定点観測としての映像――『あいだのことば』の場合
このような精妙な配列によって生み出された映画的な「あいだ」の感覚は、単に時間の流れを表現するだけでなく、同時に物語の推進力になっている。記録寄りのドキュメンタリー作品でありながらも、本作には「復興へ向けた被災地と被災者の変化」とでも呼ぶべき一貫した物語が底流している。じっさいに、それはどのようなかたちで作品のうちに結実しているのだろうか。
石巻市Aのパートでは、A–1のシーンの冒頭でおばさんがカレーを作る様子を捉えている。食事はこのパートの通奏低音をなす重要な要素である。ここではすでに食料事情はかなりの程度改善しており、食べるものに困っていないことが強調される。その意味では震災から日常へと復帰していく過程にあるのだが、続く会話の場面でその印象は覆されることになる。おばさんは、震災発生の数時間前に会話を交わした近所の人が津波に呑まれ、その人の遺体が今日(4月8日)になってようやく見つかったという生々しい話を語る。つまり、この時点で震災はまだ被災者の日常と地続きなのである。窓の外には瓦礫の山とその上に乗り上げた自動車が見えているが、津波が押し寄せた際には、その手前に見える木に登って助かった人々がいたのだという【図15】。
石巻市A–2(9月5日)のシーンでは、大幅に改装を施された室内を強調するとともに、再び部分的に食事の様子を提示する。夕食には自家製のイチジクが供され、被災者の食卓に彩りが戻っていることが示される。また、おばさんが配給の手伝いで福島産のナシを配る場面では、配給を受け取りに訪れる人の数が随分少なくなったと言っている(人々が自力で食料を手に入れられるようになったことを意味する)。このA–2のシーンでは、A-1で提示された窓の外の木も撮影されているが、津波で塩水をかぶったにもかかわらず、裸木だった樹木は復興する被災地を象徴するかのように青々と葉を茂らせている(木のそばに積み上がっていた瓦礫とそこに乗り上げていた自動車も片付けられており、根元に植物が植えられている)【図16】。
同様の事態は石巻市Bおよび陸前高田市のパートでも描かれており、特に作品の後半で着実に復興へと向かうそれぞれのパートの内容がさりげなく対応させられ、「復興」という物語を強化している。
石巻市B-1のシーンでは、津波の被害を受けた自宅の片付けをするおじいちゃんの作業を中心に撮影している(小森や瀬尾もその手伝いをしている)。このとき、家のなかやその周囲にはモノが溢れている。B-2のシーンでは、新居に移ったおじいちゃんのもとを小森と瀬尾が訪ねて会話を交わす。おじいちゃんの新居を出た小森と瀬尾は、B-1のシーンで片付けを手伝った彼の元の家の様子を見に行く。溢れていたモノはあらかた片付けられ(彼女たちは、前回訪ねた際にあったモノがわずかに残っていることを確認する)、家のなかはガランとしている【図17】。さらに、B-3のシーンでは、家屋が解体され、更地になったさまが映し出される【図18】。家のありようの変化によって、三つのシーンの時間経過が示されると同時に、そのあいだに起こったであろう出来事を、作品を見る者に想像させる作りになっているのである。
陸前高田市のパートでは、最初のシーンで撮影した場所【図19】を、最後のシーン【図20】で再び撮影している。この二つのショットに映し出されているのが同じ場所であることは、後景に見える山の稜線から知れるだろう(地面に散乱していた瓦礫やゴミは綺麗に片付けられている)。
小森はこうした被災地の変化を定点観測的に提示しつつも、もちろん、それを手放しで喜ぶほどナイーヴな観察者ではない。震災から時間が経つほどにむしろいや増す被災者の心の傷を、復興が進む被災地の様子に重ねあわせて丹念に掬いあげている。
ドキュメンタリー映画のキメラ的身体
ここまでは、小森の二つの映像(『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』)がいかに「作品」として自律しているかという観点から論じてきた。それを踏まえて、最後に、二つの中篇が癒着してより高次の「作品」を織りなしているさまを見ていきたい。
図21と図22は、それぞれ『あいだのことば』と『米崎町のりんご農家の記録』にあらわれるショットである。図21は、津波のあとに残った陸前高田市の一本松とその傍らに設置された地蔵を捉えたショットで、図22は接ぎ木されたりんごの苗木とその支え木を捉えたショットである(このりんご農家のある米崎町は陸前高田市に含まれている)。大きさの異なる二つの事物を並べて撮った二つのショットは、それぞれのショット内で相似形の印象をもたらすとともに、二つのショット同士もまた作品を超えて相似の関係をなしている。とりわけ、接合面に赤いテープが巻かれたりんごの苗木を指して、映像内で瀬尾が「お地蔵さんみたい」と発話している点は見逃せない。時系列がどうなっているかというと、図21が撮影されたのは2011年の12月で、図22が撮影されたのは2012年の4月頃と考えられる。つまり、瀬尾がりんごの苗木を見て「お地蔵さん」を連想したのは、同じ陸前高田市内でじっさいに眼の当たりにした地蔵の記憶があったからだと考えられる。
地理的に近しい場所で撮影しているとはいえ、時間的にも経験的にもまったく意味合いの異なる映像をそれぞれの作品内に忍びこませることで、結果として二つの作品の接合面が作り出されている。接ぎ木によって接合されたりんごの苗木の映像は、文字通り、別の作品の別のショットを接ぎ合わせる役割を果たしているのだ。
つづいて、視覚上の近似にくわえて、同じ言葉を使って作品同士が交流している例も確認しておこう。『あいだのことば』の最後のシーンでは、陸前高田市に住むおばあちゃんが津波に襲われた際の様子を語っている。このとき、津波にさらわれて亡くなった人たちの遺体があたりに散乱したという。そのことを指して「あっちこっち」という言葉を使っているが、この言葉は『米崎町のりんご農家の記録』に登場する別のおばあちゃんが口癖のように使っているものである。りんご農家のおばあちゃんの口から発せられる「あっちこっち」は、基本的には津波とは関係のない文脈であらわれる。だが、図らずもその言葉が津波を連想させてしまう場面を小森は作品内に残している。それは、りんごの摘花を行う場面である。
りんご農家の仕事と映像作家の連続性を考えるうえで、接ぎ木と並んで重要なのが摘花という作業である。花がつぼみのうちに摘み取った方がりんご樹体内の貯蔵養分の消耗が少なくて済むため、この作業は果実の品質向上や樹勢の維持に資する。中心花だけを残してその周りの側花を摘み取るのだが、素人目にそれを見分けるのは困難である。じっさい、『米崎町のりんご農家の記録』で摘花の作業を描いたシーンでも、農家のおばあちゃんがよどみなく花を摘み取っていくのに対して、瀬尾やボランティアの男性にはその区別がつかず困惑する様子が映し出されている。「取るとか取らないとかどうやったらわかるんですか?」という男性の問いに対して、おばあちゃんは「慣れればわかる」としか答えない。摘み取る花を見極めるための方法を体系的に教示することができず、説明がとっ散らかってしまう事態を指して、りんご農家のおばあちゃんは自ら「あっちこっち」先生を自称するのである。
摘花という作業は、間引きに通じるところがある。間引きは、一般に密生している農作物を芽のうちに摘み取る行為を指し、これによって、残された芽に十分な栄養がいくようにする。この言葉は、転じて口減らしのために嬰児を殺すという穏やかでない意味をあらわすこともある。農作業と人間の営みはここでも重なってくる。
二つの意味の重なりを考えるうえでポイントとなるのは、摘み取られる対象の選定がかなりの程度偶然によっている点である。もちろん、生育状況を見て摘み取る芽を判断しているのだが、それらの判断はきわめて即座に下されるため、もう一度同じ作業を繰り返したときにまったく同じように花や芽が残されるとは限らない。
このことと津波による人的被害を重ね合わせることに躊躇いを覚えないわけではない。しかしながら、津波の犠牲者にもまた、その日たまたまそこにいて、たまたまそのような行動をとったからという以上の理由は見出せないだろう。なぜ私ではなく、あの人が犠牲になったのか。それは偶然であったというほかない(理由のない偶然の死は、ときに確たる理由が存在すること以上に残酷である)
同時に、これは映像作家にそのまま跳ね返ってくる問いである。何を撮り、何を撮らないでおくべきか、または、撮影した映像のうち、何を作品に取り入れ、何を捨てるのか、それはどうしたらわかるのか。小森はるかは、それがわかるほどに映像に習熟した作家なのだろうか(もちろん、私はそうだと思っている)。彼女が自らの作品を記録表現として実り豊かなものとするためにどのように接ぎ木し、摘花を行ったのか、本稿では、その一端を示すことができたと思っている。
小森の意図がどうであれ、提示された「作品」を見る限りでは、「あっちこっち」という言葉を媒介として摘花作業と津波の被害がイメージの上で重ね合わせられ、さらにはそれを映像作品の方法論としてメタ的に利用するというアクロバットが行われている。いや、たまたま「あっちこっち」という短い言葉が二つの作品で使われているだけで、深読みしすぎではないかと訝しまれるかもしれない。しかしながら、「あっちこっち」という言葉が二つの作品をつなぐ接合面となっているのは、視覚的な面からも説明できるのである。『あいだのことば』で陸前高田市のおばあちゃんが「あっちこっち」という言葉を口にする場面では、こたつ机の上にある果物が置かれているのが見える。その果物とは、「りんご」である【図23】10。
小森がこれら二つの中篇作品を広く公開に必ずしも積極的でないとすれば、それは作品の未熟さゆえではなく、むしろ本人の意図を超えて、不気味なまでの生々しさを獲得しているからではないだろうか。
小森はるかの初期のドキュメンタリー映画は、作品の内容が形式を規定するような入れ子構造を持っている。そのような事態を可能にする研ぎ澄まされた編集の感覚はまた、作品と作品とのあいだにいくつもの接合面を用意する。もちろん、鑑賞者には相応の注意力と献身が求められるが、その分、得られる果実はより大きく甘美なものとなる。
『息の跡』や『空に聞く』を参照しながら部分的に明らかにしたように、初期の作品は小森の映像的特質の萌芽を宿しており、それはその後の作品を通してすくすくと成長している。枝葉を広げ、深く根を張りつつ若木は、地表にあっては隣に接し合う樹木と癒着し、あるいは地下にあって密かに地下茎(リゾーム)を通わせ合う機会を虎視眈々と狙っているのかもしれない。そのような特異な形態をとる植物体がゆくゆくどのような花を咲かせ実をつけるのか、期待の芽は膨らむばかりだ。(了)