韻をたたえた提示の仕方は見事の一言に尽きる)。
「あいだ」を記録する
ここまでの議論では、小津安二郎を参照しつつ、『米崎町のりんご農家の記録』の映像的特徴を「定点観測」という言葉で名指してきた(そして、それが新作『空に聞く』にも受け継がれていることを指摘した)。この特徴は、『りんご農家』とほぼ同じ時期に撮影された『あいだのことば』にも見られるものである。この節では、まず『あいだのことば』の卓抜な構造を明らかにし、次の節で作中に見られる定点観測の具体例を取り上げていくことにしよう。
『あいだのことば』は宮城県石巻市と岩手県陸前高田市に住む主として三人の被災者を一年近くにわたって追いつづけたドキュメンタリー作品である。小森は、友人の瀬尾なつみとともに東京と被災地を往復する生活を続け、カメラを回して記録した(そのため、作品内にはほとんど常に瀬尾の姿が映っている)。小森のコメントによれば、通うたびに「少しずつ、またはがらりと姿を変えて」いく被災地と被災者の現実をできるだけありのままの形で記録することを目指したという8。「あいだのことば」というタイトルには、彼女たちが被災地に通う「あいだ」に捉えられた「ことば」の記録という含意がある。
三人の被災者たちの映像は、作品のなかでは次のように並べられている。石巻市に住むおばさんとおじいちゃん、陸前高田市に住むおばあちゃんのシーンをそれぞれ便宜的に石巻市A、石巻市B、陸前高田市と表記している(ただし、同じシーンとしてくくったもののなかには、明らかに途中で日付が変わっているものもあり、作品内のすべての映像がここに挙げたいずれかの日に撮られているわけではなさそうである)。
0. オープニング・シーン(〜1分18秒)
1. 4月8日 石巻市A–1(1分18秒〜7分2秒)
2. 4月8日 石巻市B–1(7分2秒〜12分19秒)
3. 4月6日 陸前高田市1(12分19秒〜16分16秒)
4. 5月19日 石巻市B–2(16分16秒〜27分57秒)
5. 5月21日 陸前高田市2(27分57秒〜32分52秒)
6. 9月5日 石巻市A–2(32分52秒〜42分40秒)
7. 9月11日 陸前高田市3(42分40秒〜46分28秒)
8. 9月18日 石巻市B–3(46分28秒〜51分23秒)
9. 12月6日 陸前高田市4(51分23秒〜53分51秒)
10. 12月4日 石巻市A–3(53分51秒〜59分57秒)
11. 1月20日 陸前高田市5(59分57秒〜)
ここから明らかなように、小森は撮影時期の近さに基づいていくつかのシーンを一つのブロックにまとめ、そのブロックの総体として作品を構築している。このときシーンとシーンのつながりは、時間の流れによって担保されている。『阿賀に生きる』(1992年)などの作品で知られる映画監督の佐藤真は、ドキュメンタリーにおいて「ドラマツルギーが成り立ついちばんの要因は、映画のなかに〈時間〉が映る」ことであると述べている(63)9 。『あいだのことば』の小森は、もっぱらこの格率に従って作品を組み立てている。それは、自分たちが被災地に通う「あいだ」の時間をこそ捉えようとした小森の目的と一致する方法論でもあるだろう。
『あいだのことば』のシーン配列は、その方法論を反映したものとなっている。たとえば、それぞれの土地に暮らす被災者のシーンを連続してつなげ、独立した三つのシークェンスに仕立てることもできたはずだが、そのようにはなっていない。三種類のシーンは、原則として時系列に沿いながらその都度組み合わせられているのである。
なぜ三つの土地の被災者のシーンを交互に組み合わせる方法が選択されているのだろうか。それによって「あいだ」を作り出しているというのが一つの考え方である。小森と瀬尾はやがて陸前高田市に移り住むことになるが、この作品の撮影時点では被災地と東京を往復していた。撮影日からも明らかなように、同じ被災者を捉えたあるシーンと次のシーンとのあいだには時間的な隔たりがある。そのあいだに別の被災者のシーンを入れ込むことで、この時間的な隔たりの表現に成功しているのである。
たとえば石巻市に住むおじいちゃんを撮影した場面を見てみよう。このおじいちゃんが登場するシーンは全部で三回あり、撮影日はそれぞれ2011年の4月8日(石巻市B–1)、5月19日(石巻市B–2)、9月18日(石巻市B–3)となっている。作品のなかでは、B–1とB–2のあいだに陸前高田市1が挿入され、B–2 とB–3のあいだには陸前高田市2、石巻市A–2、陸前高田市3と実に三つのシーンが挿入されている。挿入されるシーンの多寡は時間的な隔たりの大きさにある程度対応していると考えられる。B–1(4月8日)とB–2(5月19日)のあいだが一ヶ月強であるのに対して、B–2(5月19日)とB–3(9月18日)のあいだは四ヶ月近くも空いている。あいだに差し挟むシーンの数によってその違いを表現しているのである。
もちろん、ここで表現されている時間的隔たりは、厳密な「記録」を目指そうとしているのではなく、あくまで作品上の効果を狙って「表現」されたものである。そうでなければ4月6日に撮影した陸前高田市のシーンを、4月8日に撮影した石巻市の二つのシーンのあとに置いている意味がわからないだろう。もしもこの順序をじっさいの撮影日にしたがって陸前高田市1→石巻市A–1→石巻市B–1と配列した場合、次に来るのが石巻市B–2となって同じ撮影地のシーンが連続してしまう。あるいはそれを避けるために石巻市A–1と石巻市B–1の順序を逆にすると、今度はA–1とA–2のあいだに四つあるシーンが二つに減ることになり、二つのシーンにあるべき「あいだ」の感覚が著しく変わることになる。また、計三回ずつのシーンが含まれる石巻市Aと石巻市Bに対して、五回のシーンが存在する陸前高田市の場面は常にあいだに別のシーンを一つ挟んで配列されている。これらの点において現行の編集順序はきわめて理に適っているのである。
(次ページへ続く)