映像を接ぎ木する――『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』にみる小森はるかの原点


〈註〉
1 三浦哲哉「記録すること、ものをつくること、その原点」、『息の跡』公式プログラム、13-4頁。
2 ここで問題になってくるのは「記録・報告」と「表現・作品」の違いである。もちろん、記録映画という言い方が体現しているように、記録することとそれが作品として成立するということは必ずしも矛盾するものではない。しかし、小森の場合、そもそも震災後に東北を訪れたのはボランティア活動を行うためであり、「映像を撮るということについては、ある時期までかなりのためらいがあった」(鷲田 46)という。このあたりの事情について、小森と瀬尾から直接話を聞いた鷲田清一は次のように伝えている。

 二〇一一年四月、八戸から宮古へ移動して、そこである婦人から、親のいる宮古の北の海辺の小さな集落が全滅したという話を聞いたが、様子がわからないので、「カメラもっているなら代わりに見てきてほしい」、そして「見たくないけど撮っておいて」と頼まれる。二人は宮古まで行ったが、「もう一回ぜんぶ撮ろう」と起点の八戸に戻る。そして被災状況を記録しながら仙台まで南下する。次に五月に行ったときは、一回目に会った人にまた会いに行くといった回り方をする。(46)

 この記述からもわかるように、小森が撮影を行ったのは作品として一般向けに公開するためではなく、あくまで撮影した映像を被災地の人々に見せるためであった。それを裏付けるように、彼女たちの当時の共同ブログ(「小森はるか・瀬尾なつみ 東北移動報告」)には、「道路状況」「交通状況」「宿状況」「ガソリン状況」「トイレ状況」といった実際的な情報が記されているだけで、被災地の映像や写真は一切使われていない。
 この態度は、撮りためた映像を結果として一本の「作品」に仕立て上げるまで連続している。『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』は、そのあとにつづく彼女の作品のように広く一般に公開されたのではなく、せんだいメディアテークが抱えるプロジェクトのひとつ「3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)」が主催する「星空と路」という展示企画の一環として上映されている(2012年3月10日)。この点に関して、筆者は、小森と交流のある映画研究者の五十嵐拓也から個人的に手紙を受け取ったことがある。五十嵐の手紙によれば、ここで映像が発表された理由として「『作品を見せる』というより、撮られた映像を使って来ている人達に報告し、さらにフィードバックをもらって活動に活かし直す」という狙いがあり、上映に活動報告会が付随しているのもそのためであるという。ここでいう「活動」とは、表現者としての活動ではなく、ボランティアをはじめとする被災地での活動のことである。写真家でもある瀬尾夏美が撮った被災地の写真は、「定点観測写真」としてわすれン!のサイトで公開されているが、こちらも自身の表現活動のためというより、被災地の変化を写真によって記録し、提示することに重きが置かれている。こうした背景のもとで制作された小森の二つの映像を安易に「作品」と呼んでよいかどうか、また一般に公開されている映像作品と同じようなスタンスで分析を施すことが適切かどうか、にわかには決定しがたい問題である。
3 ここで二人の関係と、彼女たちが東北を訪れることになるまでの経緯を簡単に確認しておこう。小森と瀬尾は、東京藝術大学・先端芸術表現科のクラスメートである。東日本大震災が起こったとき、二人は藝大の四年生で、すでに大学院への進学も決まり、あとは卒業式を残すのみという状況にあった。震災後、家の風呂が壊れた瀬尾が小森のアパートに風呂を借りに行き、一緒に震災のニュースを見ながら、ボランティアに行くことを決めたのだという。二人はレンタカーを借りて、3月30日に東京を出発し、それから被災地入りしてボランティア活動を始めた(鷲田 44)。じっさい、『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』を見ると、ほとんどの場面に瀬尾が写り込んでおり、二人が行動をともにしていたことがわかる。わすれン!のサイトに掲載されている作品情報では、いずれの作品も監督には小森の名前のみがクレジットされている。もちろん、これは作品制作の中核をなす撮影と編集を小森の責任で行っているからこそのクレジットであり、その意味で作品の作者を小森に帰すことに疑いはないが、のちに二人が協働して作品を制作する未来を準備していたということは言えるだろう。
4 先ほど註1で棚上げしていた「記録」と「表現」の問題をここで改めて整理しておこう。小森は2011年12月に京都大学で行った報告会の際に「伝わらない」ことを経験したという。震災直後の混乱を経て、各人のなかにそれぞれの震災のイメージができあがっており、それが小森や瀬尾の言葉を阻むようになってしまった。また、写真を見せてもやはり伝わらない。これを機に、小森は「じぶんたちは表現にかかわっていて、いまつくらないといけないんだ」ということを痛感し、「「報告」という言葉ではもうだめで、もう一個アップして「表現」にまでもち上げないと、たぶん見てもらえないし、伝わらないだろう」という思いを持つに至る(鷲田 54)。小森の活動における「記録」と「表現」をめぐって、鷲田はまず次のような一般論を述べて整理を試みている。

「記録」といえばふつう、「表現」とは違って、何かを伝えるために個人的な思いを消去するというふうに考えられる。「表現」は、人が生活しているまわりにあるちょっとしたざわめきとかざわつきとか空気に感応するところがあって、記録のめざす鮮明さとは異なる入射角をもっているようにふつうは思われている。(鷲田 55)

結論から言えば、『米崎町のりんご農家の記録』は「記録」「報告」と「表現」の二分法的な枠組みで捉えるべき作品ではない。この作品は、ここで鷲田の言う「記録」と「表現」の両方の性質を持ち合わせているからである。小森の映像からは個人的な思いがほとんど拭い取られている。この点では記録的と言えそうだ。撮影した映像を淡々と提示していくことを基本としており、テキストによる説明は冒頭にわずかに示されるのみで、ナレーションによる説明等も一切ない。それでいながら、そこには撮影者が小森であることが色濃く映し出されている。それは被写体がカメラに向ける眼差しや、カメラ越しに小森に話しかける言葉にまずはあらわれているだろう。また、ここで引いた鷲田の言葉のなかで肝となるのは、表現が「記録のめざす鮮明さとは異なる入射角をもっている」と想定している点である。小森の映像は、洗濯物とりんご畑の定点観測的なショットで確認したように、この不鮮明さを逆手にとっている。不鮮明な部分を持った「表現」であるからこそ伝わる境地があるということを、確かに指し示しているのである。この点において、『米崎町のりんご農家の記録』は記録でありかつまた表現であるという性質を獲得するに至っている。
 同時に、この不鮮明さ、あるいは曖昧さと言い換えられるような性質は、言葉や写真ではなく、映像であることによってはじめて可能になっている種類のものでもある。たとえば、時間の経過とそれに伴う復興の進行状況は、テキストや写真で直接的にその変化を示して説明することもできる。しかし、小森自身が報告会を通して痛感したように、それだけでは「伝わらない」ことがあるのだ。
5 また、このおじいちゃんは、避難所でつけていたという日記を見せてくれるが、画面上に映し出されるびっしりと書き込まれたページは「日々の営みを丁寧に記録すること」という小森の映像作品のテーマと響き合っている。
6 ここで展開している一連の議論を書き上げたあとに、異なる編集が施された最新ヴァージョンの『空に聞く』を見る機会を得た。その最新版の『空に聞く』からは、ここで引用した図10のショットが削除され、図11のショットが新たに挿入されている(二つのショットは同じシーン内の近しい位置にあらわれるが、これら以外にも採用されているショットに変更があり、厳密に同じタイミングで差し替えられているわけではない)。このことは何を意味しているだろうか。批評家の独りよがりな解釈など、所詮はちょっとした編集の違いですぐさまご破算になってしまうような虚論に過ぎないという厳しい現実だろうか。私はそうは考えていない。この点については、本文の議論に区切りがついたあとに、次の註7で考えてみたい。
7 直前の註6で述べたように、図10として引用した『空に聞く』のショットは最新版から削除されている。この事態は何を意味するのか。本稿の議論の文脈に合わせてあえて比喩的に言えば、小森はるかの作品がさながら生きた植物のように常に「成長」する可能性に開かれているということである(「成長」が多分に偏った印象を与えかねない表現ならば単に「変化」と言ってもいい)。それは同時に、他の作品との接合面が不断に変化しうることを意味する。つまり、編集を変えることで、それぞれの作品はそれまでとは別の仕方でつながるようになるのだ。むしろ、この可変性にこそ小森作品の真骨頂があるだろう。あるショットを足したり引いたりすることは(ごくわずかな細部の変更は)、その作品全体の見え方を変えるのみならず、かつて撮られた過去の作品とこれから撮られるであろう未来の作品の読み方の布置を変えかねないほどのインパクトを持つ。このような事態が生じるのは、小森の作品が緊密な構成を有しているからにほかならない(多くの場合、ショットが多少入れ替わったところで、それほど重要な意味の違いは生じない)。図10のショットが削除された代わりに、最新版の『空に聞く』に挿入された図11は(前述の通り、二つのショットは厳密に差し替えられているわけではない)、いずれも整地作業をロング・ショットで撮影したものである。一見したところの印象は異なるが、ロング・ショットで工事風景を捉えたものであること、(後者は雲と霧に覆われてはいるが)後景に空と山並みが見えていることなど、二つのショットには共通する要素が含まれており、最新版に空のショットのヴァリアントが追加されたことで、むしろ「擬似的な定点観測」という読みは強化されているように思われる。両者の決定的な違いは、捉えられている空の「表情」が異なっている点に求められるだろう。図11の空のショット(最新版に追加された方)があらわれるのは、映画終盤に収められている阿部さんのインタビューの場面である。「ちょっと前を見るようになった」「ちょっと未来に向かって歩き出した」と語っているさなかにこのショットが挿入されている。もちろん、それは過去を完全に乗り越えたというようなわかりやすいものではない。その発言がたたえている淡いニュアンスに、この雲と霧に覆われた風景はふさわしく寄り添っているように感じられた(ちなみにこのシーンには「土のしたの町の思い出話を語ってるって、何か不思議だなあと思って」という、過去の作品『波のした、土のうえ』を連想させるような阿部さんの発言が収められている[阿部さんはこの作品にも出演している])。
8 【DVD収録作品紹介】あいだのことば 【映像制作者コメント】(最終閲覧日2019年9月30日)、https://recorder311.smt.jp/movie/26096/
9 ここで佐藤が「映画のなかに〈時間〉が映る」と言っているのは、撮影期間を通して(そこには必然的に時間的経過が生じる)、被写体と撮影者のうちに変化が起こることを指しているが、小森の作品には文字通り「時間」が映る瞬間がある。その最たるものがカレンダーを捉えたショットである【図24、25】。小森は撮影日時を字幕で挿入することをほとんどせず、その代わりにカレンダーを含むショットを劇中に忍び込ませている。これによって、鑑賞者はそれが何年の何月に撮られたものであるかを知ることができる。記録内容がそのまま字幕やナレーションの機能を果たしているのである。

【図24】『米崎町のりんご農家の記録』(15分35秒)

【図25】『米崎町のりんご農家の記録』(24分11秒)

10 ここでは深入りしないでおくが、小森の映画では、卓上に置かれた果物が重要な情報を発している。『あいだのことば』の石巻市Aのパートで軽く触れたように、そこに置かれている果物によって鑑賞者はその映像が撮られた季節を知ることができる。石巻市B-2の場面には、その場にあった果物(みかんとメロン)をめぐっておじいちゃんと小森・瀬尾とのあいだでユーモラスなやりとりが交わされているが(「メロンは大丈夫! 高いから」「みんなで食べてください」)、まさにそのように一見すると重要でないものが突然、画面の中心に躍り出るような事態こそ小津的であるとも言える。

【参考文献】
小森はるか「日常の先で眼差しを交わす」、『ユリイカ――総特集 小津安二郎』、2013年11月臨時増刊号、青土社、28-31頁。
佐藤真『ドキュメンタリーの修辞学』、みすず書房、2006年、63頁。
高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』、岩波現代文庫、2010年。
デヴィッド・ボードウェル『小津安二郎 映画の詩学』、杉山昭夫訳、青土社、2003年。
鷲田清一『素手のふるまい――アートがさぐる〈未知の社会性〉』、朝日新聞出版、2016年、33-66頁。
『東京物語』小津安二郎監督、松竹、1953年(DVD、松竹、2013年)。
『あいだのことば』小森はるか監督、2012年、3月11日をわすれないためにセンター(せんだいメディアテーク)、DVD第1弾所収。
『米崎町のりんご農家の記録』小森はるか監督、2013年、3月11日をわすれないためにセンター(せんだいメディアテーク)、DVD第2弾所収。
『波のした、土のうえ』小森はるか+瀬尾夏美制作、2014年。
『息の跡』公式プログラム、カサマフィルム、小森はるか、東風、2016年。
『空に聞く』小森はるか監督、2018年(愛知芸術文化センター・愛知県美術館オリジナル映像作品)。

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