Interview:チャーリー・ルッカー「NYアンダーグラウンドの叡知とその展開ーーブルックリンDIY・メリスマ歌唱・反ファシズム」


音楽創作過程とメリスマ的歌唱について

――ギターでかなり難解なことをやっているにもかかわらず、なぜ歌うキャリアをスタートさせたのでしょう? また歌と楽器の違いとはなんでしょう。

CL Extra Lifeは確かに、ギターの演奏で難解なことをたくさんしている。歌を歌うのは、楽器を演奏するのとは相当違う。多くの人間は否定するし、またシリアスな訓練を受けているヴォーカリストも否定するだろうけれども、言葉を乗せて歌うということによる違いは大きい。アートを受容する際に、言葉がその受容の中で多くの割合を占めないということはない。言葉を気にしなくても、歌詞を気にさえしなくても、言葉を扱うと、より具体性を、あるいはより抽象性を表象する領域がある。物語性、あるいは歌手の個性といった表象へと。
 歌詞がなく単に歌ったのだとしても、例えばCocteau Twinsが好きでその音節を歌うならば、言葉の不在は疑わしい。なぜならば人は、歌に物語とコミュニケーションを連想するものだからだ。実際に、技術的にはそうでないかもしれないにせよ、人は、歌は楽器を演奏することより直接的であると感じる。ヴォーカリストとしての肉体を所有すること、すなわち楽器になるということ。もちろんこれは、シャワーで歌うのが好きです、みたいなものと比べて、知的すぎる説明だけれど、歌が好きというよりは人間的な答えかな。Zsでは、抽象的で難解な音楽にのめり込んだけれども、若いとき好きだった、より直接的で感情的なものに戻って、融合させたというわけだ。だからExtra Lifeは、変わった技術的な楽器の要素というよりヴォーカルの要素の総合である、と言える。

――Extra Lifeの創作過程とはどのようなものでしたか? 歌詞や楽曲に関して。

CL 大抵歌詞が先で音楽がその後にくる。いくつかの曲は自分が、ドラムを含め、全ての楽器奏者にパート譜で書いて、全ての音符を書いている。いくつかの曲は、より協同的で、僕が歌を書くと、他の音楽家が自分たちのパートを作る、という感じだ。だからいくらかは作曲家的で、いくらかはソングライティング的な創作過程だね。ヨーロッパで演奏したけど、日本ではできなかったな。
 Extra Lifeを解散させたあとのプロジェクトは、より直接的でシンプルなもの、それでもまだ複雑なんだけれども、感情的に直接的で、よりロック的、メタル的と言えるようなものにしたいと思い、Psalm Zeroを始めた。「過剰」と呼べるかもしれないけれど、のめり込んでいた自分のルーツへと戻ったわけだ。そしてそれはもっとロックやメタルの文脈にある。そして、今リリースされる予定なのが、自分自身の名前の元にある、滅茶苦茶やばくて奇妙なweirdo音楽だ。

――複雑なリズムの曲を作曲する際の創作態度を教えてください。

CL どのような複雑性であれ、複雑さのための技術的、知的な、あるいはコンセプチュアルな複雑さは健康的ではない。複雑性のための複雑さは、資本主義の病などと言えるだろう(笑)。それは癌のように人間から人間性を空白化させてしまう。複雑性を本気で追求したいのならば、AIのようなものに任せたほうがいいだろう。僕は複雑性があるものばかり作っているけれど、複雑だからいいものがうまれるわけではない。ただ、喜びやエネルギーや活力をもらえることが重要なんだ。
 メタルの魅力について、なんで11歳の子供の頃から好きなのか考えていたのだけれども、最近になって気づいたことがある。ブラックメタル、特にデスメタルがそうなのだけれども、本当に多くのバンドやアーティストがハーモニー、リフ、リズムにおいて、美しいまでに面白くて複雑なことをやっている。それは純粋に音楽的なレベルでとても冒険的で、しかしノンアカデミックで、反エリート主義的で、とても開放された、ブルーカラー的、労働階級的なエネルギーを持っている。それが好きなんだ。大学に数分しかいなかったような人が、全くスノビッシュでない形でバルトークの弦楽四重奏のような複雑さのレベルのものを演奏している。

――12音階主義の音楽〔8〕の作曲をしたことはありますか?

CL 12音階主義は本質的にとても共産主義的なものと言えるだろう。システム的に強制された平等主義者的な絶対的形式というコンセプトはすごく面白いけれども、聴いてみると、これはそんなに続かないなと思う。それでも、いくつかの12音階主義の音楽は自分にとってはとても重要だよ。特にヴェーベルン〔9〕の音楽。なぜなら彼が骨格のように要素を引き出したからね。でも、最もアカデミックであったときでさえ、また純粋に器楽的な作曲をしていたZsのときでさえ、使用することはなかった。それは美学的であって単に想像上のもののようなものだ。

――中世やルネサンス音楽〔10〕は、特にメリスマ的な歌唱法〔11〕はどのように習得したのでしょう。

CL 独学で習得したよ。ルネサンス対位法の本を買ってきて研究したりした。20代の時にはまって、Extra Lifeに至って初めて、アウトプットできた。この音楽で好きなのは、不協和音でないが、近代的な和声法やコード進行などの法則に従わずに、どこか変わっているけれど美しいところ。あまりここでオタク的になりたくないが、メロディが紐解かれる感じは、非対称的で、反復がなく、そして長い。単にヴァラエティがあって、対称的でも反復もなく、変化とそしてバランスがある。そのようなメロディがとても好きだ。また、精神的なレベルにおいても好きだ。ルネサンスになってからは変わるけれども特に中世の音楽には、あくまでも推定なんだけれども、畏敬の念を持って神に対し、非常に謙虚に振る舞う人間の感覚があるように思う。
 自分は神を信じないし、宗教を実践してないけれども、たぶん中世音楽が好きなのは、そこにいる人間の謙虚さがあるからだろう。修道士たちは自分たちの名前も加えずに聖歌を作った。この音のアートを無名の者たちが秘匿的な文脈の中で、絶えず実践していた。商業的な関心やコード的な力の外側で、ただ宗教的なものがそこにあるという感覚。厳粛な宗教音楽。それはとても壮麗なものだね。
 メリスマはかなり直感的に書いた。メリスマ的作曲はExtra Lifeの中でたくさんしてたけど、少し取り憑かれたとも言える。メリスマの美学的性質というのがあって、母音のサウンドを拡張していくことは、音楽の全てを表象する織物を開いていくような、そんな感覚がある。普通の音節を、普通の歌唱法で歌うと、純粋な音楽があっても、そこに言葉と表象を聴くわけだ。しかし母音が拡張されると、意味も拡張され、非-意味の虚無と――必ずしも暗黒の中へという否定的な意味ではないが――表象ではない純粋な音へと到達する。

――つまり、「純粋な声」とでも言うべきもの……。

CL そう。「純粋な声」「純粋な息」「純粋な精神」そのようなものが重要だった。僕は中世とルネサンス音楽について十分に知っている。そして音節をメリスマによって拡張することは恍惚的な瞬間であることを知っていた。重要な言葉であるハレルヤをもし引き延ばされるならばどうなるか〔12〕、ということをね。

――(メリスマ的歌唱が発揮されている独唱曲)「Bled White」(Extra Lifeのアルバム『Secular Works』収録、2009年)は最高ですね!【参考動画 Bled White (Live at Backspace)】

CL 嬉しいね。ありがとう。今書き換えるならば、歌詞は少し変えるだろうけれども、メロディは良いと思う。この曲は純粋なメロディという意味では多分(僕が書いてきた中で)最高のものではないかと思う。歌詞を歌わずに、メロディだけを楽器で演奏することもできる。
 メリスマについて面白いのは、それが好きな人にとってさえ、ある種の滑稽さを見いだすことがあることだろう。Extra Lifeでも新作でも取り入れているのだけれど、メリスマの儀礼的、そして恍惚的な性質の上に、実際の歌詞として、コカインをやるとか、フェラチオなどの単語を入れる。するとそこには狂っていておかしい要素が、明らかに皆にも理解される。そちらの要素は実際の中世音楽はないけれど、自分はゴスペルミュージックから来たR.Kellyなどから取り入れてるんだろう(笑)。メリスマの美学的性質を扱う敬虔な音楽で、一番下品で通俗的で肉欲的なものについて歌うこと。Extra Lifeではこのアイロニーを少し味付けしたんだと思う。

――Seven Tearesは? 【参考動画 Meet Me

CL 1枚のレコードを出しているが、数ヶ月に1度レコーディングもするがゆっくりとした、サイドプロジェクトと言える。オファーが来ればフェスにも出たいね。Extra Lifeを始めたとき、よりシンプルなもの、よりアコースティックなものをやりたいと思った。中世音楽にある程度影響を受けているけれど、ロックやフォークの要素は少ない。 Current 93とかその類のポストインダストリアル・フォークの影響を受けているね。 技術的にすごく複雑というわけではないけれど、アート的に非常に変わったことに挑戦している。Seven Teares, Psalm Zero, ソロプロジェクト、どれも常にメロディ的要素があってポップだ。一番奇妙な瞬間でさえポップだけれど、それが目的だったわけではなくてそうなってしまったんだ。

――Psalm Zeroは今2人のメンバーがいますね。

CL 僕がギター、声、プログラミングをKayo DotのKeithがドラムをやっているけれどKeithとは12か13歳の時にお互いの友人を通して出会った。RonもKayo Dotだね。本当に素晴らしいメンバーだ。今はソロアルバムに全ての時間を割かざるを得ないけれども、次のPsalm Zeroのアルバムはこの夏にレコーディングしたい。【参考動画 Not Guilty (official video) ,Hunchback (official video)
(3P目に続く)